長野県高山村は遅咲きのしだれ桜の名所です。その中の一つが水中(みずなか)地区のしだれ桜です。約250年前にご先祖が植えた1本のしだれ桜が高台から地域の守り神として集落の方々をいやします。日本の春の原風景を感じる山里が楽しめます。
5月3日に高山村に桜見物に行きました。リンゴの果樹園や野沢菜の“菜の花畑”などの田園風景が広がる斜面を抜けた先の平地に「水中のしだれ桜」は咲き誇っていました。Webサイト「信州高山桜まつり」では満開とのことでしたが、見た感じは満開の一歩手前で、花はまだ散り始めてはいませんでした。今年の春の到来の遅さを反映したものです。
水中のしだれ桜は親木と“子供の木”が2本並んでいます。親木は満開で花びらが散り始めると、花の滝のような感じになります。
以前に訪れた時は、多くのアマチュアカメラマンが撮影ポイントで三脚を競って並べていました。今年は数人が争わずに三脚を立てていました。皆さん、かなり高価なカメラ機材を持っています。桜の美しさを撮影するための高価な投資のようです。
高山村は長野県の小布施町の東側で、志賀高原の南西に位置する松川渓谷の里山です。松川渓谷の奥には温泉郷が点在しています。さらに、その奥は志賀高原の笠ケ岳や横手山です。
高山村には約20本のしだれ桜があり、各地区が大切に守っています。標高が500メートル程度あるため、桜が4月中旬から下旬に開花するそうです。今年は5月の連休が見ごろとなりました。杉林などの森林を背景に人里の一番上で集落を見下ろすように咲く一本桜として絵になるのは、「水中のしだれ桜」と「黒部のエドヒガン桜」でした。
「赤和観音のしだれ桜」は、地区の方々が総出で赤和観音堂近くのやぶを刈り取ってきれいにしていました。観音堂の下側となる、桜の背景となる場所に、もうすぐ咲く山ツツジを美しく見せるための作業だそうです。
作業の方から「昨年、しだれ桜の大きな枝が1本折れ、下から支え技を当てる対策を施した」と伺いました。このため、満開時の迫力がやや薄れたそうです。
しだれ桜の周りの杉林には、防御用の電線が張られ、「電流が流れているので触らないように」との注意書きが貼られています。熊、猿、猪(イノシシ)、鹿などが対象ですが、最近はカモシカ対策にもなっているそうです。防御電線を仕掛ける目的は、畑などの作物を守ることよりも人を守ることが第一になっているそうです。農作業をする方は若くても50歳代で、60歳から70歳が主な担い手の住民なので、「動物に遭遇してけがをすることが一番恐い」のだそうです。のどかな山里では数年経つと、農業の担い手が不足する事態に陥りそうです。
50歳台の“若手”の方々が、NPO(非営利組織)のような組織をつくって、麦などを育て始めているそうです。ある販路を設けて商売として成り立つように活動してるとのことでした。この畑の防御用電線は背が高く、厳重に守られているという物々しい雰囲気でした。
赤和地区は、室町時代・戦国時代にはもう少し上に集落があったそうです。現在は杉林の深い森になっている中の、清水が湧く場所に、集落が開かれていたとのことです。その“遺跡”があるそうです。戦国時代などに、集落のずっと下側の平野などで、豪族や大名(?)同士の争いがあっても、影響を受けない工夫だったようです。でも、この地区の風習は武田信玄以降の甲斐の文化が根付いているとのことでした。川中島の合戦の影響はこんな山里にまで及んでいました。
「坪井のしだれ桜」は桜の古木の下に先祖の墓が並んでいます。
樹齢600年と推定されるしだれ桜は、集落を束ねる役目も果たしているようです。自給自足が基本の集落では先祖の守り神を中心に互いに助け合って存続し続けてきたと感じました。春から秋にかけて美しい自然を楽しませてくれる山里ですが、冬を考えると、なかなか厳しい環境です。だからこそ、春の本格的な到来を知らせる各地区のしだれ桜を大切にしているのだと感じました。山里で食料やエネルギーを自給自足してきた昔の人々の知恵や工夫を少し考えました。本当のエコな生活の在り方を考えるヒントがあると思います。
5月3日に高山村に桜見物に行きました。リンゴの果樹園や野沢菜の“菜の花畑”などの田園風景が広がる斜面を抜けた先の平地に「水中のしだれ桜」は咲き誇っていました。Webサイト「信州高山桜まつり」では満開とのことでしたが、見た感じは満開の一歩手前で、花はまだ散り始めてはいませんでした。今年の春の到来の遅さを反映したものです。
水中のしだれ桜は親木と“子供の木”が2本並んでいます。親木は満開で花びらが散り始めると、花の滝のような感じになります。
以前に訪れた時は、多くのアマチュアカメラマンが撮影ポイントで三脚を競って並べていました。今年は数人が争わずに三脚を立てていました。皆さん、かなり高価なカメラ機材を持っています。桜の美しさを撮影するための高価な投資のようです。
高山村は長野県の小布施町の東側で、志賀高原の南西に位置する松川渓谷の里山です。松川渓谷の奥には温泉郷が点在しています。さらに、その奥は志賀高原の笠ケ岳や横手山です。
高山村には約20本のしだれ桜があり、各地区が大切に守っています。標高が500メートル程度あるため、桜が4月中旬から下旬に開花するそうです。今年は5月の連休が見ごろとなりました。杉林などの森林を背景に人里の一番上で集落を見下ろすように咲く一本桜として絵になるのは、「水中のしだれ桜」と「黒部のエドヒガン桜」でした。
「赤和観音のしだれ桜」は、地区の方々が総出で赤和観音堂近くのやぶを刈り取ってきれいにしていました。観音堂の下側となる、桜の背景となる場所に、もうすぐ咲く山ツツジを美しく見せるための作業だそうです。
作業の方から「昨年、しだれ桜の大きな枝が1本折れ、下から支え技を当てる対策を施した」と伺いました。このため、満開時の迫力がやや薄れたそうです。
しだれ桜の周りの杉林には、防御用の電線が張られ、「電流が流れているので触らないように」との注意書きが貼られています。熊、猿、猪(イノシシ)、鹿などが対象ですが、最近はカモシカ対策にもなっているそうです。防御電線を仕掛ける目的は、畑などの作物を守ることよりも人を守ることが第一になっているそうです。農作業をする方は若くても50歳代で、60歳から70歳が主な担い手の住民なので、「動物に遭遇してけがをすることが一番恐い」のだそうです。のどかな山里では数年経つと、農業の担い手が不足する事態に陥りそうです。
50歳台の“若手”の方々が、NPO(非営利組織)のような組織をつくって、麦などを育て始めているそうです。ある販路を設けて商売として成り立つように活動してるとのことでした。この畑の防御用電線は背が高く、厳重に守られているという物々しい雰囲気でした。
赤和地区は、室町時代・戦国時代にはもう少し上に集落があったそうです。現在は杉林の深い森になっている中の、清水が湧く場所に、集落が開かれていたとのことです。その“遺跡”があるそうです。戦国時代などに、集落のずっと下側の平野などで、豪族や大名(?)同士の争いがあっても、影響を受けない工夫だったようです。でも、この地区の風習は武田信玄以降の甲斐の文化が根付いているとのことでした。川中島の合戦の影響はこんな山里にまで及んでいました。
「坪井のしだれ桜」は桜の古木の下に先祖の墓が並んでいます。
樹齢600年と推定されるしだれ桜は、集落を束ねる役目も果たしているようです。自給自足が基本の集落では先祖の守り神を中心に互いに助け合って存続し続けてきたと感じました。春から秋にかけて美しい自然を楽しませてくれる山里ですが、冬を考えると、なかなか厳しい環境です。だからこそ、春の本格的な到来を知らせる各地区のしだれ桜を大切にしているのだと感じました。山里で食料やエネルギーを自給自足してきた昔の人々の知恵や工夫を少し考えました。本当のエコな生活の在り方を考えるヒントがあると思います。