marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(857回) 生死を考慮する今という時に! 

2021-05-08 07:26:30 | 思想・哲学

◆スピノザは言うのだ。生きている人間であるからには情念から自由になることはできない。しかし、それがどうしてそうなのかを考えることができる。その時、人は情念から自由となるだろうと。考えることをやめてはいけない、その行為プロセスに人は自由を見るのだから、と。それは、自分と他とをも相対的に見つめる一段上の思考の次元に立ちつつあるという行為なのだから。人と言う生き物は、個人の思考が普遍化さるよう思考しつつあるとき、(地上に人類を初め、被創造物を生じせしめた神の意図に近づくといったらいいか)、一歩天上に近づきつつある自己に喜びを感ずるものなのではないだろうか。◆台湾の天才オードリー・タンの子供のころの勉強ができるが故にいじめにあった時、彼はモンテッソーリやピアジェの心理学書を読み、どうして彼らはいじめをするのか学んだということだった。人とは、生存を維持すべく動物としての優位性、他への排他性、自分を配下に見ようとする思い込みの恐怖心、自己が地上での優位性を相手に認められないとき相手を不快に思い、排他しようと思うのであろう。◆スピノザは、その胡散霧散の無限や永遠などという言葉に、誰でも思ってしまう実際には手にもって確証できないものには、どこまでも人の生き物としての情念が絡みついて思い込みがあり、その土俵で気がつかず宗教論者は議論し始めているとした。緻密に肉なる人の思考を考えれば、先の「言語と思考」や「精神身体医学」の言わんとすることを考慮すべくもなく、時代に生きる私自身としての動かしがたい生は、確かにそうなのであることは誰でも認めざるを得ないだろう。だから、彼は数学的定理のような著作を残したのである。◆今、毎日、頻繁に生死が身近になっているニュースが飛び交う。人は必ず死を迎える。そこで、生きている時の様々な障害も思えばこの肉体があるからであろうと。イエスは、私は病人を救うために来たのだという。煎じ詰めれば、彼の十字架は、信じる者達のその必然的な死を迎えるその障害たる肉体を彼が担い、代理死を十字架で成し遂げたのであると。◆「私は真理である」と彼は語る。真実であるというのだ。だから信ぜよと。肉体の消滅、しかし、彼は復活する。人類の歴史が終わるまで永遠に生きるものとなった。そこで初めて「真理はあなた方を自由(消滅した情念)にする」となるのである。そこにはいっさいの条件はないのである、と。イエスの父は天地創造、人をも創造したもう神である。命を吹き込み、再び神の住われる天国へ永遠の命を持って共に住みたもうが故に! 生きるプロセスの中で事実生きているという彼との関係を思考する限り、人類は生き続けるであろう。


世界のベストセラーを読む(856回) 宗教界から破門されたがスピノザの心は平安だった

2021-05-08 06:52:27 | 思想・哲学

◆時折、スピノザの解説書などを読むと、ユダヤ教、キリスト教会から破門されたという文言にあうことがある。汎神論者だとう文言を読むこともある。前者について言えば、解説者の「神」概念を知りたく思うのだ。イエスは、頑固な律法者に対し「あなた方は昔の言い伝えに準じ死守ているだけだ」と批判したし、まさにスピノザから言わせればそこに本来、削ぎ落すべく(しがらみ)情念があるのではないかと。そして、後者から言えば、彼は使徒パウロの異邦人に語った説教。「被造物から神の存在は明らかである(なぜなら、神は天地万物を作られたのだからという根拠から)」と語り、これもスピノザから言わせれば、「唯一無限の実態としての神はすなわち自然であり・・・」とされ、誰でも確証を持ち、思考と(後代においては)解析を進めていけば、その様態に神の存在を見出す。。。というようなかなりあらっぽく言えば、そんな考えがパウロの手紙から導き出されてきたのではないかと思われてしまう。◆「万物は神の因果的・必然的法則によって決定されていて、そこには自由(※この自由は注意)はない。それゆえ、道徳の理想は万物を神との必然的関係で直観する、知的認識の完成に求められる。」****スピノザの哲学説には、合理主義、汎神論、物心並行論あるいは物心同一説、徹底的機械論あるは決定論・・・など、スピノザ主義として後世におおいに影響を与えたとされる。◆イエスは言う「真理はあなたがたを自由にする」と。プロテスタントは、神の言葉を大衆のものとした。そして、神学ばかりでなく、パウロがマケドニアで哲学と遭い、神の姿を学ぶ裾野は、それ以降、拡大に広がって時代を超えて全世界に広がっていったのである。その素地には、これも神の摂理といえようか、ユダヤ人の世界へのデアスポラがあった。イエスは、サマリアの女に言う、「救いはユダヤ人から来る」と。宗教と言うタガを外して、今や自分の生死のことして世界に神の救いが知らされている時代であると言えるのである。◆この日本には、東へ向かった多くのユダヤ人たちが来ていたのである。そして理想の国作りを目指していた。彼は唯一の神を信じていたから、その痕跡はいたるところに見ることができる。(書かれた大国主<おおくにぬし>などの昔の神様の絵を見ると髪の毛を頭の両サイドにリボンのように束ねている。あれは今でも熱心なユダヤ教信者にも見られる美豆良(ミズラ)というものでしょう?!)