◆あの評論家、小林秀雄が、蛍を見たとき、あぁ、(亡くなった)おっかー(母親)だ、と思った時があると、又、酔っ払って電車から高架下に落っこちて本来なら死んでもおかしくない状況だったのにおっかーに助けられたんだと思った、という文章を昔、読んだことがある。又、養老孟司先生は、ご自身の体の手術をされたとき、五体の地蔵さんのようなものが迎えにきたような幻覚らしきものを見たという。僕は結局、行かなかったけど・・・と。そして、僕はお墓がすきなんです、という。◆あくまで宗教がらみからの勧めというのは、聞くその当人の内言語にアピールする、つまりそれが能動的に意識化すれば、それを自覚と言うことなのだろうが「異界」からの招待は、生きている人には誰にもあるものなのだ。異界を感じる、それは、動物である人も、体内に電気磁場をもっていると思うから、それへの接近、つまり他人と言う、これも磁場を持っている波長に会うとか合わないとかは当然生じてくることなのだろう。◆異界とは生身の人ではなく、目の前からは消滅したが、受ける側の受像器側が働けば、再生された磁場として呼び起こされるものなのではないだろうか。あるいは、気づかないが取り巻くそれらは、一方向的に誰でもが、周囲に存在しているのだろう。そして、誘導し、あるときは助ける存在となっている。そこに、死角をもたらしてはいけないと、生身の僕らにおせっかいにも自覚し「常に祈れ!」と促しているのではないだろうか。何故なら、再生を願う取り巻く霊は、発展途上の霊としても、また、悪霊としても再び生きた人に入り込もうとしてあるからである。満たされない霊は、人生の宿題を終えるために再び、今生の生身のひとに入り込もうとする。少なくとも、聖書には悪霊に取り憑かれた多くの病をイエスが直した場面が出てくる。「近づかないでくれ、あなたは神の聖者だ!」とその悪霊たちは知っているのだ。◆いずれ地上から胡散霧散していくに意識も亡くなるのだろうか? 三次元にある今生において、分かる言葉で語り、それを生身の声で宣言せよ、との薦めは「復活」にあると僕には思われた。「聖霊」を送る、それにつながれ、いつも繋がっておれと、イエスは語っているのである。