おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

いよいよ「純と愛」ラストに近付き俄然面白くなってきた!

2013年03月16日 07時37分16秒 | 日記


毎日の楽しみでNHK「朝ドラ」を見ている。

今回は前作からガラッと内容を違え売れっ子脚本家遊川を起用。

現代の社会にマッチした風俗を思い切って取り込んで、ドラスティックに演出。はじめ反発もあったのだがこの時間の他チャンに見たいものがないので仕方なく見続けてきた。

物語は純と愛が大阪の一流ホテルを舞台に、末は「社長」になるために悲喜交々の展開。これが第一部というところかーそして父親の死と母親の若年性認知症の発症でホテルを辞めて宮古に帰ってくる。

これからが第二部。この母親の故郷で昔おじいが経営していた理想のホテルの再建目指して純愛だけでなくすべての家族が結集し都会で壊れた「縁(つながり)」をホテル作りという壮大な夢の構築に向けて縒り戻していく。

宮古で出会った純と愛が結ばれ、「まほうのくに」で愛の離婚した両親が絆を取り戻そうとしているところ。

ストーリーに粗雑さ、荒っぽさを感じないではないが最終回に向け俄然楽しみになっている。

ドラマが大阪を舞台にしたことは武田演じる父親の出身地ということもあろうが、おじいの「まほうのくに」の地宮古島がドラマにしっかり生かされていない。少しだけ付けたりみたいに地元民が母親の同級生という形で出てきたけれど、なぜ宮古なの?宮古の歴史や人情や土俗的なプロットや演出が少なく、あれでは大阪でホテルをやるのとどう違うの?!って感じる。

今朝のを見たところだが、大きな展開があった。

愛が病気で倒れた。

双子で別の兄弟は早く死んでいて、いろんな思いを引き摺っている愛。どうも脳腫瘍かなんか重態になるような・・・

さあ来週で番組も終りになるのだろうか?

ちょっぴり同情しちゃうな・・・

2013年03月15日 07時38分48秒 | 日記



ネットのニュースを見て気になった事件がある。

兵庫県の職員(当然公務員)43歳が食べ放題の店でポリ袋に5キロ余の食物ーピザとかお好み焼きなどを詰め込んで出ようとしたところを見つかったらしい。

それで彼は懲戒処分3ヶ月の停職をくらったという。

食べ放題=バイキングの店は住んでいる地域にもあちこち存在するし、美味しいという評価をしている店には時々行くことがある。

値段は千円から千二百円まで。特に好きなのは蘇陽というブルーベリーの産地にあるそよ風パークのレストラン。ここは地元におばちゃん達が地元で取れる産直の新鮮野菜をその場で作ってくれるので温かいし、田舎料理が多いのだが味がいいのだ。

しかし、滅多に行かないのは「人間の『地』が発現してしまう」ので店を出た時にすごく後悔し自戒するのだ。
「あーあ食い過ぎた

恐らく普段の2倍くらいの量を食べるのではないかと思う。その浅ましさに恥じらいを感じるのだ

太っていて大食漢な自分、この事件に
うーん、この男の気持ちはわかるなあ・・・ピザもお好み焼きも帰ってからまたゆっくり食べたかったんだろうなー食べ放題といっても胃は一定量しか入らない。ギャル曽根じゃないから(もっと食いたい)思いが残っちゃう。

恐らくこの人独身じゃないだろうか?それとも帰って子どもにも食べさせたかった?

店の規定なんだろう。持ち帰りはダメ!まあ知らない筈はないし、常識でも持って帰ることはいかんと心のどこかで感じていただろう。その反省する期間として3ヶ月与えられたのだから、「懲戒免職」にならなかっただけでもよかったと思うことだ。

自戒 自戒 自戒   

有名人の「癌告白」に考える

2013年03月14日 07時40分08秒 | 日記
最近木工で制作した「クマモン

日本アカデミー賞の受賞式で樹木希林が「私は全身がんなので来年の仕事の依頼は請けかねます」と発言、会場は驚きで一時騒然となった。

彼女の場合乳がんからの「全身転移」らしい。

しかし流石に生き方も一流だ。乳房を全摘出して以来病院には行かないことにしたという。

「全身がん」という言葉の発するイメージは暗く重いけれど、インタビューに受け答えしている樹木の表情は気鬱に沈んでいない。

あっぱれ

その精神性が罹った病気に対する抵抗力=免疫力を強化し、体力の衰えを失わないのかもしれない・・・

彼女の生き方=思想に「死」への恐れというものがないのかもしれない。あるのかもあるいはあったのかもしれないが乗り越えているように思う。強い人だ

関西の辛坊アナウンサーも昨日癌を告白した。

十二指腸がんから肺への転移が懸念されているという。

2人に1人が癌にかかるというこの時代、自分がいつ癌になるかわからない。罹るかもしれないし罹らないかもしれない。
できれば罹りたくはない!

都市生活を捨てて田舎暮らしを始めた一つの要素は仕事を定年過ぎても続けることは老齢化していく心身にさらにストレスを抱え込むのでは元気に死ぬという理想は実現できないと考えた。PPKだ、「ピンピンコロリ」だ。

63歳、狭心症を抱え服薬が続いていて「発作」への恐れはあるものの現在は元気で過ごすことができている。

原因を考えてみた。家庭菜園で野菜をいっぱい作っているのだが、これがいろんな面でいい具合に効果をあげているようだ

ストレスフリー(もちろん絶無ではないのだがー)のライフスタイル、畑仕事で体を動かし、そして土に触れること。

肉食中心生活から採れたて野菜をいっぱい食べていること。最近覚えたレシピ、キャベツなどの結球していない葉っぱをジュースにして飲むこと。青汁ということだろうがこれに蜂蜜やレモンを混ぜると野菜の葉っぱが持つ甘さに加えて蜂蜜の自然の甘さが飲みやすくするので実にうまい

これと自家栽培の生姜を摩り下ろして生姜湯にして飲むこと。さらに自家製ゴマを毎日食べるし、ニンニク・ラッキョウもいっぱい作って酢漬けで一年中食べている。

先日血液検査をしたけれど、医者が誉めるくらいにいい結果が出た。

これで体重があと3キロ減れば申し分ないのだが・・・それでも毎日1時間のウォーキングうち40分から60分をごくゆっくりだがジョッグしているのでその効果がやっと出てきた。「正月太り」の体重増加5キロのうち3キロを1ヶ月かけて落とすことに成功した

「ゆっくりジョギング」(ランは心臓に負担をかけるので医師から止められている)の距離を次第に延ばしているので、なんだか自信がついてきた。もうと年も年だから記録=時間はどうでもいい。早足と変わらない速さかもしれないけどウォークよりも充実感がある。

こうして免疫力を高めて少しでも病気を予防しなければと考えている。

NHK『いつか陽のあたる場所で』は良かった

2013年03月13日 07時26分53秒 | 日記


昨夜で「いつか陽のあたる場所でー」が終わった。

WBCが始まって日本の試合ぜーんぶ観戦応援してきたのだけど、昨夜は途中でチャンネルを切り替えた。

野球は8対1で楽勝かと思って気楽に酒を飲んでいたのだが7回、8回に5点を取られ危うくなったところで10時になった。

日本チームの踏ん張り特に投手陣のがんばりに期待して切り替えた。なにしろ我が家にはビデオをないし、画面に半々で別チャンネルが映るような器用なテレビでもない。ここは一発、見る価値がどちらが重いかを判断するしかない

一方は連続ドラマの最終回、ストーリーの展開が読めていないところがあるのでこちらに決めた。

ドラマは乃南アサの小説をドラマ化したもので、女で前科を負い刑務所を出所した者二人が互いに励ましあいながら生きていく物語。

その主人公が上戸彩と飯島直子

二人の演技は秀逸だった!!なにか賞を与えたい。例えば「南阿蘇おやまファームランド賞」でジャガイモ30kgとかどうだろう・・・

上戸の「前科」の知られることに怯えそれでもいざとなったら抗うことなくその場を静かに去っていく。その控えめで暗い過去を負っている者の不安と絶望の表情はすごく良かった一方飯島は子どもを守るために夫を殺害してしまうのだが5年のつとめの後、パン屋で働く。過去を隠し、健気に明るく振舞う対照的な二人の前にムショで一緒だった坂井真紀が現れ二人の過去を暴いてしまう

飯島はパン屋を首になる

弱さを二人で庇いながら生きてきたが、飯島は子どもとの再会、そして別れ。東京の下町が舞台だが、温かい近所の人々との交流なかでも交番のおまわりさんを演じたお笑いの何某は面白かった。

脇役で出ていた江波杏子はびっくりするほどきれいだった。もう70近い年と思うのだがー
そして上戸の母親浅野温子も最終回上戸と再会し、冷たく拒絶していた娘なのだが実は隠れて上戸を応援していたこと。再開で抑え切れない「母性」をいっきに吐き出していく場面ー浅野の涙はすごかった!さすが役者だなー

乃南はいっぱい読んでいるのだがこれは未読だった。こんなぱっぴーえんどの結末を書いた小説も書くんだ・・・


悲しみに思う

2013年03月12日 07時24分52秒 | 日記

震災2周年の昨日、大切な生徒の義父の葬式に参列した。

すでに卒業して20年ほどかー実に細やかに気を配ってくれる子で、私の両親の葬儀にももちろん出席してくれた。阿蘇の家にも夫婦でそして子どもが増える度に子連れで遊びに来てくれる。

ご主人もバスケが好きで最近まで社会人のクラブで活動していた。そして酒が好きで遊びに来るたびにビールから焼酎まで付き合ってくれる。

子どもが大好きで優しく、卒業生の妻にも頼りがいのあるりっぱな男性だ。

そのお父さんが癌で亡くなった。男手一つで兄妹を育てられた。家は熊本市内で銃砲店を経営されていた。

会場に入るとすぐ姿を認められて駆け寄ってこられた。そして顔を見ると涙が溢れている。

言う言葉が見つからない。

きついね」とだけー

葬儀の最後に喪主として挨拶に立たれた。そこでも生前に繫がりのあった友人、仕事関係、近隣の人への感謝を述べ、そしてこれからも家族一同手を携えあいながら一緒懸命生きて行きますのでどうぞご指導とご鞭撻の程をよろしくお願いします・・・と泣きっぱなしのぼろぼろの弔辞だったが心温まる挨拶だった。

人は必ず死んでいく。これこそ致死率100%の存在なのだ。死ぬ時にその人の「来し方」がわかる。そして見送る人の姿にその人の真実のこころが見える。

ご遺体を車に乗せ、最後の挨拶をしようと言葉をかけた。

涙で声が詰まりながらだったが言った。「きつくなったらいつでも南阿蘇にお出でー待ってるからね