marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

☕ 備忘録として:尻切れトンボのような過去のブログの補填

2020-12-25 21:13:56 | 日記

◆今まで尻切れトンボのように文章が途切れた、昔のブログについてのその後のメモ・・・「思考の生理学」外山滋比古 著。ブログに書いた後、再販されたものを書店で立ち読み見たけど、昔の表紙をそのまま採用のコビトのかわいらしい挿絵。内容はさっぱり忘れたけど、本棚にあった文庫本も探しても見つからないからBOOK OFFにでもまとめて売ったのだろう。唯一、そうそうと思い出したのは、”ノートの取り方”という章。昔、これ読んだ時、思ったのは、書くことに満足するのではなく、書いた事を覚える方が大事、その内容を活かす方が・・・と思ったことだった。で、逆に詳しくノートに書き留めなくなったことだったな。日記は書いてたがこれとは別。で、手帖に日付を書き、やることの項目を書き、終われば消していくということ、それでメモみたいになるが、日々の達成感はあったかな。決めたやるべき事はやったなぁという思い。そのメモが、その日に出来なければ、次の日に同じことを書くが、当然、細かな思いつきで書くものだから、内容は長いスパンの中でおこなっていくものもあるので、すぐ、長期、中長期などと区分ができてきて、長期、中長期などは、都度、書かなくなり、手帖(つまりメモ同然だから)を捲って、そろそろやらなければな、という思いついた時に、また、気づいた日付の下に書くというようなやり方。ノートとしてとるものは、計算や練習帳を開いたスペースに使うものに限る・・・というような活用になったこと。それで、手帖には挿絵なんかも描いてたな。。。とにかく、手帖はやること(ACTする)のための行動メモとして活用第一を目指したので、見せるものではないので乱筆だらけ。中国の東莞に出張のさいにも持って行き、昼休み窓から見えた景色も手帖に書いたのものを昨年このブログにも載せたので探して見てください。ブログ 2019年11月15日 「世界のベストセラー~(603回)」。


☕ 20日・24日:マスクをかけた不思議なクリスマスの集い

2020-12-25 19:14:27 | 日記

◆「大切なものは、目に見えない!」と 星の王子さまは言いました。飛行機乗り、サンテグ・ジュペリの書いた物語。しかし、今、当たり前と思っていた日常の中で、実は非常に怖いものも目には見えず、世界中を混乱させ、人の命を脅かしています。日本で2番目に感染者の少ない僕の県。20日、教会に小雪の中、久々に礼拝堂に多くの方が集まりクリスマスの集会がもたれました。無論、対策もしっかり行って。世界中のコロナ禍の中で、小さな子供たちは、不自然なあたりまえでない世界のお祝いに、きっと大きくなったら忘れられないクリスマスになったことでしょう。クリスマス・プレゼントをサンタさんは忘れず持って来てくれました。今年は20日、毎年、クリスマスである25日かその前の日曜日に教会では、イエス・キリストの降誕のお祝いの礼拝が行われます。キリストのミサ=クリス・マスです。そして、24日の夜には、クリスマス・イブの夜の礼拝がもたれました。ローソクの灯にキリストの誕生のお祝いを思うとともに、怖い感染が早く終息するように、そしてその為に、日夜、医療現場で頑張っておられる方々を思い、お祈りを致しました。・・・『光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。』(ヨハネによる福音書 第1章5節)


世界のベストセラーを読む(762回) 私の国への神の摂理(「導き」):内村『余はいかに・・・』

2020-12-18 16:11:20 | 日記

2020年コロナ禍の中でアドベントの週、雑然とした本の整理をしていて、気にかかると片付けはそっちのけにして読み出し、内村の『余はいかにして・・・』を再読し、そうなのだと、改めて偉く感動して過ごしている。(この間にも2冊ほど読んだが・・・。)僕のブログで、過去のこの国の歴史や石ころ(内村も地質学や鉱物学を好んだ人であった)にも興味を持つには、何らか同じ気持ちがあるやもしれない。◆第8章キリスト教国にて 12月5日の日記から・・・『神の摂理が私の国民の上にあるに違いないと考えて、いたく感動した。もし、すべてのよき賜物は、神によって与えられるとするならば、私の国人たちの有する、賞賛すべき性格の中には、いと高きところより与えられたものがあるに違いない。私たちは、私たち固有の賜物と恵みとをもって、神と世とに尽くそうとしなくてはならない。神は、20世紀間にわたる訓練によってもたらされた、私の国民の性格が、欧米の思想によって、すっかり取り替えられることを望まれない。キリスト教の美しさは、神の、各国民に与えられたすべての独自性を聖化しうることである。日本人もまた神の民であるとは、さいわいにして勇気のわく考えである。』・・・続く


世界のベストセラーを読む(761回) 内村は、なぜ『無教会』を立ち上げたのかな

2020-12-18 15:26:18 | 日記

アドベント第3週に入っています。あらためて、古典ではなく、自分のこととして現実の理について考えて、そのことはどうなのか、を考えてみたいのです。一つにおいて、キリスト教が、面倒くさい言葉の宗教として、なかなか受け入れがたいというのは何故なのか。しかも、いずれのどの宗教より、すべての人に対して平等であり、神につくられしすべて命ある者を差別なくひとりひとり導いているというのにです・・・。それは、現実、その方が活きておられるという方と会話をするための言葉(自分の言葉)を要求するからでは、ないでしょうか。是非、その言葉をカルチャべートするために聖書(ルターはヨハネ伝とガラテア書をと)を読みなさい。人との比較や誰からの模範などとの見比べなど決してないのです。是非、命のある今の自分の言葉で読んでください。その信ずる方が、観念としてのことだけではなく、活きておられるという「霊」から教えを受けることができるでしょう。事実、そうなのです。キリストが送る『聖霊』にいつもつながっていないさい、といわれるその方です。内村が、当時のアメリカで、様々なキリスト教宗派に巻き込まれ、様々な哲学、神秘主義(スゥエデンボルグなど名前が出てくるが)にあいながらも、その神との会話に媒介として、手段として用いても最終的に、自分神との会話であることを体験していたからなのです。これは、使徒パウロが言ったごとく、「人からによらず、イエス・キリストの掲示によるのです」と自らの信仰を表明したことと同じものと思います。・・・続く


世界のベストセラーを読む(760回) この日本の国の多くの人々のもつ信仰のありよう;内村の「余は・・・」から

2020-12-18 14:09:09 | 日記

 内村の『余はいかにして・・・』などの表題を読むとほとんどの人は、ドンビキするかもしれない。けれど、結局のところ僕が思うのは、いつ、いかなる人においても、宗教とかのジャンル如何を問わず、朝、早く起きて、一日の始まりの前に内面の命ある自己と取り巻くあらゆる環境とのありように点検としての「G」との会話が、あってしかるべきと思われます。そのとき、この本は古典の部類では、決して無く、この日本という不思議な国において、天地創造の神への信仰をもつものは、そしてこの国において、そのために命までかけて伝えようとして世界に宣教に出向いた伝道者は、まったく理不尽の人柄と見えようとも、その源泉を考えるとき、日本の伝道者はこの本を是非、読み続けなければいけないものと思われます。何故か、この日本国の実に多くの人々は、その活き、導いてきた真の神様というものを、古来、そのDNAに持っていると僕は信じているからなのです。彼はいうのです。『ユダヤ人については、「一連の掲示」によって、真の神の知識に至ったと言われています。私は、アジア人も、みな同じであると信じるものであります。』(第8章キリスト教国にて)・・・この国の伝道者といわず神様を知りたいと思う人は、必読の書と思います。それは、2020年の今も世界をみれば、当時、そのありようの予兆をすでに内村は当時のアメリカに見ていたからです。・・・続く