おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

再び反戦歌が甦るこの時代

2012年12月03日 07時25分52秒 | 日記
街に飲みに出た最後に寄った場所は中高年対象(マスターは年齢を絞って店をしている訳ではないが、なぜか親父が集まってくる)ライブハウスに行った。♪

店はいままで長い間、中心街から外れた裏通りにあった。細い階段を上がって行くと正面にフラットだがドラムとかマイクロフォーン(今村上春樹を読んでいるのでこんな表現にしてみた)が林立し、エレキのベースギターやらアコギ、フェンダーではない!テルキャスターが立てかけられている。

カウンターがあって階段を挟んで客席がテーブル6,7個というこじんまりした部屋だった。オープンからすぐ偶々通りかかった私が階段の入り口に飾ってあるギターを見つけて引き付けられるように入ったのだ。これがマスターHさんとの出会いだった。

そこを移転するというのはホームページで知っていたし、数日前にHさんから直接電話が掛かって来ていた。

今度の場所はもっと華やかな場所で、「下通り」のアーケード街から離れていないので土曜日の夜の喧騒が店の中に届いてきそうだ。小さな細長い建物の4階にそれはあった。

ここにも野菜を詰めた大きな紙袋をもって、妻が買ってきた移転お祝いの品をもって入った。

入った途端、「ワー先生!!」と置くの席で飲んでいるグループのひとりが立ち上がって叫んだ。

「あれーっ」元の勤め先の女性事務員だった。アイスホッケーのグループの宴会の流れらしい。店を見回すといっぱい席が詰まっている。それになんといっても若い人ばかり。チラホラ50台かな?と思える男がいるにはいる。

いつもだったら必ず常連客の知り合いがいた。だけど知っている客はない。

世代が一つか二つ違う時代の曲が次々に歌われていく。この日は女性が多く、伴奏は客や顔馴染みの店員の演奏で歌っていた。

私の番が回ってきた。かなり飲んでいるので相変わらず緊張もしない。ただうまくギター弾けるかどうかーもともと下手なので酔っていると益々下手さの度合いが増す

「久しぶりに伺いました。阿蘇のど田舎からやってきました。皆さんお若いからアラカンとしては座り心地がよくないなと感じています」

いつもように「教訓」(YOU TUBEの「熟年の弾き語り」で出てきます)を歌い、「生活の柄」を怒鳴った。しかし、インパクトが大きかったようだ。終わって席の戻ろうとすると美人が酔ってきていや違う寄ってきて両手で握手をしてきた。「感激しました

困ったなあー妻が見てるし・・・これでまた揉めるな・・・

ゆっくり時間を過ごして帰ろうとすると最後に「もう一曲」と薦めてくれた。何しろ阿蘇から泊り込みで飲みに来ることは早々はできない。ではあと一曲。

「最後に歌うのは今時代は危うい方向に国ぜんたいが動いています。こんな悲しい時代がほんの半世紀前にあったことを知っていてください」

五つの赤い風船が歌った「まぼろしの翼ととに」を原曲にしてこれに知覧の特攻隊員の遺書から私が曲をつけてオリジナルで歌っているものをスリーフィンガーのアルペジオで弾いて歌った。

静かな心に染み入るような歌を思いを込めて歌った。有難いことに泣いている客もいた。

歌はやっぱりいいなあ・・・

♪♪ 今でも僕は思い出すのさ   あの頃のこと あの日の人

僕と同じ学生だった  国のためと死んでいった

君は若く逞しく 短いいのちだったが  

まぼろしの翼とともに 炎の中に消えていった

君はあの夜私に言った 「恋人と別れてきた」とー
僕は今も思い出すのさ あの時君の眼差し

君が行った次の夜に 悲しい涙であの子は死んだ
もう嫌だ こんな世界は もう二度と見たくない

=大出博紹大尉、飛行第9戦隊昭和20年4月1日出撃戦死=遺書より

こんなに緑が美しい
今日これから死にに行くことさえ 忘れてしまいそうだ
6月の知覧はセミの声

本日13時35分 いよいよ知覧を離陸する
使い慣れたまんn