長い映画ですが、どうしても気になったので早速もう一度見ました。一番気になっていたのは、ラスト近くに主人公の妻エリジェーベトが、資産家のハリソンの家に行き、ハリソンを夫の強姦魔だと非難した場面であった。いつ強姦したのかが、明確にとらえられなかったのである。再見してその事情がわかってきた。
主人公のラースロートはユダヤ人への迫害からの逃走中、列車から飛び降り鼻を折った。その痛みから逃れるために薬物を使用した。その薬物に時々世話になるようになった。この薬物を使ったセックスにおぼれるようになった。そのことは、骨粗しょう症の痛みでくるんでいるエリジェーベトに、窮余の策として薬物を注射したときに明らかになる。ラースロートは自分も薬物を注射しエリザベートとセックスするのである。
映画を最初から振り返ってみると、ラースロートが薬物を摂取した症状を明確に見せている場面が何度か出て来る。
最初は友人アティラ夫婦に食事に呼ばれた場面、夜中にアティラの妻と語っている場面、明らかにラースロートは薬物を摂取した状態である。この時、アティラの妻とセックスをしたのではないかいうことが匂わされている。
次にハリソンの家に招待された時、ラースロートはハリソンに自分の芸術観を語り、ハリソンはそれに感動し、ラースロートを真に認める。その夜ラースロートは明らかにおかしくなり、ゲストハウスに泊まらせられる。そして次の日ハリソンもかなりおかしい。ふたりとも薬物を摂取したことが匂わされている。すでにふたりは肉体関係を持ったのだ。
アメリカに来て友人になったアフリカ系のゴードンとも関係を持ったようである。
最初の方に売春宿での行為ももしかしたらそうかもしれない。
このようにラースロートは薬物によるセックスにおぼれていく。アメリカで再開したエリジェーベトを抱けなかったのもそこに起因しているのだと考えられる。薬物のないセックスでは興奮しなくなってしまっていたのである。
ラースロートはエリジェーベトとのセックスの最中に、ハリソンとの性の関係を告白した。そのときにハリソンに犯されたと言ったのだと考えられる。だからエリジェーベトはハリソンの家に怒鳴り込む。しかし、ハリソンはラースロートを強姦したわけではない。ハリソンはラースロートを真に尊敬していた。ラースロートはハリソンを理解者として認めた。ふたりは、実は愛し合っていたのである。
これを読み間違えるとこの映画を間違えて解釈してしまうのではなかろうか。
このことを踏まえてこの映画の意味を考える必要があるのだと思う。
続きます。