ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

高原を散策しフデリンドウと再会

2010年05月23日 | 佐久荒船高原便り
 長野県佐久市の東側にある、標高が1100メートルぐらいの佐久荒船高原をぶらぶら歩くと、いろいろな春の野草に出会います。春の野草の中で好きなのは、フデリンドウという背丈が5センチメートル程度の小さな花です。探さないと、気がつかないほど小さな花です。“妖精”と感じるほど、かわいらしい野草の花です。



 フデリンドウは道ばたの野草の中に、ひっそりと咲きます。晴れないと見つけられない花です。早朝に毎年咲く場所で探しても、花が閉じている時はあまり見つけられません。花の外側表面は白っぽいため、閉じている花は気配を消している感じです。太陽が高く上がり、陽光が降り注ぐと、花が開いて見つけやすくなります。

 鳥瞰図の上からの眼ではなく、“虫瞰図”の眼で探さないと会えません。約1週間で、開花が終わり、周囲の野草の中に埋没しまいます。荒船高原の中でも、場所によってそれぞれ気候が多少違うため、暖かい所では咲き終わっても、春の訪れが遅い場所を探すと見つかります。

 当ブログの名前に入っている「ヒトリシズカ」も咲いていました。昔は渓流だったような大きな岩が続くような所にひっそりと咲いています。木陰を好むようです。茎が数本並び立ち、その先端の花は白く細長い雄しべが多数付いています。この白い雄しべが印象に残る不思議な感じの花です。




 雄しべの真ん中に雌しべがあるように見えます(?)。花びらなどがない分、地味な感じです。花の咲き始めは茎の周りの葉は褐色気味の濃い緑色です。独特の光沢があります。次第に緑色が普通の草の緑になりながら大きくなります。大きくなると葉は4枚あることが分かります。白い雄しべが目立たなくなると、あまりごく普通の緑色の葉になり、目立たなくなってしまう野草です。

 野草図鑑によると、ヒトリシズカは「センリョウ科センリョウ属」だそうです。名前の「シズカ」とは、源義経のお相手の「静御前」が舞う姿を見立てたネーミングだそうです。でも、実際の花は物陰に咲く地味な野草だと思います。林間の中を踏み分けて岩場を探すと見つかる地味な花です。このブログの名称に用いたのは「ヒトリシズカ」という言葉のイメージだけを考えた結果です。あまり深く考えずに採用しました。荒船高原に咲いていたなという記憶が脳のどこかに残っていたようです。

 林間に分け入って足下をよく見ると、小さなかわいい花が所々に咲いています。背丈5センチメートルぐらいの細い野草は白い花が目立つ時しか気がつかないほどです。その一つがアマナです。ユリ科の野草だそうで、姿はユリを感じさせるものです。その周りには、やはりユリ科のアマドコロも育ち始めています。



 このアマナの花は以前に野草図鑑で調べて名前をやっと知りました。このほかに、やはり背丈が5センチぐらいで花が白いワダソウも時々見かけます。小さいので探すつもりで見つけないと気がつかないほどです。良く見るときれいな花です。気づかずに踏みつけないように、慎重に歩くことが求められます。

 虫瞰図的な観察者の眼で佐久荒船高原のあちこちを見ると、新しい発見がいくつもあります。自然の森羅万象(しんらばんしょう)や生物多様性の一端を感じます。

 同様に、普段の仕事でのインタビューの際にも、虫瞰図的なアプローチを心がけています。新聞や雑誌などからの予備情報に基づく予想でインタビューすると大事な事実を見落とすケースが多いと思います。インタビュー慣れした方から、冒頭に「今回はどんな記事構成を考えているのですか」と良く聞かれます。多くの場合に、私は「特にこれはという記事構成案を持っていません」と答え、インタビュー終了後に構成案を考え始めます。この方が新鮮な驚きを感じながら、インタビューできます。

 事前に筋書きを考えないために、重要なことを聞き落としていることも少なくありません。インタビュー中は、答えを聞きながら、次の質問内容を考えているのですが、聞き落としや確認不足はどうしても生じます。なかなか取材名人にはなれないものです。予断を持たず、現場での受け答えに適時アドリブで対応するには、実力が必要です。日ごろの研鑽しか実力は付きません。

  佐久荒船高原の話に戻ると、長野県佐久市の東側に位置する高原にカッコウとホトトギスの鳴き声が早くも響き渡りました。5月下旬早々に先駆けの一群が到着したようです。でも、いつものカラマツ林の高い梢に留まって鳴くカッコウやホトトギスはまだいません。本格的な群れの到着はこれからのようです。高原に響き渡るカッコウやホトトギスの声は初夏の高原を強く感じさせるものです。東京の地下鉄駅構内でカッコウの声を流している所があります。不自然で好きではありません。本物の鳴き声が感じさせる雰囲気は、高原の静かさと一体です。涼しさとも一体のものです。偽物で和(なご)むことがあると考えた人は、バーチャルな環境が好きなのでしょうか。

佐久荒船高原では、スミレたちが競って咲いています

2010年05月17日 | 佐久荒船高原便り
 長野県佐久市の佐久荒船高原の林間では、スミレなどの背の低い野草があちこちで咲いています。5月初めにやっと早春を迎えた高原では、木々は新芽を吹いて若葉色に染まり始めたばかりです。葉がまだ茂っていないため、林間の地面は陽光があふれています。その陽光を浴びるために、スミレたちは競って咲いています。

 こうした光景は、例年ならば、5月の連休中に繰り広げられます。今年は4月に寒い日が続き、春の訪れが約10日ほど遅れたため、5月中旬になってスミレなどの早春の花が林間で競って咲いています。



 スミレは種類が多く、花の色や形などが似ているものが多いために、正確に名前を知ることが難しい野草です。薄い紫色の花のタチツボスミレ、白色のシロスミレなどがあちこちに咲いています(厳密には同定できていません。植物図鑑を見て、名前を判断しています)。白い小さな花のエゾノタチツボスミレと思われるスミレも咲いています。明確に区別がつけられるスミレは、葉に深く切れ込みが入っているエイザンスミレです。こうしたスミレたちがあちこちに咲く(少し離れた林間では赤紫色のスミレが点々と咲いています。名前は単純に「スミレ」です。林間ごとにスミレの種類が違うのも興味深いことです)。
 
 林間はまだ枯れ葉が目立ちます。その枯れ葉や枯れ枝などの間から、スミレやニリンソウなどがいっせいに芽を出し、若緑色の葉を出し、花を咲かせます。この結果、林間は見事な若緑のグランドカバーで覆われていきます。

 スミレが花を競って咲かせているすぐ傍(そば)に、ウバユリの厚みを感じさせる葉がもう育ち始めています。こうした背の高い野草が成長する前に、スミレは種の準備を進め、次世代を残そうとしています。背の高い野草が育つころには、木々は葉を茂らし、林間はやや日差しの弱い木漏れ日の世界に変わります。

 林間の中の背の低いやぶの中やには、シロバナエンレイソウが密やかに咲いています。



 気品のある白色が美しい野草です。枯れ葉が地面をまだ覆っているある早い時期に、花を咲かせます。すぐに、他の野草は成長し、背の高い野草が茂るために、すぐに目立たなくなります。美しい野草だけに、あまり目立たない方が野草の盗掘から身を守もって、好都合なようです。

 ショウジョウバカマも木漏れ日の中で密やかに咲きます。


 里山では、例えば小川の近くで咲くショウジョバカマは葉の緑も濃く、花の背がもっと高かったとの記憶があります。これに対して、林間の奥に咲くショジョウバカマは花の背が低く、花の色が薄いピンクでかわいらしいのです。この可憐な花は約1週間でしぼみます。このため、自生地をタイミングよく訪れないと、その年は花を見ることができない野草です。

 あまり人気(ひとけ)のない林間でも、野草はそれぞれ次世代を残すために、急いで芽吹き、けなげに花を咲かせ、実をつけて消えています。自然の世界では、熾烈(しれつ)な生き残り競争を繰り広げています。

 桜草も地面から先のとがったような葉を出し、日当たりのいい場所では、花を咲かせ始めています。深山の林間に、一面に桜草が咲く場所があります。この群落ではまだ葉が芽吹いただけでした(今後、桜草の“お花畑”に出会うタイミングがあれば、ご報告します)。ここは人気がないせいか、ヤマドリを見かけることができる山奥です。

 佐久荒船高原の日当たりのいい野草が育ちやすい場所では、ヒメオドリコソウなどが咲いていました。もうすぐ、西洋タンポポがあちこちに咲いて、綿毛の種を飛ばして勢力を拡大させていきます。もうすぐハルジオンとヒメジョオンが咲き始めます。野草はあちこちで激しい勢力争いを繰り広げています。竹も地下茎から新芽を出しています。竹と野草も厳しく勢力争いを繰り広げます。

 高原の林間では、自然の掟(おきて)の厳しさを見ることができます。人間の世界とは異なりますが、生き延びることはなかなか厳しいです。精一杯、生き延びることしか、運命は切り開けないことも自然の摂理です。

 

佐久市の佐久荒船高原にもやっと春が来ました

2010年05月16日 | 佐久荒船高原便り
 5月15日は寒気の高気圧に覆われたため、冬の快晴時のような透明感ある快晴になりました。冷気で春の霞がないため、空が澄んで青く、遠くの八ヶ岳連峰がくっきりと見えました。

 八ヶ岳の中で、天狗岳、硫黄岳、横岳、赤岳は山頂に筋状の雪が残っていてきれいです(向かって右から左に天狗岳、硫黄岳、横岳、赤岳です)。



 その麓は新緑を深めているようです。少し離れた右側(北東側)に見える蓼科山は丸い山頂の残雪が白いベレー帽をかぶったように見えます。夏の野草がもう芽生えていることでしょう。
 
 空気が澄んでいるため、八ヶ岳の左側(南側)には南アルプスの北岳まで見えます。残念ながら、富士山は見えませんでした。夕方に条件がいいと、富士山のシルエットが見えることがありました。

 眺望のいい場所に移動すると、白い尾根が続く北アルプスの山々が遠くに見えます。手前の山並みの間から、遠くの北アルプスが白い屏風のように並んでいます。



 長野県の大町市から白馬村の奥の山々が見えていると思います。山頂の形が特徴的な槍ヶ岳が見えるので、北アルプスだと分かりました。信州は山々に囲まれた町々が点在することが実感できます。

 近くの浅間山の山頂も雪がほとんど無くなっていました。4月末には山頂付近にはまだ筋状の残雪があり、山頂の山肌の凹凸がよく分かりました。約2週間で、春モードから夏モードに切り替わりました。

 佐久市の東側にある佐久荒船高原の向かい側の荒船山は、山頂の岩付近まで新緑に染まり始めました。特異な岩のすぐ下まで、木々の新緑が迫っています。若草色の中に白い桜が咲き、アクセントになったモザイク状の新緑です。

 山の中では、桜が咲くと当たり前ですが、この木は桜だと気が付きます。桜の木は山の中にこんなに多いあるのだと毎年、驚かされます。種類がいくつかあり、花期が少しずつ違います。花がピンクのもの、白いもの、濃いピンクなど様々です。桜の木の大小もかなり違います。古木と若木が適度に混じっています。

 咲き終わった富士桜の木に、ヒガラが数羽来ていました。



 富士桜は小さな花がたくさん咲く桜です。梢から梢にせわしげに動き続けます。かなり長時間いました。カケスも時々来ていました。

 桜の蕾(つぼみ)が好物のウソは、桜が花開く早春に、10羽ぐらいの群れが時々現れます。雄の胸のオレンジ色が鮮やかなきれいな野鳥です。一般的には、ウソは夏場は1500メートルぐらいの高山帯に住んでいます。荒船高原は標高が1100メートルぐらいあるため、本来は高山帯に住むウソが定住しているようです。

 今年は桜の開花時期がずれたため、ウソの群れには出会えませんでした。運が良ければ、早春の早朝に低木の梢に何羽か止まっていることがあります。でも、独特の鳴き声は時々するため、近くに何羽かいるようです。

大学発ベンチャー社長にお目にかかりました

2010年05月10日 | 汗をかく実務者
 仕事に一途に打ち込んでいる方とお目にかかると、「生き生きとしているな」と感じます。自分の人生の進路を自分で決めながら、毎日知恵を絞り出す緊張感あふれる人生を歩んでいると感じさせる方が多いからでしょうか。特に、こう感じさせる方々は、“大学発ベンチャー企業”の社長などの経営陣です。

 これまでの仕事の経緯から、大学発ベンチャー企業を率いる経営陣の方々にお目にかかることが多いです。多忙な彼らからお時間をいただき、事業戦略などの経営のお話を伺わせていただくことが多い、幸運な立場にいます。

 今年4月から今日までの約1カ月間に、大学発ベンチャー企業の社長2人にお時間をいただき、インタビューさせていただきました。また、大学発ベンチャー企業に事業資金を投資するベンチャーキャピタル(VC)のパートナーと呼ばれる責任者からもお話を伺いました。それぞれ波瀾万丈(はらんばんじょう)な人生を楽しく生きていると感じました(研究会や勉強会でお目にかかり、ある程度のお話を伺った方はもっと多いです)。

 先日、大阪大学発ベンチャー企業のナノフォトン(大阪市)の代表取締役社長をお務めになっている謝林さんにお目にかかりました。

 4月13日に、大阪大学の研究拠点であるフォトニクス先端融合研究センターの第2期キックオフ講演会が大阪府吹田市で開催されました。その時に名刺をいただき、「お時間をください」とお伝えしていました。2日後に「明日、東京に行く」とのご連絡をいただきました。

 4月16日午後、埼玉県和光市の和光市駅前でお目にかかりました。謝さんは、独立行政法人の理化学研究所で打ち合わせがあり、早朝、伊丹空港から羽田空港に移動し、午前中に仕事を済ませた後に、お時間をいただきました。「早朝の飛行機で移動するのは大変ですね」というと、(ベンチャー企業の経営者としては)「時間を有効に使うのは当たり前」とあっさり、かわされました。精力的な謝さんは、「今日中に大阪に戻る」という。即断即決が信条のようだ。ご多忙にもかかわらず、事業戦略を熱心に説明されます。話すことで、細部をいっそう詰めていると感じさせるほどでした。

 謝さんは、ナノフォトンによって二代目の社長です。元々は、ナノフォトンとは縁もゆかりもない人生を歩んでこられました。中国の大学院で修士号を取った後に、東京大学大学院の工学系研究科の博士課程に進学し、航空工学を学んだそうです。博士号取得後に公的研究機関を経て、大手機械メーカーに就職し、研究開発にいそしんでいました。

 転機は、自分の研究開発成果を製品化する際に訪れました。製品化のために事業部に異動した時に、製品化・事業化に成功するには、事業化の際のマネージメントが重要なことを痛感したそうです。このため、新規事業起こしに必要なMOT(技術経営)を学ぶために、グロービス経営大学院の大阪校に入学しました。ここで修士号を取るために「睡眠時間が3~4時間の日々を過ごした」と笑います。言うは易く行うは難しです。強い意志がないと、実際にはできないことです。

 MOTを学んだ謝さんは、経営そのものに関心が移ったようです。ちょうどそんな時に、事業での売上高を伸ばす経営戦略を指揮できる人物を探していたナノフォトンの創業者である河田聡教授(ナノフォトン会長)と巡り合ったのです。現在の企業で研究開発者としてそのまま人生を歩むのか、ベンチャー企業に経営者として転職して腕をふるうか迷ったようです。大手企業の安定した地位を捨てることになるからです。結局、自分の人生を自分の判断で切り開いていけるベンチャー企業の社長のポジションを選んだのです。2008年11月のことです。

 自己実現のために、謝さんはリスクを取ったのです。地位は人をつくるとよくいわれます。日々、決断に追われる緊張感あふれる毎日を過ごされています。でも、自分が判断したことを自分で進めていくことはかなり楽しい人生のようです。インタビュー中、謝さんは自分が練り上げている事業戦略を楽しく語りました。一方的に話すのではなく、楽しそうだが、相手がちゃんと理解しているかどうかを冷静に見ながら、話を進める点で、コミュニケーション能力の高さを感じさせる人物でした。

 謝さんは、ナノフォトンが製品化したレーザーラマン顕微鏡「RAMAN-11」を主力製品として海外展開に力を入れる事業計画を進めています(「ラマン散乱」は小難しい物理現象なので説明は割愛させてください)。同顕微鏡は、「計測したいモノの“ラマン像”を高速で作成できる点が秀でている」と説明されました

(このレーザーラマン顕微鏡の画像データの著作権はナノフォトンが持っています。転載を禁止します)

 一般の方は、たぶん「大学発ベンチャー企業て何?」とお感じになる方が多いと思います。この「大学発ベンチャー企業」という言葉は、日本独特の表現です。日本のお手本とされる米国は、多数創業されるベンチャー企業の中で特に「大学発」という冠をつけないそうです。そのベンチャー企業が創業するきっかけの一つが某大学の研究成果であっても、一要素に過ぎないので、特に他のベンチャー企業と区別していません。

 これに対して、日本でのベンチャー企業の創業数は米国などに比べてかなり少ないのが現状です。普通の企業に勤めて、既にできあがった仕組みの中で仕事をする方が、すぐに力を発揮できる可能性が高いからです。日本に大手企業はこのところ、新規事業起こしにあまり成功していません。このため、経済産業省や文部科学省などは、日本の新産業興しを目指して“大学発ベンチャー企業”をたくさんつくる施策を推進しました。日本の研究者の3人に1人は大学・大学院にいるからです。大学・大学院の教員などが生み出す優れた研究成果を基に、ベンチャー企業を多数つくり、日本を活性化させたいと考えたのです。

 日本の大学発ベンチャー企業の実態は、経産省が2009年5月18日に公表した「大学発ベンチャーに関する基礎調査」平成20年度産業技術調査をご参照ください。
 同基礎調査は,事業活動を行っている大学発ベンチャー企業は1809社あると報告しています。この調査は産業技術環境局の大学連携推進課が、シンクタンクの日本経済研究所(東京都千代田区)に委託し,合計2649社のベンチャー企業を対象に調査したものです。経産省の中に「大学」と名が付く課が存在することが時代を表しています。

オオルリのペアを間近で見ました

2010年05月09日 | 旅行
 菅平高原の唐沢の滝の近くでオオルリのペアに出会いました。オオルリをこんなに間近に見たのは初めてのことです。

 5月3日早朝、佐久市から東御市(とうみし)を抜けて上田市真田町を通って菅平高原を上り始めました。午前6時台で菅平高原に向かう車が少なく、のんびりと坂を登っていました。夏に菅平高原に向かう時は、車の数が多く、遅い車を先頭に車列ができます。このため、坂の途中にある見事な渓流は車窓からしか見たことがありませんでした。

 雪解け水が流れる渓流沿いの所々に、渓流釣りの方がもう竿をたれています。山女魚(ヤマメ)か岩魚(イワナ)を狙っているようです。皆さん、釣りの許可の鑑札を帽子に付けています。

 車も少ないので、今回は渓流を見てみようと思い、唐沢の滝の近くに車を止め、滝に向かいました。

 滝に向かう細い山道の周囲は、まだ早春で毒を持つハシリドコロの若草が出始めたばかりです。滝としてはあまり大きくありませんでしたが、山頂からの雪解け水がほとばしるため、滝の水しぶきが遠くまで届いていました。

 道路から少し入っただけですが、深山の趣(おもむき)があり、野鳥がいろいろと鳴いていました。「こんな雰囲気の所にオオルリがいるはず」と思い、辺りを見渡すと、いました。すぐ側の岩陰近くにペアがいました。本当に驚きました。幸運でした。

 オオルリは、10数年間で3回しか見たことがない野鳥でした。見ると得した気分になる野鳥です。これまでに見た3羽は渓流沿いのいくらか離れた木の枝に止まっていました。群馬県下仁田町から内山峠に上がる旧道沿いの崖上部にオオルリが巣をつくると、日本野鳥の会の方から以前に教えていただきました。その方たちは、旧道沿いの渓流越しにそびえ立つ崖の上の方を、バードウオッチング用の望遠鏡で観察していました。新緑に包まれた崖の中に所々、赤いツツジが咲く景観のところです。

 オオルリは人間に気づくと、警戒心が強いためか、すぐに飛び去ります。このため、これまではじっくりと観察したことがありませんでした。バードウオッチング用の望遠鏡でピントを合わせる間もなく飛び去ります。双眼鏡で見る間もありません。

 そのオオルリが頭上の梢(こずえ)に止まっています。逆光で色がよく確認できませんが、オオルリであることは間違いないようです。時々、美声で鳴きます(オオルリは三大美声の持ち主の野鳥だそうです。「日本三鳴鳥」(にほんさんめいちょう)という言葉があるそうです。残りの野鳥はウグイスとコマドリだそうです)。

 気配を消してじっと待っていると、雄が高い梢から降りてきて近くの枝に止まりました。望遠レンズで狙います。自動焦点になっているため、手前の小枝が邪魔してなかなかフォーカスが合いません。オオルリの雄が動かないことを祈りながら、何枚か撮影しました。背中の深い青色(藍色?)は美しいです。光が反射しているような深みのある青色です。

 人間の目には美しい青色ですが、カメラの画像としてはうまくとらえられません。渓流沿いなので、木漏れ日の光が弱々しいためです。シャッタースピードを遅くする間もなく何枚か撮影しただけです(オオルリは画像の中央部にある岩の手前にある枝に止まっています)。


 ヒガラなどのカラ類の野鳥も近くの枝に止まります。野鳥たちは警戒していないようでした。もう少し居続けたい気持ちを残しながら、車に戻りました。今回の目的は長野県高山町のしだれ桜を見ることです。到着時間が遅くなると、車同士がすれ違うのが難しい、道幅が狭い農道が混み始める可能性が高くなります。「この滝にまた来よう」と思って去りました。

 菅平高原のダボススキー場近くでは、サッカーやラクビーなどのスポーツウエアを着た若い人たちが練習を始めるところでした。菅平らしい雰囲気でした。ここから須坂市に向かってきつい坂を下りました。