とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

東北新幹線のトラブルが頻発するのはなぜか。

2025-03-08 10:13:49 | 山形新幹線
東北新幹線の連結が外れるトラブルが起き、東北新幹線が混乱している。これは去年もあったことだ。東北新幹線のトラブルは最近頻繁に起きていて、昨年は架線トラブルもあった。

先日は雪のための運休があった。雪のための運休は自然現象であり、しょうがないといおう意見もあろうが、山形新幹線で起きた除雪車の脱線は、人為的なミスと考えた方とも考えられる。今年のその時の雪は確かにすごかったが、山形県ではこれ以上のゆきも何度も経験している。決して想定外ではない。ただ雪のせいだからしょうがないですませていいものではあるまい。

つい先日、山形県山形市のJR山形駅を出発するはずの列車に、車掌が乗り遅れる事案があった。そのために出発が遅れたという。ここまでひどい事案はめったにない。

JRのトラブルは明らかに増加している。これらの原因はどこにあるのか。

おそらく安全よりも経済性を優先してしまい、効率化に舵を切ったからであろう。人員も削減され、従業員も苦しい状況に追い込まれている。これは結果的には利用者の安全を脅かすことになるはずである。

2022年8月、山形県置賜地方の集中豪雨が原因で、米坂線が大きな被害に遭い、現在、今泉駅 - 坂町駅間が長期運休となっている。復旧に大きな金額がかかるということで、復旧の見込みが立っていない。

陸羽西線も2022年以降運休している。当初の予定では2024年に再開するはずだったのだが、いまだに再開のめどがたっていないようだ。

これらの地域は私が子どものころは過疎ではなかった。それぞれの地域に文化があり、みんなが未来を信じていた。しかしここ50年ですべてが変わった。山形県のほとんどの地域は子どもが少なくなり、100年後に存続できないのではないかと思い始めている。存続したとしても過疎としての存続である。だから県もJRも見放したくてしょうがない。

資本主義の暴力性がそこにはある。

JRの事故の裏には、現在の日本の、いや世界の現実が見えるような気がする。

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高校無償化を批判することはできないが

2025-03-06 17:11:18 | 教育
 結局高校無償化が決定したようだ。確かに教育予算の少ない日本にとって悪いことではない。だから批判のしようがない。しかし本当によいことなのかは、冷静に判断しなければいけないし、そこをしっかりと検証するのがマスメディアであろう。

 今回の高校無償化の問題点は、私立高校に進む生徒には多額の恩恵があるのに対して、公立高校に進む生徒にはそこまでの恩恵がないということである。少子化の問題があるので、高校生の授業料を免除するのは悪くはない。しかし公立高校に進学する生徒の方が損をしているような気持ちになるような補助の在り方はどうなのだろうか。私立高校は部活動も盛んで、さまざまな特色がある。宣伝もしっかりとしているし、その地方の主要都市にある。中学生にとって魅力があるのである。地方の県では進学校は公立に偏っているところはまだ多い。しかしそういう進学校以外の学校は、主要都市以外にあることが多く、そこはだれも行きたがらなくなっているのである。それは地方の消滅をうながすことになろう。

 今回の改革が意味のあるものにするのだとすれば、さらに公立高校のハード面、ソフト面での改革が必要になる。まずは公舎の改築の推進が必要だ。前回も書いたが、公立高校の校舎は古いままである。私立に比べてひどい。なんとかしてほしい。同時に、部活動の地域移行を進める予算をしっかりと確保してほしい。私立は今だに部活動を推進している学校が多く、それが魅力になっている。公立はそれを見直すおすのだから、地域に部活動移行が推進できるように、指導者の確保と、その指導者の賃金、活動場所の確保などをしっかりとやっていだだきたい。それができないで、ただ、高校無償化と言っても、なんのための改革だったのかがわからなくなるような結果になることは目に見えている。

 教育改革のなれのはては、結局は金にまみれた世界だったのかと頭をかしげたくなる。
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高校無償化と公立離れ

2025-03-03 17:43:58 | 教育
 高校無償化は公立離れを起こすと言われている。山形県のような貧乏県は、金持ちが少ないので、所得制限に達する保護者が少なく、結果としてすでに公立離れが始まっている。公立の平均倍率は0,8倍となっており、特に影響が大きいのは、都市部以外の高校である。ほぼすべて定員割れとなっており、実質入試の必要もない。「名門」と呼ばれる学校でさえ、年によっては定員割れを起すケースが生じてきている。

 なぜか山形県では私立高校が10年ほど前、一斉に私立高校では校舎や体育館が建て替えられたり、グラウンドが整備されたりした。公立高校はボロ校舎だらけなのにである。山形県は私立高校にシフトしているのは明らかである。

 おそらく山形県知事は公立高校をなくして、教員の数を減らし、学校の維持費と人件費を減らそうとしているに違いない。しかも気になるのは県知事の親戚が私立高校の理事長であることである。このことも関連しているのかもしれない。

 いずれにしても、ここまで公立離れが進んできて、今回の所得制限の撤廃が行われれば、山形県の公立高校の大半はいらなくなるだろう。しかしそれによって、地域によっては人口減に拍車をかけられるに違いない。地域の人口減に拍車をかけ、地域を消滅させようとしている。そういう政策を行っているいまの県知事を認めていいのだろうか。

 今年の知事選では対立候補が出ず、福島県の当選するつもりもない男が立候補して無意味となった。田舎というのはこういう場所なのだ。むなしくなる。

 こんなことを言うと、お前が立候補しろとか、さっさと引っ越せとか言われるのだろうが、そこまでの金はない。じっと今はじっと耐えるしかない。何とかして宝くじを当てて出て行きたいものだ。


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映画『ブルータリスト』を再見しました。2

2025-03-01 16:03:20 | 映画
前回の続きです。

ラースロートとハリソンが愛し合っていなかったら、ハリソンはシラをきりとおせばよかった。しかしそうしなかったのは、ラースロートとの愛の終焉に自分の人生の終焉を確信じてしまったからに違いない。

こう考えれば、ラースロートは妻を裏切ったひどい男であるのは明らかだ。ではハリソンはどうなのか。ハリソンもラースロートの夜の生活を維持するために、エリジュベートをニューヨークに住まわせることをしている。明らかにエリジュベートを騙している。アメリカの資産家の胡散臭さを体現している人物である。

ランスロットもハリソンもブルータリストであったのである。

もちろん彼らの人間性だけの問題ではない。それは時代が作り出したものである。だからこそ時代を超える芸術に救いを求めるというのが、この映画のひとつのテーマではなかったのだろうか。

この映画を見て、前半はよかったが、後半になってついていけなくなったという意見を多く見た。私も最初に見た時そうだった。前半はアメリカンドリームの物語であり、それに胸を躍らせながら見ていた。しかし後半はひどい話になっていく。これはアメリカンドリームが虚像であるであるということを示している。あきらかにアメリカ批判の映画である。さらにアメリカ批判だけでない。ユダヤ人も批判するセリフもある。世界は虚像でしかない。その虚像の中でわれわれは生きている。おろかな人間の姿がそこにはある。しかし愚かな人間が必死に未来に残るものを作り上げて行こうとする。その営みを描くことがこの映画の目的だったのではなかろうか。

残された謎もまだまだ多い。その中でも一番引っかかっているのはジョーフィアの存在である。この映画ジョーフィアから始まり、ジョーフィアで終わっているのだ。彼女の役割がまだよくわかっていない。また、エリジュベートにも謎が残っているように感じている。まだ何か見逃していることがありそうである。

さて、この映画、謎解きをしていくことによって面白味が増すのは確かであり、優れた映画であるのは明らかだ。しかしこれが、評価すべき映画であるのかは、もう少し映画と語り合う必要があろう。またしばらく考えてみたいと考えている。そして動画配信がはじまったら、ノートにとりながら考えてみたい。そうしてみたくなる映画なのだ。
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映画『ブルータリスト』を再見しました。1

2025-02-26 18:08:50 | 映画
長い映画ですが、どうしても気になったので早速もう一度見ました。一番気になっていたのは、ラスト近くに主人公の妻エリジェーベトが、資産家のハリソンの家に行き、ハリソンを夫の強姦魔だと非難した場面であった。いつ強姦したのかが、明確にとらえられなかったのである。再見してその事情がわかってきた。

主人公のラースロートはユダヤ人への迫害からの逃走中、列車から飛び降り鼻を折った。その痛みから逃れるために薬物を使用した。その薬物に時々世話になるようになった。この薬物を使ったセックスにおぼれるようになった。そのことは、骨粗しょう症の痛みでくるんでいるエリジェーベトに、窮余の策として薬物を注射したときに明らかになる。ラースロートは自分も薬物を注射しエリザベートとセックスするのである。

映画を最初から振り返ってみると、ラースロートが薬物を摂取した症状を明確に見せている場面が何度か出て来る。

最初は友人アティラ夫婦に食事に呼ばれた場面、夜中にアティラの妻と語っている場面、明らかにラースロートは薬物を摂取した状態である。この時、アティラの妻とセックスをしたのではないかいうことが匂わされている。

次にハリソンの家に招待された時、ラースロートはハリソンに自分の芸術観を語り、ハリソンはそれに感動し、ラースロートを真に認める。その夜ラースロートは明らかにおかしくなり、ゲストハウスに泊まらせられる。そして次の日ハリソンもかなりおかしい。ふたりとも薬物を摂取したことが匂わされている。すでにふたりは肉体関係を持ったのだ。

アメリカに来て友人になったアフリカ系のゴードンとも関係を持ったようである。

最初の方に売春宿での行為ももしかしたらそうかもしれない。

このようにラースロートは薬物によるセックスにおぼれていく。アメリカで再開したエリジェーベトを抱けなかったのもそこに起因しているのだと考えられる。薬物のないセックスでは興奮しなくなってしまっていたのである。

ラースロートはエリジェーベトとのセックスの最中に、ハリソンとの性の関係を告白した。そのときにハリソンに犯されたと言ったのだと考えられる。だからエリジェーベトはハリソンの家に怒鳴り込む。しかし、ハリソンはラースロートを強姦したわけではない。ハリソンはラースロートを真に尊敬していた。ラースロートはハリソンを理解者として認めた。ふたりは、実は愛し合っていたのである。

これを読み間違えるとこの映画を間違えて解釈してしまうのではなかろうか。

このことを踏まえてこの映画の意味を考える必要があるのだと思う。

続きます。
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