marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(772回) 基本としての『考える主体の「自分」とは何か』

2021-01-05 10:51:26 | 日記

◆『「自分で考える」ということ』、という本の中の ”個性というもの” という章に「自分とは」が書かれていて感銘。しかし、この方は、医者でもあり、学者でもあり、すでに亡くなられていて・・・、そもそも世界の多くの著名な本を残されている方々はご先祖伝来の知能、DNAのレベルが異なるのであろと。けれど、それらもある人々には必要であって、それは、人が自らの「言葉」でもって人それぞれのありようを、その時代、その時代を改善すべく書物に著してきたのものなのだ。だから、時代に影響されていない書物とはないわけだが、なぜならその読者はその時代に生きて読まれていたから。その中でも後の時代に読み継がれるのは、それなりの数段うえの普遍性を述べたてきたからであろうと。◆その”個性というもの”の章から拾い書き留めておく。****「結局、個性的であるとは、自分と言うものを持っているということである」、「個性がなりたつためには統一的な働き、すなわち内的統一がなければならないということになります」、「自分というものは、ただ内的統一の原理であるというだけでなく、外界に積極的に働きかけるものである」、「能動性をもつということは、一言で言えば自由をもつことです。・・・自由のないところには自我はなく、自我のないところには個性もないということになります」、「要約するとこういうことです。個性的であることは自分をしっかりもつことで、その自分とは内部的にも外部的にも自主的な自発性、能動性をもつことである。それは一言で申しますと、自由を持つことであります。だから、自由のないところには自我はなく、自我のないところには個性もないということになります。」(p79~82)この後にさらに、「我々は過去を背負っている存在で、それが文化を作っていくものであると、さらに、人の精神性の一般化、普遍性に及びます。自分の現在とは扇子の要のようなものであり、芸術における普遍性は、それらの個性的なものが自分の内においてより根源的なものに触れているために、同じ根底の上にあるすべてのものと相通ずることとなるのである・・・・」と語られます。◆考える基本としての「自分」の基が、普遍的な時間の流れの根源に触れる。僕が求めている「G」とは、その流れに乗る自分の中の核(芯)となるものを述べているので非常に共感を持って読んだのだった。


☕ つまらないかもしれない普通の人々の哲学

2021-01-05 10:05:42 | 日記

◆AIやDXなどが流行り、これからは人が考える代わりにそれらが、人の思考や五感機能のほとんどの代役を果たしてくれる時代となるだろう。もうすでに多くの願望や欲求を叶うべくゲームや漫画などビジュアル系は、僕らの目からの欲求を満たしてくれている。しかし、受けとる側の僕らの肉体の機能は、どうなのだろう。まったく、僕らの頭脳がそれに順応するかは、別問題だ。それは、基本の知能の優れた親からDNAを受け継いでいない僕らにとって、ますます被享楽者側になっていくからだ。そこにあるのは、結局のところ、そのルートを発展から維持、そして拡張すべく、インフラのためのお金に係わってくるものなのだ結局のところ。その切り替わりの、時期に気を付けないと手段と目的がひっくり返ってしまう。つまり、あのユダのように”命”を”お金”で売るという手段にとって代わる危険性があるからなのだ。◆これは、いつの時代も、人の営み、考えに付きまとうものである。怖いのは、それに気づかないでいることなのである。だから、僕は考える、自分と言う核(芯)を常に確認すること、そこから始めることだ。生まれてからそのままの人は「自分とは何か」などということなど考えもしない。それが普通なのだ。勝手に思うことなのだが、雲水が坐禅を組み、修道者が早朝に祈るなど、その核心が、滔々と流れる命の根源に同期させ、人々の安泰を願い、祈る。命あるすべてのもの。◆人は能力や機能の衰え、存在自体に悩むこともある。しかし、その我らのすべての命をあらしめている存在が、その存在自体を肯定する。誰でも、今あることに肯定がなされるのだ。そして、それに繋がっていなさいと、常に促される。観念的?! 否、とその方は言う。東証がシャットダウンした事故があったでしょう。私が例えたいのはそういうことだと。私が愛して止まない人のドラマも、その舞台のインフラが消滅すればドラマはなくなるのだ。あなたはそれでいいのか、と問うているのだ。普段の中の知られざるその中に、いきいきと生きる哲学があるだ、と。今、まさにその多くの主人公が消されようとしている。世界の死者185万1千人(今朝現在)