marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(77回目)

2016-08-02 16:53:06 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
ねぇ! そんなに力まなくても子ども向けの聖書の本もありましょう。自分の言葉で読むのであればそれでも充分なんではありません? リビング・バイブルなどありましょうに。それで、いのちのことば社からの広告にはこうあります。「もともと子どもでもわかるようにとという目的でつくられたもので・・・」
◆確かに、しかし、成長期においてよほどしっかり、親御さんが読み方、生活の仕方、自分の見本など提示できないと幼少の頃の話で長続きはしないのではないでしょうか。それでもしっかり、内容についてこれたとすれば、それこそ選ばれし者という気がしますね。成長期にあって一度は離れるでしょう、しかし、世の中や自分に疑問を持ち始めたときに又、再び今度は本当に自主的にイエスの声に耳を傾けるようになるでしょう。兎に角、広い視野に導かれます。子供たちから、そして若者から、ビジネスマンから、高齢者まで多くの永遠の命であるという、イエスの言(ことば)の解明の為に、我々の人間の言葉への格闘の歴史に、僕らは多くその基の深い根が彼のその十字架にあったのではないかということを感じない訳にはいかなくなる(これは他人から言われるのではなく)。いま動きつつある世の中、特に世界の動きが分かるように思われます。生き、働き、動いている神の働きが、(無論この光の影にうごめくものも)見えてくるかも知れません。いずれにしても、彼(イエス)に結びつくことは「死も恐れない」ということになるようです。M.Luther作った讃美歌「神はわがやぐら」1529年につくられたようですが、当時の彼の意気込みというか、聴く我々も勇気が湧いてくるように思われます。
◆そろそろヨハネ伝第10章、長い脱線から抜け出そうと思う。口語訳から 
◇ヨハネ伝(第11章27節~30節)
「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは、彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。わたしの父がわたしにくださったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父のみ手から、それを奪いとることはできない。わたしと父は一つである。」
◇ヨハネ伝 (第11章36~38節)
「父が聖別して、世に使わされた者が『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『あなたは神を汚す者だ』というのか。もしわたしが父のわざを行わないとすれば、わたしを信じなくても良い。しかし、もし行っているなら、たといわたしを信じなくても、わたしのわざを信じるがよい。そうすれば、父がわたしにおり、また、わたしが父におることを悟るであろう」。・・・次章11章、ラザロの死からの甦りの奇跡のわざをイエスがなされたことに続く。ここには、イエスがいま表明した証明事実の記事が書かれているのである・・・Ω

世界のベストセラーを読む(76回目)

2016-08-02 13:48:55 | 日記

◆世界のベストセラー聖書を読む◆
本当にすべての人に”永遠に至る命の言葉”を読み、自分のものにして欲しいと僕は願っているわけ。んで、砕けた言葉で書いてきたけど、どうしてもというか気づいた時は堅くなってしまっているのよね。特に、いわゆる「そうでございますか」と読む者が聞くしかないような上からの言葉について、それはまさに「アーメン(確かにその通りございます。信じます)」という返答しかできないところ。
◆ヨハネ伝第10章でとても足踏みをしている。前からそうだが、イエスが話す相手がユダヤ人、つまり先祖伝来の歴史の由来がはっきりしており、その専門家もおり、また、現代でもイエスご自身がその用い方(?:パリサイ人が手段と目的を転倒してしまったところなど)を否定されたとしても、そのエッセンスは決してご自身も否定はされず、むしろその成就であると宣言されたことの内容をしっかり律法として守ってきた当のその相手に対して話される章になると、とたんに足踏み状態になってしまう。第10章などまさにその箇所。
◆来年はM.ルターさんの宗教改革500年に当たることは何度か書かせていただいた。彼が、一生涯をかけて、命の言葉を神が自分の似姿に創造された最高傑作の人間に対して「私を信じなさい」とイエスは言われた。そして、そのことを維持するために、その歴史の中で頑固なユダヤ人を選ばれ、他の民族にその歴史を示され、私は生きているということを”わざ”と示されてきたということになる。僕の願いはどうしたらみんなが、聖書を読むだろうかということだった(教会に行くかではなくですよ)。むろん素直に行かれて信じられることを生涯維持できれば、とてもイエスは喜ばれるであろうということになるだろうけど。実のところ、初回の方に書かせていただいた若松英輔さんの言わんとするところはとてもよく分かる訳です。写真再掲載「イエス伝」(若松英輔:中央公論新社)、「キリスト者の自由、聖書への序言」(M.Luther 石原 謙訳:岩波文庫 BOOK OFF \105)
                            
◆きっと、皆さんもそうだと思う。宇宙工学か神学かというくらいこの一冊の聖書の研究はなされているのね。ですから、いいか悪いか宇宙開発に並行してというかとんでもなく聖書が僕らの歴史の中で解剖分析されてきている訳です。ですから、普段の人が何気なく書店のノウハウ本を読むのはよいとしても並んだ専門書を開いたとすれば、”はしか”にでもかかったように、これはいけない、こんなに土足で踏み込んだように解析してもいいんかい!とびっくりするような(神様になんと失礼な!)というような本にもぶつかる訳。・・・次回つづく