◆世界のベストセラー聖書を読む◆ ここ最近、口語訳です。ヨハネ伝第13章
イエスが人々の心をお見通しだというのは理解できる、神の子だから。しかし、どうしてヨハネ伝のヨハネさんはイエスの心を理解できたように書くのか、書けるのか? (13:1)「~自分の時がきたことを知り~」、(13:3)「~神にかえろうとしていることを思い、~」。まして、(13:2)「夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが、」とあるところなど・・・どうして悪魔の心も読めてしまっていたのかななどと不謹慎に僕は思ってしまうのだ。いくらイエスに愛された弟子とご自分で書いていたとしても、これは難しいでしょうしできないでしょう。ちょっと怖いですよね。
◆で、ここが文章で人に伝えることの限界である訳だ。全くの作り事には出来ないし、事実を書かねばいけない。ただ、即物的に書けば箇条書きになり心情面が薄れてかすかすのイエスのメモ書きになる。ヨハネがこのように表したのは時間経過の中で、そのように書いても何ら今の現状にマイナス面とはならない程度の推察を思う充分入れ込んで書いたということだ。それに、当時の宗教的な周知されてきた伝統としての教えから言えば、何ら当然のような先理解の知識があった訳だ。聖書には、創世記から(途中も)そして最後まで、悪魔の片鱗が見えるところがある)、まさに、イエスが言われたこの時において、悪魔は、神との最終決戦の導火線に火をつけた事になる。勝てないのは知っているから自暴自棄に近い。
◆イエスは、御自身の言(ことば)を霊であり、命であると言われた。とすれば、本来、僕らは、神が人に鼻から息(霊)を吹き込まれた人を生かしめている霊とは何か、逆にイエスが「悪魔は人殺しである」と言われた、その悪霊については、僕らはどう防御すべきかなどは、まともに勉強のジャンルに入れてもそろそろいいのではないかと思ってさえいるのだ。特にあのような障害者施設での殺人が理屈を作って障害者はいらないと19名の方の命を奪うことが起きるのは、どうも悪霊が憑依したのではないかとしか思われないのである。(悔しくてしかたがないという思いだな・・・)
◆どうして、ヨハネは書けたか?それはやはり、初めに書いたがヨハネさんは一番長生きをして、その群れ(共同体)がイエスの”わざ”で満たされていて動かしがたい事実の証し(あかし)が伴っていたからなのだな。だから、時間経過の中でゆっくり、理由付け(創作)が出来ていたのだとしか考えにくい。つまり、そのような決定づけをしても何ら体制には、プラスになってもマイナスにはならないからこそ、当の本人は実況中継記者ではなかったにもかかわらず、伝え聞くまた自分が立ち会ったそのときを思い出しつつ書きまとめたのがこの最後のドラマなのであるということになる。その編集の跡かな?と見えるところがある・・・(次回)Ω
イエスが人々の心をお見通しだというのは理解できる、神の子だから。しかし、どうしてヨハネ伝のヨハネさんはイエスの心を理解できたように書くのか、書けるのか? (13:1)「~自分の時がきたことを知り~」、(13:3)「~神にかえろうとしていることを思い、~」。まして、(13:2)「夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが、」とあるところなど・・・どうして悪魔の心も読めてしまっていたのかななどと不謹慎に僕は思ってしまうのだ。いくらイエスに愛された弟子とご自分で書いていたとしても、これは難しいでしょうしできないでしょう。ちょっと怖いですよね。
◆で、ここが文章で人に伝えることの限界である訳だ。全くの作り事には出来ないし、事実を書かねばいけない。ただ、即物的に書けば箇条書きになり心情面が薄れてかすかすのイエスのメモ書きになる。ヨハネがこのように表したのは時間経過の中で、そのように書いても何ら今の現状にマイナス面とはならない程度の推察を思う充分入れ込んで書いたということだ。それに、当時の宗教的な周知されてきた伝統としての教えから言えば、何ら当然のような先理解の知識があった訳だ。聖書には、創世記から(途中も)そして最後まで、悪魔の片鱗が見えるところがある)、まさに、イエスが言われたこの時において、悪魔は、神との最終決戦の導火線に火をつけた事になる。勝てないのは知っているから自暴自棄に近い。
◆イエスは、御自身の言(ことば)を霊であり、命であると言われた。とすれば、本来、僕らは、神が人に鼻から息(霊)を吹き込まれた人を生かしめている霊とは何か、逆にイエスが「悪魔は人殺しである」と言われた、その悪霊については、僕らはどう防御すべきかなどは、まともに勉強のジャンルに入れてもそろそろいいのではないかと思ってさえいるのだ。特にあのような障害者施設での殺人が理屈を作って障害者はいらないと19名の方の命を奪うことが起きるのは、どうも悪霊が憑依したのではないかとしか思われないのである。(悔しくてしかたがないという思いだな・・・)
◆どうして、ヨハネは書けたか?それはやはり、初めに書いたがヨハネさんは一番長生きをして、その群れ(共同体)がイエスの”わざ”で満たされていて動かしがたい事実の証し(あかし)が伴っていたからなのだな。だから、時間経過の中でゆっくり、理由付け(創作)が出来ていたのだとしか考えにくい。つまり、そのような決定づけをしても何ら体制には、プラスになってもマイナスにはならないからこそ、当の本人は実況中継記者ではなかったにもかかわらず、伝え聞くまた自分が立ち会ったそのときを思い出しつつ書きまとめたのがこの最後のドラマなのであるということになる。その編集の跡かな?と見えるところがある・・・(次回)Ω