◆「津」という漢字の不思議。日本の国の地名や名前に使われているこの漢字が気になってしかたがない。この漢字は、現象や状態を表す漢字だろう。「水」に右は「ほうき」だろう。津波、つまりどどーといっせいに怒涛のように押し寄せる状態を表している。これは、日本に古来、多くの技能集団をつれて何度か押し寄せた渡来人(一時は数万単位で押し寄せた)「秦氏」を表しているように思われるのだ。背後にあって、その後の天皇一族を持ち上げ、大変な日本形成の土台をつくったひとびとだったと思っている。昔は名前を変えることで分家を繰り返していったから不明なことも多いけれど、日本に同化してみんなの中にもDNAが入っている。◆聖徳太子のブレーンの秦河勝が知られている。そして蘇我氏と物部氏の争いで仏教が一応勝利の形となったけど、本来、物部は古来神道でもとをたどっていくと神道は、旧約聖書の唯一の神に繋がっていると思われる。だから、日本では一時、廃仏毀釈もあったが、神仏習合であることは揺るがしえない。秦氏は、決して表沙汰には出てこないが、時の為政者に対して(時代を動かす唯一の神を信じていたのだろう、旧約の)意図に沿った為政者には惜しみなく貢献した。平城京での奈良、仏教が怠慢化し始めた時、秦氏は自分の領地を提供し、遷都。あの平安京(ヘブル語ではシャローム)を作ったのである。秦大津父というこれまた祖が、不思議なそれなりの名前なのである。そもそも、七条憲法の第一「和をもって尊しとなす」とは、宗教戦争はやるな!という意味らしい。◆皇后は、今も伝統の行事の蚕の世話もされる。これなどまさに、機織り(「秦の織物」が由来)なのだが、それがシルクロードに繋がっているのだ。昔、蚕を飼っていた小屋を時折、今でも東北の田舎で見る時がある。それをうずたかく天皇に献上したので、京都のうずまさ(太秦)の地名の由来となったとか。天皇は、国土にとにかく貢献して善き方向に導く人々は渡来人であろうと土地を与え尊く用いたのであった。それにしても日本中には「津」という漢字が使われる名前や地名が結構ある。サンズイを付けた「湊(みなと)」という漢字もあるけれど。夏の海の日の祭りはもっぱらこちら「湊祭り」である。◆「津」、その地名はその古代の由来を物語っているのだろうか。政治の表には決して出てこない多くの技能集団を連れて、文化にも多大な影響を与えた秦氏。日本中にある八幡神社を調べると旧約聖書の天地創造の唯一神にもつながる信仰を持った集団にこの不思議な国は土台が形成されてきたのある。各地の地名にもなっている。代々木八幡、近江八幡・・・続く
◆そもそも、目に見える山や森、海や川などの自然からの食糧を享受する縄文生活が1万年も穏やかに過ごしてきて、どうしてそのような石ころの中から鉄が採れるなどの技術が、そのような生活の中の縄文人の頭の中から出てくるなどということは考えられない。それは、まさに物を作る物部らの技術人もいたろうし、それは秦氏集団の一群だったろう。古来、昔は日本は大陸とも繋がっていたし、地上の人々は自由に歩きまわっていたのだから。いづれ大陸から日本人となった渡来人の持ち込んだ技術だった。世界史では鉄をはじめに使い始めたのは、ヒッタイトと言われ今のトルコあたり。彼らにはアラバキ信仰があって、なんと青森や岩手ではやはり、鉄鉱石の石をご神体と言われるアラハバキ信仰があるのは偶然なのか。まさに鉄鉱石やその他、金、銀、なんどの鉱石を探して日本人に同化したあの技術集団の一部が関東から北上し、東北地方の山々を探しまわっていたのだ。彼らは、公には記録としてすくなくとも学校では詳しくは教えてもらえない、僕の中学時代、岩手は日本のチベットと呼ばれていたと。ところが、内密の話、山の中(「岡<丘>」)に彼らは人の役に立つ鉱石が沢山産出する(「盛られた」)ことを突き止めていたのだ。それが、まさに地名として残された「盛岡」。そして、釜が作れる石が出るという「釜石」。そして、「盛(さかり)」がある。この「盛」はNHKのブラタモリで見ることがあったので嬉しかったな。実に多くの鉄鉱石を産出する。◆だから、東大寺の大仏ができたとき、金が見つかった(湧いてでた)と聖武天皇を喜ばせた宮城県の北部涌谷町があるのは、そういう多くの山師たちがいたからなのである。東北や日本各地の山々には古来から、山師が多数、いたのである。多数の鉱石を産出していたのだ。僕らがもっぱら学ぶのは、目に見えるものばかりで生業をしていたと思いがちだけれど。さらに、探さずとも多くの種類の人に役に立つ鉱石を多く産出する場所が、飛騨高山の神岡鉱山である。「神」級にグレードアップしているのだ。古来、税金に租庸調というのがあったが、飛騨国ではコメが取れずもっぱら、木の国であるから木工とその技能で税金を賄っていたのだが、観光事業でもきれいな宿場町があるのはどうしてなのかの理由が分かったしだい。多数の種類の鉱石が神級に産出するのが発見されてから、下級レベルの納税町からいきなり神級の宿場町になったということであった。ニュートリノ検出するためのカミオカンデがある。地層は片麻岩という。・・・続く
◆それにしても、古来九州経由より中国地方、つまり出雲大社はあまりに大きい痕跡と言えばそうなのだが、大陸から隠岐の見えるあの場所、大国主の尊が赤裸のうさぎにやさしい言葉をかけていたその場所から飛んで、静岡焼津で大国主の尊が兄弟らのいじめにあうのかといえば、その場所、つまりは、九州経由でのその後の天皇家の理由つけとなったそれ以前、東へ東へと移動して千葉、関東へ、太陽の昇る場所を求めて向かっていたわけだ。だから、僕らは学校では殆ど古来のその方面、関東、東北は未開の国のように思われているけれど、言葉や文字に残さずとも十分、以心伝心できた人々、つまり多くの優秀な渡来人たちが来て、そこに住み着いていたわけなのです。そして日本人になった同化したのです。ここまでになると日本人はその人たちのDNAを持っていることになる。◆ですから、人型埴輪は関東、東北に多く見つかり、造形文化があったということ。千葉にある鹿島神社や香取神社は伊勢神社とも対等なほどの大きな神社であるわけ。そういう行為は、それ以前の理解する共通認識とその社会インフラがなくてはならず、あっても保存される記録手段が確立されていないし、必要はなかったわけだ。共通認識としての壮大なスケールの歴史観を持った人々だったのだ。◆そのずっと後に、九州経由で天皇家と理由づけされる民族が入り込んできて、この国の統一が確立されることになっていく。そこ以前からの縄文人からそこに流入してきた先住民としての物部氏やその後、仏教を持ち込んできた蘇我氏の争いなどが起こってくるが、その背後には歴史上決して表ざたになってはこない渡来人である大変な技能集団を引き連れてきた「秦氏」がいるわけなのだ。それが、天皇を支える背後のブレーンとなっていくのです。とにかく、あの世界のベストセラー聖書の民が分かれて大陸で様々な経験を経て日本に渡ってきた多数集団だったのだ。・・・続く
◆時折、NHKの「日本人のお名前」とか、「ブラたもり」を面白く見ている。日本人の名字のルーツとか、その土地の地政学というか、そのような中に、今の僕らのご先祖が何を考え今の日本の土地の名前とか、産業をおこしたとかの起源を知ることができるからだ。◆それで、どうしてそのような名前となったのかなど勝手に推論していくのが、定説ではないがおそらくそうだろうと思っているのである。穏やかに1万年も続いた縄文時代に終止符を打った弥生時代移行期は、大陸から押し寄せてどうのこうのという以前、記紀に著されない時代に多くの渡来人(優秀な!)来ていて、日本国に同化していったわけだ。◆先日、日本人のお名前で「森」と「林」はどう違うのかと言われて、「森」はそもそも神が宿り形成したもの、「林」は人が手を加えたものだなどと話されていた。当方でも「森」は「盛」でもあり、豊富に盛られている(人にとって有益なものが多数産出する)という意味を田舎で知った。僕のいるところの森山とか大森山とかの山には、薬草が沢山採れたのだそうで、まさに盛られていたのであったのだ。僕らの県知事は、江戸末期にその薬草を手掛けて奨励し、現在も「龍角散」で知られてコマーシャルに時折出させられているのは、そういう理由からである。◆さらに、僕が不思議に思っていたのは、どうして古代は九州から京都あたりまでで政治がなりたって古代の歴史を学ばされてきたことなのかということ。千葉、関東あたりから北へ上り岩手、青森までこの辺は昔はどうだったのだろうと。記紀にも出てきますけれどね、四道将軍とかね。越の国と関東を統治していき落ち会った場所が「会津」という地名になったとか。この「津」というのも気になる漢字なのだね。因幡の白兎にやさしいアドバイスをして助けた大国主尊が兄たちにいじめられて野原で火を放たれ、ネズミに助けられる物語もあった。その場所が「焼津」となったのです。・・・続く