埼玉県比企郡嵐山町にある蝶の里公園・オオムラサキの森という“ビオトープ”の雑木林の中では、ヤマユリが咲き始めています。
比企丘陵を西から東に流れる都幾川の北側の河岸段丘にうっそうとした雑木林があり、この中に、蝶の里公園・オオムラサキの森と菅谷館跡(すがややかたあと)などがつながっています。
蝶の里公園のうっそうとした木陰の雑木林の中で、育っているヤマユリはまだ蕾でした。

現在、ヤマユリがよく咲いているには、菅谷館跡と呼ばれる菅谷城(すがやじょう)の跡地でした。事実上、地続きの“公園”です。
ここは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、武蔵国の武将の畠山重忠の居館・城跡だそうです。
その濠跡とみられる斜面に、ヤマユリが点々と咲いています。



中世の居館・城跡の濠跡なので、見た目は単なる深さの浅い窪地が続いているようにしか見えません。
畠山重忠は鎌倉幕府の御家人だったそうです。その後、現在の菅谷館跡は、戦国時代の初めに、関東管領の山内上杉氏と同族の扇谷上杉氏による「長享の乱」と呼ばれる抗争が起こった時に、山城として使われたと推定されています。
蝶の里公園のうっそうとした雑木林の中を通る小道には、カワトンボ科のハグロトンボがたくさんいます。
草陰に留まったハグロトンボです。胴体が金属光沢で輝いています。

雑木林の小道に留まったチョウです。アサマイチモンジではないかと推定しています。

蝶の里公園には、数10種類のチョウが飛来するそうです。もちろん、オオムラサキも飛来する時もありそうです。
なお、都幾川(ときがわ)は、埼玉県西部を流れる河川です。この都幾川は下流で入間川に合流し、さらに入間川は荒川に流れ込みます。
比企丘陵を西から東に流れる都幾川の北側の河岸段丘にうっそうとした雑木林があり、この中に、蝶の里公園・オオムラサキの森と菅谷館跡(すがややかたあと)などがつながっています。
蝶の里公園のうっそうとした木陰の雑木林の中で、育っているヤマユリはまだ蕾でした。

現在、ヤマユリがよく咲いているには、菅谷館跡と呼ばれる菅谷城(すがやじょう)の跡地でした。事実上、地続きの“公園”です。
ここは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、武蔵国の武将の畠山重忠の居館・城跡だそうです。
その濠跡とみられる斜面に、ヤマユリが点々と咲いています。



中世の居館・城跡の濠跡なので、見た目は単なる深さの浅い窪地が続いているようにしか見えません。
畠山重忠は鎌倉幕府の御家人だったそうです。その後、現在の菅谷館跡は、戦国時代の初めに、関東管領の山内上杉氏と同族の扇谷上杉氏による「長享の乱」と呼ばれる抗争が起こった時に、山城として使われたと推定されています。
蝶の里公園のうっそうとした雑木林の中を通る小道には、カワトンボ科のハグロトンボがたくさんいます。
草陰に留まったハグロトンボです。胴体が金属光沢で輝いています。

雑木林の小道に留まったチョウです。アサマイチモンジではないかと推定しています。

蝶の里公園には、数10種類のチョウが飛来するそうです。もちろん、オオムラサキも飛来する時もありそうです。
なお、都幾川(ときがわ)は、埼玉県西部を流れる河川です。この都幾川は下流で入間川に合流し、さらに入間川は荒川に流れ込みます。
景色はもう真夏の雰囲気です。
菅谷館跡は鎌倉時代の館であり、砦だったことでしょう。
夏本番はこれからですね、ヤマユリもオオムラサキもこれから登場ですね。
うちのオオムラサキもこれからサナギになります。
昔は、咲き出した山百合にアゲハが群がっていたものです。
こうした風景はだんだん少なくなっています。
コメントをいつもお寄せいただき、ありがとうございます。
今日は関東地方は、ある程度の暑さでしたが、猛暑日にはなっていない感じです。風があり、いくらか過ごしやすかった日でした。
そうした中で、7月も中旬に入り、こうした埼玉県の雑木林の中では、ヤマユリが咲き始め、夏らしい感じが強まってきました。
fukurou0731さんはオオムラサキを飼育されているのですか・・。この続篇では、オオムラサキの1齢の小さな幼虫をご紹介する予定です。
山の奧で咲いている雰囲気があります。
ここは、鎌倉時代の城跡なので、夏草や兵どもが・・ですね。
標高581.5mの蓑山(みのやま)の山麓を整備したのが、この美の山公園です。
最近は秩父などの山奧に入らないと、山百合はなかなか見ることができなくなっています。
西瓜が美味しいころですね。