◆午前BS1で 『永平寺 禅の世界』 その後、『ニッポン創世 神々の道を辿る』を見た。日本人の信仰心、特に雲水や修行僧なんどの毎日の務め、朝早く寒い中に 生活のすべてが修行の内にあるというその行。日本にこのような宗教がある限り、日本の国は滅びない 何故か、そんな気がいつもしている。そして、後半、日本書記や古事記の神話を巡る旅、出雲や九州など今一度、大づかみの物語の把握ができた。◆先のブログに、聖書のイエスが語るところの「自分」ということについて僕なりに思わせられることを書いてみた。振り返って、道元は「心身脱落」をいう。つまるところ、肉につけるところの「自分」のその肉体、そして思いを脱落させる境地になることをいう。自分を知ることは悟りの入り口である、しがらみ、こだわりという自我を棄て自由な自分になることだと。それは他己への境地も脱落することであると。その行いは「只管打坐」。坐禅の教えは40ヶ国にもおよび、イタリア、ミラノに普伝寺という禅寺として承認された寺がある。イエスは山にのぼられ毎朝早く祈られた。その祈りの核。それは目には見えないが永遠に流れる普遍的命の霊の源泉。いずれも宇宙の普遍的な命の流れの異次元のスゥィートスポットに乗る・・・そんな気がする。◆日本の神々の神話は、古代、多くの渡来人が来て日本に同化したが、その国作りのアイデンテティーを形成するための物語であったろう。これも僕の追求のテーマだったから、元旦、午前のテレビを見て静かな新年を迎えることができ、感謝な朝だった。・・・午後、新年の祈り会へ出席。