marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(109回目)

2016-08-25 07:43:35 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
ヨハネ伝第14章 最後のお別れのイエスの説教。同じことの繰り返し(こう書いてしまうとつっけんどんな言い回しになるが、だから重要なのだよとイエスはおっしゃりたいのだ)。
わたしを見たのは父をみたのだ。わたしを通さなければ父の元へは行けない。わたしのわざを信ぜよ。父がわたしの内で行われているのだ。わたしは父にお願いし真理の霊を送る。それは、すべてを教えてくれるであろう。あなた方の所へわたしは帰ってくる、孤児にはしない。わたしは父におり、あなた方はわたしにおり、わたしがあなた方におることがわかるだろう。わたしの戒めを守れわたしを愛するものは父に愛されわたしもその人を愛し、その人にわたしを表すだろう。父がイエスの名によって使わされる聖霊はあなた方にすべてのことを教え、わたし(イエス)が話したことをことごとく思い起こさせる出あろう。。。。何度か同じ内容がことなった言い回しで繰り返される。(14:13)「立て。さあ、ここから出かけていこう」とイエスは言うが、出かけないで15章で、同じことを又、繰り返してお話を続ける。
◆このあたりの内容は、すべてに渡り同じ内容の繰り返しのように見受けられる。そろそろ終わりが近づいてきた。どうか、物語のところは除いてもご自分の言葉で、初めからイエスの言葉を整理して見て欲しい。
会話ことばでの応対されていることばでなく。”こうである”と言うふうに規定されている上からの一方向性にある言葉を拾ってみてください。実のところ、弟子が尋ねてもまともにそれには返答していない。いや、更に高いレベルで返答しているからまともに返答しているとは読み取れないのかもしれないが・・・。実に、イエスの言葉の不明さは其処にあるようだ。まともに(つまり、不完全ななる朽ちていく肉なる)人間が自己納得するような、父なるひとり子のイエスが答えて、それがもし、まともにガッテン理解したなどどいう人間が出てきたとすればそれこそ、危ない人間かもしれない。
◆そもそも初回から書いている、またこのブログを始めた理由であるが、自分の言葉でイエスの言葉を読み取ることであった。不完全な人間が聖書(神の言葉)を読みそこに総括的な自己理解の言葉が介入してくると多分に危ない者になる。組織立て、どうぞお入りくださいなどとくると、その組織だった不完全な人間の言葉のしきたりにどうしても拘束されてくる。無論、何でもokと言うわけにはいかない。・・・