marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(852回) 自覚できうる「今生」と「異界」の繋がり

2021-05-04 21:47:14 | 思想・哲学

◆内言語の更新、宗教としての自覚において、精神の平衡を破る恐れのあることの防止、と言わぬまでも、口で自分の言葉に信仰の表明を語りなさいとキリスト教は薦めている。それは、第一に観念的に絵空事に満足、逃避するのではなく、今生にはっきりと自分の存在の自覚を持って足で立つためであるといって言い。これは、先に述べた「精神身体医学」の総括に書いたような内容だ。つまり「自覚」。自分の足で立ちなさいと、イエスは、足なえにコトバを掛ける。新しく生まれることであり、それは第一に彼は死のからだから復活したのだから、あなたも現存する神の霊(コトバ)につながり自覚し、立ち、生きよと。◆宗教に於いての人の目には見えぬ信仰というものを、とことん突きつめていけば、地上のすべての物事が過ぎゆくのだから、語るそのシンボルというものの物体、マリア像やキリスト像、聖異物などは最も僕は駄目なものと思うが、仏教でも仏像などは仕方がないとしても、究極、形あるものに依存する(媒体とする)ことが、神仏に「つながる錯覚<方法>」とは言え、それは「真につながっている」とはいえない。実はこのような事は誰でもが知っていることではないか。本来、信仰を支える媒体となる地上の媒体、シンボルはというものも、更には人の言葉もまったく無用なのだ、と。◆イエス自身が語っている。「私を信じなくても、その業を信ぜよ。」更に、使徒パウロは「神の現れは、被造物から明らかではないか」と異邦人に語る。浄土真宗の親鸞も「阿弥陀仏は形も無くまします。形もましまさぬ故に自然(じねん))とはまうすなり。阿弥陀仏は,自然のやうを知らせむれうなり。」形のない働きを知らせようとして阿弥陀仏と呼んで、実はそれは「方便」なのだと言っているのだ。◆宗派によるだろうが、仏教は真言のような呪文ごときものがある。そもそも、一方的に神仏の力を得て、地上の万物の益としようとするのであれば、その繋がりを得るための合い言葉が必要なのだが、それが呪文なのかは、科学の発達した今であるから、それほど重視されないのであろうが、専門家,所謂シャーマンと呼ばれる人が取り次ぎを行い願いを実現させる行為は、声を出し、空気を震わせるバイブレーションを起こしている訳であるから、その行為の中に「異界」の力を動かす、霊妙なエネルギーがあるのだろう。これは、実は「神の摂理」という見えぬ軌道に波長を合わせているのかもしれないな。僕は小さな頃、護摩体験しているので馬鹿にはできない。


世界のベストセラーを読む(851回) 自己を知る、その基点

2021-05-04 09:15:04 | 思想・哲学

◆先にアップ紹介した「精神身体医学」の著者の見解は、次のようなまとめであった。***「要するに、性格を陶冶し、自制力を養うのが、精神身体障害とたたかう最善の方法である。この障害の原型が正常分娩の苦しみであるとすれば、身体器官の機能について科学的知識をもつこと、すなわち自覚によって、この障害が治癒するということを是非知っておかねばならない。このことは特に大切な教養の問題である。(p109)」***◆僧侶が早朝から坐亜を組み、瞑想するのはなぜなのか、新約において、イエスが祈りを常に行い、天の父との交信を行っておられたというのは、何故なのか? 「いつも喜べ、絶えず祈れ、すべてのことに感謝せよ。」(テサロニケへの手紙5:16-18)・・・専門職だけの人だけへではなく、すべての人類への誰でもへの日常での勧めである。我々が普段では、常に目の前に、否、すべての存在の場に「今」という時にいる自己、それらをなす到達できないその永遠不変と思われる人の言葉を超えたコトバに交信しなさい、と薦められているように促している。◆その基点となる受信機部分は、脳内の扁桃体あたりにあると僕は理解した。それは、意識化できる。それは、仏であるのか、創造者たる神であるのか、それとも何らかの気分的なものだけに過ぎないのか。いずれ、その基点においても、それを僕は<G>と読んでいる訳なのだが、毎朝でも、静かな時を数分でも持って、そのスイートスポットに意識化を図る。と、そこから、主体的に、時を、空間を精密に凝視する主体的な自己が新たに生まれて、出発できるような啓示を受ける。◆しかし、最後に著者は、このような言葉も発しているのである。***「信仰と祈りが治癒をもたらすことは見逃せないが、神秘家のいう神との対面、意識の交流は、普通の情動ストレスと同じように、精神身体の平衡を破る危険がある。」****と。脳内の自覚化の意識は、常に対象としてこの傷つけると痛い肉体にあると、意識が遊離してしまわぬことに注意しなくてはいけない。そうでないと、これも以前アップした「異界」の負の面に引きずり込まれる。あのひんやり冷たい暗闇から覗くぬめぬめした得体の知れない誘惑者・・・。あくまで僕らは明るい陽のもとで思考するよう努力しないといけないのである。