◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 口語訳。ルターさん曰く、福音書はヨハネ伝。
イエスが言われた”この時(十字架にかかる)”が来ている・・・。そして、イエスは、新しいいましめを言って残す。第三章には大切なイエスの新しい戒め。(13:34)
「互いに愛しあいなさい。わたしがあなた方を愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
◆そして、ペテロへの三度目の否認の予告(13:38)。ペテロが三度もイエスを否認するであろうとの予告は、イエスが捕縛された後に現実となった。(18:17)(18:25)(18:27)。後に書かれている第21章がこれに修正をかけているような三度に三度の対応の書き方なのね。他の福音書では、ペテロはイエスの鶏が鳴く前に三度、(イエス)を知らないというであろうとの予告どおりになったので、外にでておいおいと泣いたと記す。ペテロらしくてこの書き方は同感、賛成だ。
◇これの是正(修正)とは、復活後のイエスによって三度ペテロに確認されたことだ。そのことを第21章にヨハネは書いた。(21:15)(21:16)(21:17)。 「ヨハネの子、シモンよ。わたしを愛するか、わたしの羊を飼いなさい」と。三度もイエスに確認されたペテロ。これが三度目の正直の語源となった?。ここでの”愛”するかの言葉の書確認のやりとりの”愛”は書かれたギリシャ語のそれぞれ違う言葉で書かれているのでちょっと有名なの(後で)・・・さて、
◆ヨハネ伝第14章に入る。ヨハネ伝の四分の一程にもあたる告別説教は開始されている。
弟子たちの質問はほんとに現実的な書き方なのだが、トマスも(14:5)、ピリポも(14:8)もイエスの言ったことに質問をする。この質問は2016年の科学が進んだ現在でも、霊の世界、生身の現実の我々側から言えば大いなる当然の質問、しかし、霊の世界を語るイエスには疑問のない当然のこととなる。キリスト教の肝になる言葉なのだな、きっと。他の常識からも2016年の今、疑問を持つ奇跡に対してだね、ヨハネさんの群れはイエスに癒された人々の群れ、奇跡でもあり、イエスの”わざ”の証人者達の群れでもあって、動かしがたい事実がその群れにはあったことが、書いた当時の背景となっていたと考えられる訳です。その中で、この二人の弟子にこのような事があったと記録するのである。(14:5、14:8)
◆トマスの質問は、イエスからとても有名な言葉として知られている聖句を引き出した。
(14:6)「わたしは道であり、真理であり、命である。」
このトマスさんは、イエスが復活されて弟子達の前に現れたときいなかったのね。そんで、弟子達に復活されたイエスにわたしたちはあったと言われた時、かなりリアルな反論をしたのだ。「わたしはイエスの十字架上での傷に指を差し込んでみないと(復活したことなど)信じない」と言ったのだ。・・・
イエスが言われた”この時(十字架にかかる)”が来ている・・・。そして、イエスは、新しいいましめを言って残す。第三章には大切なイエスの新しい戒め。(13:34)
「互いに愛しあいなさい。わたしがあなた方を愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
◆そして、ペテロへの三度目の否認の予告(13:38)。ペテロが三度もイエスを否認するであろうとの予告は、イエスが捕縛された後に現実となった。(18:17)(18:25)(18:27)。後に書かれている第21章がこれに修正をかけているような三度に三度の対応の書き方なのね。他の福音書では、ペテロはイエスの鶏が鳴く前に三度、(イエス)を知らないというであろうとの予告どおりになったので、外にでておいおいと泣いたと記す。ペテロらしくてこの書き方は同感、賛成だ。
◇これの是正(修正)とは、復活後のイエスによって三度ペテロに確認されたことだ。そのことを第21章にヨハネは書いた。(21:15)(21:16)(21:17)。 「ヨハネの子、シモンよ。わたしを愛するか、わたしの羊を飼いなさい」と。三度もイエスに確認されたペテロ。これが三度目の正直の語源となった?。ここでの”愛”するかの言葉の書確認のやりとりの”愛”は書かれたギリシャ語のそれぞれ違う言葉で書かれているのでちょっと有名なの(後で)・・・さて、
◆ヨハネ伝第14章に入る。ヨハネ伝の四分の一程にもあたる告別説教は開始されている。
弟子たちの質問はほんとに現実的な書き方なのだが、トマスも(14:5)、ピリポも(14:8)もイエスの言ったことに質問をする。この質問は2016年の科学が進んだ現在でも、霊の世界、生身の現実の我々側から言えば大いなる当然の質問、しかし、霊の世界を語るイエスには疑問のない当然のこととなる。キリスト教の肝になる言葉なのだな、きっと。他の常識からも2016年の今、疑問を持つ奇跡に対してだね、ヨハネさんの群れはイエスに癒された人々の群れ、奇跡でもあり、イエスの”わざ”の証人者達の群れでもあって、動かしがたい事実がその群れにはあったことが、書いた当時の背景となっていたと考えられる訳です。その中で、この二人の弟子にこのような事があったと記録するのである。(14:5、14:8)
◆トマスの質問は、イエスからとても有名な言葉として知られている聖句を引き出した。
(14:6)「わたしは道であり、真理であり、命である。」
このトマスさんは、イエスが復活されて弟子達の前に現れたときいなかったのね。そんで、弟子達に復活されたイエスにわたしたちはあったと言われた時、かなりリアルな反論をしたのだ。「わたしはイエスの十字架上での傷に指を差し込んでみないと(復活したことなど)信じない」と言ったのだ。・・・