東北新幹線の連結が外れるトラブルが起き、東北新幹線が混乱している。これは去年もあったことだ。東北新幹線のトラブルは最近頻繁に起きていて、昨年は架線トラブルもあった。
先日は雪のための運休があった。雪のための運休は自然現象であり、しょうがないといおう意見もあろうが、山形新幹線で起きた除雪車の脱線は、人為的なミスと考えた方とも考えられる。今年のその時の雪は確かにすごかったが、山形県ではこれ以上のゆきも何度も経験している。決して想定外ではない。ただ雪のせいだからしょうがないですませていいものではあるまい。
つい先日、山形県山形市のJR山形駅を出発するはずの列車に、車掌が乗り遅れる事案があった。そのために出発が遅れたという。ここまでひどい事案はめったにない。
JRのトラブルは明らかに増加している。これらの原因はどこにあるのか。
おそらく安全よりも経済性を優先してしまい、効率化に舵を切ったからであろう。人員も削減され、従業員も苦しい状況に追い込まれている。これは結果的には利用者の安全を脅かすことになるはずである。
2022年8月、山形県置賜地方の集中豪雨が原因で、米坂線が大きな被害に遭い、現在、今泉駅 - 坂町駅間が長期運休となっている。復旧に大きな金額がかかるということで、復旧の見込みが立っていない。
陸羽西線も2022年以降運休している。当初の予定では2024年に再開するはずだったのだが、いまだに再開のめどがたっていないようだ。
これらの地域は私が子どものころは過疎ではなかった。それぞれの地域に文化があり、みんなが未来を信じていた。しかしここ50年ですべてが変わった。山形県のほとんどの地域は子どもが少なくなり、100年後に存続できないのではないかと思い始めている。存続したとしても過疎としての存続である。だから県もJRも見放したくてしょうがない。
資本主義の暴力性がそこにはある。
JRの事故の裏には、現在の日本の、いや世界の現実が見えるような気がする。