marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(862回) (その4)ベストセラー聖書、深刻な訳の改竄!?

2021-05-20 06:04:56 | 思想・哲学

◆考えて見れば、僕らは真にその人の思うところに同期しようと思えば、直接、その人に対面し話を聞かなくてはいけないということだ。その時代に。しかし、そんなことは当然、無理な事。したがって、昔の人を知ろうにも書かれて残された文章をあてにしないといけない。ところが、同じ言葉を使う同国人であっても、時代によっては文字や、言葉使いが移り変わりのよって元の言葉の意味と変わってきていることがあるから注意しないといけないが、同国人であれば調べればなんとか、少しは本質には近づける。しかし、歴史も異なるそうでない言語で伝える場合は・・・。◆ここで使徒パウロ自身のように、人手によらずイエス・キリストの啓示によるのだと宣言している場合は、彼の肉体における体験は、内なるものとしての告白は事実としても、それを自分の言葉で伝えるといった場合は、まして自分生まれとは異なる国の言語で語り、伝えようとした場合、かなりの制約を受け、制限されたものしか自分の言葉で伝えることができないのではないだろうか、ということを思わなくてはいけない、と。◆先の神学者、田川健三の「新約聖書」”はじめに”と”後の”解説”を立ち読みでも先にお薦めするとは、よく自分を含めて人と言うものがどういうものであるのかということを考えれば、ギリシャ語でパウロが「キリストの信」と書いている言葉を(ギリシャ語でキリストを信ずる信仰と書けば掛けるものをそうしないで)曖昧な「キリストの信」というかなり曖昧な幅の広い言葉で書いたと言うことに対して、翻訳するものが「キリストを信ずる信仰」というような、訳者の意図的な狭い訳を施しては、注意しないと改竄を結果することになるのではないか、と仰せられているのである。◆これは耳障りのよい言葉ばかりを話そうとしている内心体制にのっかているから大丈夫と考えている牧師さん達は真剣に考えて見なければいけないのではないだろうか。田川のローマ書簡の解説にはこう書かれている。***ローマ書簡は、以降のキリスト教2000年の歴史に大きく貢献してきてけれども宗教ドグマにのみ集中するのであればいいけれども、現実はそれではすまんだろう。この人は、自分の信仰と現実生活に取り組む姿勢をどのように対照させ、調和させるか本気になって考えたこともないのだろう、その他多数、と(パウロを非難する)。◆さて、それだからこそ、というか、人それぞれへのキリストと対話する宿題が、詰まり誰でもがキリストと対話する自分の言葉が要求されているのだと(その時代の言葉による哲学、思想なども含め責任が人類に委譲しつつあると、僕は考えてしまうのではあるが・・・)。結局、神学し、現実の今の世に身体的にも苦しまない牧師が多数いない限り、キリスト者がこの国で1%を超えることはないだろう。(だから、問えばいいのだ。伝道するためにあなたはどのように行動されますか、と!)