marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(771回) 神学に必要な「自分で考える」ということ

2021-01-03 23:12:07 | 日記

◆昨年末の12月26日に挙げた”☕ ブログに掲載の”の再紹介。澤瀉久敬(おもだかひさゆき)の著した『「自分で考える」ということ』(当時、角川文庫)の再度の紹介。この「自分」というのは、どこにあるのか、ということが課題だった。今も生きておられ語られているイエスという方が「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」と言い、他のところでは、「自分の命を愛する者はそれを失い、自分の命を憎む者はそれを得るであろう」と言われた相反するようにも読める「自分」についてである。◆医者でもある澤瀉が信仰などとは無関係に、事実としてその著書で語った「自分」とは、「神の愛された自分とは何か」の回答を与えているように思われたのだ。イエスが語られた「神が愛され、永遠の命に導かんとするあなたの真の霊的核(芯)ともなるべく本当の自分に気付き愛せよ(わたしに帰れ)、そして良し悪しにつけ遺伝的にも、肉にまとわりつく生きる過程で多くの雑音にまとわりつかれ、霊的障害をも犯しているその肉の自分と隔絶せよ(憎め)」と言われているように思われるである。パウロが手紙に書き「自分の救いのために励みなさい」と述べた彼の神学は、まさに今、そして後世において世界の人々が読んでくれるであろう、自分の手紙に、誰でもは人はどの時代に生きようと、生きているのは自分であってどこにも似逃げ切ることはできないからだ、命を与え、霊を吹き込み、永遠の命に導かんとしてされて、いつも語りかけられている「真の自分」に気付きなさい、とそう述べているように読めてならないのです。◆人は、真の自分を知り始めたときに、イエスの十字架が見えてくるであろう。生きているイエスに出会いうのは「今生に命ある今と言うこの時にしかないのだ」と・・・続く


世界のベストセラーを読む(770回) ”生と死”について「人間とは何か」 

2021-01-03 22:57:37 | 日記

 ◆新年早々、昨日に続き2日目の朝、BS1のテーマは実に重かった。死者も出るコロナ禍の中、生と死を改めて考えようとしているのか、そして戦争が年を跨いで起こったからなのか。テーマは「巨大戦艦 ”大和” 乗組員の見つめた生と死」・・・戦争は何故、起こったのだろう。やはり、当時は鬼退治か、お山の大将が一番と考える時代だったのだろう。・・・時代、時代。それにしても、すぐ近くの小高い丘のお寺の境内にある石の五重の塔の敷地にも、”軍国の母”と言えばいいのか、その大きな碑が建っている。全力尽くせば、神は願いを聞いてくれるのか、神の目線から外れた肉的次元の勝利を願えば聞いてくれるのか。無用の長物となった「大和」も、巨大空母「信濃」も、大きければ強いと思ったのだろうか。まさに時代と言えばそれまでであるけれど、戦う相手の神を知らなったと言えばそれまでである。日本のそこまでに至る経緯の歴史を学べば、そこに答えが見つかるだろうと僕はいつも思う。艦上員だった吉田満の”戦艦大和”という文庫がある。彼はキリスト者となったことを大木英夫という神学者の著作から知った。◆続いて放映された、アウシュビッツ”死者の告白”。ユダヤ人の中にもソルダーコマンドと言って、ユダヤ人のガス室、焼却を手伝わされたユダヤ人がいて彼らの埋められていた手記が収容所の周囲から見つかり解読されて来たという内容であった。なぜ、人はこんなにも残酷になれるのか。強制収容所を体験したV・E・フランクルの「夜と霧」を見たのは学生の時だったが、かなりショックだったな。彼の精神を支えたのは、やはり聖書だったろうと思う。彼の書いた「人間とは何か」の序には、詩編126.5-6が載っている。どのような人間でも、神は自分に似せて人を創造したと言われた。人を殺めることはその神の似姿を殺すことになろう。”汝、殺すなかれ”と神は言われたのである。・・・Ω