ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

埼玉県ときがわ町では、ヒガンバナの花の先駆けが咲き始めていました

2012年09月24日 | 季節の移ろい
 埼玉県比企郡ときがわ町では、ヒガンバナやシュウカイドウなどの花が咲き、秋の風情を醸し出しています。

 今年の残暑が長かったために、ヒガンバナ(彼岸花、あるいは曼珠沙華)の花が咲く名所では、花が咲く時期が約1週間ぐらい遅れています。通常ならば、ヒガンバナの名前の通りに、秋分の日前後に、ヒガンバナの花は最盛期を迎えます。

 ところが、今年は記録破りの残暑のために、ヒガンバナの開花が遅れています。ヒガンバナの花の名所である、埼玉県ときかわ町に出かけました。

 ときがわ町に向かう途中にある、嵐山町(らんざんまち)のオオムラサキの森・蝶の里公園に立ち寄りました。武蔵野の面影を残す雑木林が、都幾川沿いに広がっています。

 葉が茂った、オオムラサキの森の木陰の一部に、ヒガンバナの花芽がついた茎が伸び始めていました。ヒガンバナの花が咲いているのは、数輪程度です。



 ときがわ町で、ヒガンバナの花が咲く名所は、花菖蒲園です。6月にハナショウビの花が咲く土手沿いに、ヒガンバナの花が一せいに咲くそうです。その花菖蒲園のごく一部に、ヒガンバナの花芽がついた茎が伸び始めています。

 花芽のついた茎が、あちこちに芽吹いて、数日後には、ヒガンバナの花があちこちで開花する感じでした。





 ときがわ町の町役場近くの花菖蒲園から西側の山里に向かうと、多彩なサクラの木が咲くことで有名な都幾山慈光寺に上る山道があります。時間がいくらかあったので、慈光寺の参道の山道を上って行きました。

 参道の山道の途中に、ヒガンバナの花がいくつか咲き始めていました。





 シャガなどの、緑色の葉などを背景に、ヒガンバナの真っ赤な花が目立ちます。9月下旬に咲き始めるヒガンバナの花は、開花の準備を始め、数日後には満開になりそうです。

 今年の猛暑と残暑の影響で開花が遅れたヒガンバナは開花の準備を進めています。もうすぐ、ヒガンバナの花は満開になります。秋が次第に深まっていきます。

長野県佐久市の佐久荒船高原は、秋分の日の翌日は一日中大雨で濃霧でした

2012年09月23日 | 佐久荒船高原便り
 2012年9月22日の秋分の日の翌日の23日は、日本の中部地方の関東甲信越地方はほとんどが雨だったようです。かなりの雨量だったようです。

 23日の午後3時時点の天気図です。



 低気圧が関東地方近くの太平洋上と日本海側にそれぞれあるために、関東甲信越地方は雨が一日中、降っていたようです。秋雨前線のようです。

 テレビやWebサイトなどに「○○地方は大雨洪水警報」などの警告表示が時々、流れます。

 長野県佐久市の東側に位置する佐久荒船高原も、一日中雨でした。特に、22日の深夜から23日の明け方にかけては、時々、激しい雨が降りました。一夜明けて、23日の朝も雨でかつ濃霧に包まれています。荒船高原の大コスモス園を訪れた“観光客”の車は、すぐに戻って行きます。コスモスの花が濃霧でほとんど見えないからです。

 9月下旬に入り、佐久荒船高原は急速に秋の気配を強めています。佐久荒船高原は、昭和初期にクリの木を積極的に植えられたそうです。当時の鉄道の枕木用に腐りにくいクリの木材を使うために植えられたそうです。

 そのクリの木の子孫が雑木林の大木に育っています。9月下旬を迎え、クリの木は実を多数つけ始めています。





 まだ外観が緑色のイガが雨にあたっています。このイガの中のクリの実は、小さい“ヤマグリ”“シバグリ”です。イノシシなどが落ちたクリの実を好んで食べるそうです。

 木陰では、キノコがいくらか出始めています。





 キノコの名前は分かりません。大部分のキノコは食べられるそうですが、味がいいものは少ないそうです。ただし、今年は個々に放射能測定する必要があります。佐久市からは「今年は食べない方がいい」と説明されています。

 雨は、佐久市から群馬県側の下仁田町から藤岡市まで、午後はずっと降っていました。

 蛇足ですが、埼玉県鶴ヶ島市辺りでは、夕方に一時、雨が上がり、ちょうど夕陽が差して、虹ができました。



 虹はすぐに薄くなって消え、その後はまた雨になりました。秋分の日の翌日の23日は、秋雨の一日でした。

長野県佐久市の佐久荒船高原ではコスモスの背丈が伸び、花が満開になっています

2012年09月22日 | 佐久荒船高原便り
 長野県佐久市の東側に位置する佐久荒船高原は、朝方は濃霧に包まれています。夕方でもいくらか霧がかかっています。その薄く霧がかかった中で、コスモスの花が満開です。

 佐久荒船高原に向かう途中の群馬県下仁田町の市街地は晴れていましたが、内山峠に向かって登って行き、標高が1100メートルから1200メートルある佐久荒船高原に近づくと、霧が出て薄曇りになりました。

 佐久荒船高原の南側にそびえている荒船山(標高1423メートル)の艫岩(ともいわ)には霧がかかっていて、ほとんど見えません。



 薄曇りの佐久荒船高原にある内山牧場大コスモス園のコスモスは背丈が2メートル弱ぐらいまで成長し、コスモスの花で覆われています。



 薄く霧がかかっていて、陽光が差さないために、コスモスの花の色があまり鮮やかではありません。



 背丈が伸びたススキの穂を背景に、コスモスの花がよく咲いています。



 大コスモス園のコスモスも花期を少し過ぎた感じになっています。1~2週間後に、霜が降りると、コスモスは枯れます。秋の日差しを浴びて、コスモスの花がそよぐ風景も、終演が近づいています。季節の移ろいは早いものです。

東京都江東区のお台場にあるthe SOHOというオフィスビルに行って考えました

2012年09月21日 | 日記
 東京都江東区青海2丁目にあるthe SOHOというオフィスビルに行って来ました。SOHOというビル名が示すようにSmall Office/Home Officeのスペースを、事業スペースとして新しく事業を始める起業家の方々に貸すオフィスビルです。

 江東区青海2丁目は、お台場の一角にあるので、東京都臨海新交通臨海線の「ゆりかもめ」の船の科学館駅かテレコムセンター駅の中間にあり、どちらの駅からも徒歩5分ぐらいです。

 このthe SOHOビルは、 仕事を遊ぶようにこなす“クリエーター向け”が謳い文句になっています。このため、13階建てビルは内側が吹き抜けのデザインになっており、向かい側の貸しオフィスの廊下の壁は多彩な色に塗られていて、美しく楽しいデザインになっています。





 このthe SOHOビルには、20歳代から30歳代の若い方が多数出入りしています。若手起業家が実際に起業し、ベンチャー企業などとして新事業起こしを進めている若者が実際にいくらかいるという事実は、現在の日本にとっては明るい話です。

 the SOHOビルをお訪ねしたのは、ここに会社を構えているセラミックス フォーラムというセラミックやガラスなどの新材料の販売会社をお訪ねしたからです。同社を経営している加藤石生さんにお話を伺いに行ったからです(セラミックス フォーラムについては、本ブログでご紹介済みです)。

 同社は2001年8月1日に、熟年技術者3人が創業した“技術商社”です。約11年目を迎え、現在は代表取締役の加藤石生さん以外は、20歳代から30歳代の若い社員数人で事業を進めています。

 ここで話は飛んで、2012年9月10日発行の「日経ビジネス」誌は、特集「隠居べーション 100歳まで働く時代がやってくる」を掲載しています。特集の冒頭に、100歳でも現役サラリーマンを続けている男性や、98歳で現役カメラマンを続けている女性を紹介しています。広い世の中、予想以上の高年齢でも働いている方もいることの実例を示しています。ただし、広い世の中には、こうした方も例外的にいるというエピソードに過ぎません。

 この特集「隠居べーション」が伝えたい真意は、日本では60歳代の定年後でも、自分の得意なスキルを生かして働き続けると、生き甲斐が高まり健康管理ができ、元気に暮らす高年齢者が増えるだろうとみています。すると、少子高年齢化の進行によって増える、医療費が減り、そして日本の社会保障給付額を減らすことが可能になると分析します。今後、80歳代まで働く方がいくらか増えて、ある程度の生活費を稼ぐ高年齢者がいくらか増えると、実は若手や中堅層の社会保障負担が軽くなると示唆しています。この特集が伝えたい真意は、かなり重たい内容です。

 2012年に日本では、100歳以上の方が5万人を突破し、2051年には70万人に達すると推定されてます。高年齢者各人がいつまで働くかは、それぞれの生き甲斐や生き様か絡む難問です。

 ここで話を戻すと、セラミックス フォーラムの加藤さんと、今日ご一緒にお訪ねした方も、たぶん65歳を超えているはずです。お二人ともに、現役で働いている分だけ、それぞれの厚生年金保険は減額され、日本の社会保障負担の軽減に貢献していると推定できます。他人のふところを、あれこれ推定するのは下品なことのですが。
 
 

人間の不老不死を実現した社会を描くSF小説「百年法」を読破しました

2012年09月20日 | 
 最近のさまざまな書評で紹介されたSF(サイエンス・フィクション)小説の「百年法」(発行は角川書店)を読みました。この単行本の発行日は2012年7月31日です。いくつかの書評で注目本として紹介されたためか、最初に行った大型書店では売り切れていました。

 山田宗樹さんが執筆した「百年法」は、上下2巻合わせて、合計800ページ強とかなりのボリュームです。





 かなりの長さですが、読み始めたら面白く、一気に上下2巻を読んでしまいました。

 あらすじは、「1945年に日本は太平洋戦争に負けて、米国が占領し支配下に置いて共和国にする。この際に、米国内で実用化に成功していたヒト不老化技術HAVIを日本人に適用する。HAVIを導入すると、人間は歳をとらず、不死になるため、“百年法”という法律を策定し、HAVIを適用した人間を100歳になると、安楽死させる仕組みを導入する。不死の人間が増えすぎると、後に産まれた若者が活躍する場がなくなる、あるいは子供を産まなくなるなどの不具合が生じるために、“百年法”の施行が不可欠になる」というものです。

 上巻は、HAVIを導入し、百年法の施行実施まで1年を切った2048年から始まります。時の内閣を抱えている政党は、百年法の施行による不人気によって、次の選挙に負けて政権交代に陥ることを恐れ、百年法の施行を本当に実施するのかどうかを国民投票にかけます。その結果は、百年法の施行を一時凍結するというものでした。

 百年法の施行を一時停止するという事態に、政府の内務省の担当者が一計を案じて、弱小政党を盛り立てて、政権を握り、百年法の施行を断行する政策を実行します。下巻は、百年法の施行に反対する反乱者グループなどの話です。

 読み始めたら面白く、一気に上下巻を読んでしまったと報告しました。ぐいぐい読ませる筆力はたいしたものです。でも、再読してみると、細部を構成する各エピソードがその後の布石になってないものが多く、結果的にはこのSF小説は習作だったと感じました。

 例えば、米国が日本にHAVIを導入した理由が不明です。米国でも導入しているのですが、その効果や問題点などの言及もなく、アイデア倒れです。上巻の初めに、日本は食料難になり、昆虫を原料とする“昆虫食”の話も出てくるのですが、ここで完結しています。

 さらに、日本の製造業は実力不足で、米国や韓国などの製品に比べて、性能が劣り、故障がちですが、その理由も不明で、後半の話につながっていません。いろいろと刺激的なエピソードには満ちているのですが、小説の構成には関与していません。小説の骨子は、独裁政権が陥る類型的な話です。

 ヒト不老化技術HAVIという刺激的なアイデアにおぼれた、大変惜しい内容の小説になっています。