marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(108回目)

2016-08-23 20:06:07 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
ヨハネ伝14章では、トマスさんがあの有名な聖書の言葉をイエスから引き出した後にピリポ(口語訳)さんがイエスに質問するのですが、イエスから「なんだお前さん、一緒にいたのに今まで何聞いてたの?」と逆に言われたのでした。ピリポは(8:8)「わたしたちに父を示してください。そうして下されば、わたしたちは満足します」と訊いたのだ。おお、ピリポさんも常識人で嘘つけない人だったのね。イエスは「わたしを見たのは父を見たのだ」と言われた。粗雑で粗いこの人間界に不自由な人間の形に父なる神が成り立ちうるとは考えられんかったからだと思うな、分かる! しかし、人間を救うが故に不自由ではある人間の姿になられたのだということは、よく考えて見なければならんかったのだな、ピリポよ。しかし、
◆フィリポ(新共同訳で)は、初めからイエスという方から目を注がれていたのですね。イエスから、きちんと言葉で「わたしに従いなさい」と始めて言われたのはこのフィリポだったし(ヨハネ伝1:43) それから、五千人の食事のときイエスから試された弟子がこのフィリポだった(6:5)「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」。さらに、過ぎ越の祭りの時、エルサレムに登って来ていた何人かのギリシャ人がイエスに会わせてくれと頼まれたのが、この弟子フィリポだったのだ(12:21)。イエスが、”時が来た”と十字架を自覚された時がこの時だった。いよいよ、十字架が公になる時が来たのだとイエスは自覚したのだった。
◆ところで、このフィリポは、弟子として重要な動きをしたことをヨハネさんは、知ってか知らずか丁寧に書いている。その言わんとするところは、弟子の伝道とは、まず人に語り、述べ伝えて来たりてみよと語る重要性だ。それは、フィリポは同じような伝達者となっていることだ。(1:45~46)「フィリポはナタナエルに出会って言った。~フィリポは「来て、見なさい」と言った。(12:22)フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行ってイエスに話した。いずれ、ことを起こすのは二人でというのは長い伝統の上に立ったものだろう。その貴重な行動をヨハネさんはフィリポの行動を書くことによって教えてくれている。
◆今までイエスと共に行動してきた弟子達は、最後まで結局信じ切れなかったと書くのは暴論かなぁ。(17:31)「あなたがたは今信じているのか(17:31)」、十字架に掛かられると弟子達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出したのだった。ただ、大祭司カヤパの知り合いであったヨハネさんは(18:15) 会議堂や十字架のかなり近くまで近寄ることが出来たであろうことは推察できる(18:16、19:26-27)。あとはイエスの告別説教である。われわれは、何も言えない。・・・Ω