marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(861回) (その3)誰も喧嘩は吹っ掛けないだろう!

2021-05-16 18:01:59 | 思想・哲学

◆”はじめに”と後ろの”解説”を立ち読みでも読まれることを希望する。スピノザが人は逃れることが出来ないといった情念と言い、僕が”しがらみ”と呼ぶものと戦う神学者、田川健三。所謂、信仰者ではなくとも未信者の方が読んでも、彼、独特の言い回しはさておいても吹っ飛ぶようなことが書かれた内容です。作品社からの文庫で、文字が小さいのですが、ちと高額なハードカバーもあるが、聖書が読まれ続ける限り、深く学ぼうとする方には、これも読まれ続けること請け合いです。但し、怒られるけど心情としてキリスト教に個人の信仰心とかの追求しようとされる方であれば、いきなり脱線する(つまずく)ので読まない方がいい。◆限りある人が、時代や風習や伝統や諸々なことがらに影響されず、真なるものを伝えんとするとき、まして自国の言葉で書かれなかった新約聖書に、なぜ、例えば日本語に原書に近い訳ですといいながら聖書を翻訳しても、結局のところ訳する人の思い込み意訳が入り込んでしまっているではないか、という強烈な指摘批判である。言われてみると確かにそうなのだ。書かれた言語、ヘブル語やギリシャ語のプロであるので、正しく、ギリシャ語から言えば、あのパウロの書いた手紙でもギリシャ語としては、杜撰で分からないと批判されている。(これは信仰心の批判ではなくあくまで文献学的に言えばいいか)。そうだったな、パウロも確かに純粋なギリシャ人ではなかったし、第一、一応ペテロの手紙にさえパウロの手紙にはよく分からないところがある、と書いているくらいだから。彼の手紙ばかりでなく福音書もへブル的言語使いが影響している内容だと。解説に書かれている内容には僕は唸った。◆先に書いた青野太潮先生には僕でも疑問に思って手紙を書いたくらいだったが、本には著者の住所まで書かれているが、あまたいる神学者もおそらく田川先生には誰も喧嘩は吹掛けないだろう。ところでパウロの「キリストの信」、「信からの義」と実際訳せるギリシャ語には、深い重要な意味が隠れていると思った次第。