スキーマについて前回書きました。スキーマと言うのは学習上重要な概念であり、スキーマを作り上げるのが教育の目的ではあります。しかし、スキーマはステレオタイプに陥りやすいという欠点もあります。一度出来上がったスキーマはかなり強固なものであり、万一変なスキーマが出来上がってしまったら、取り返しのつかないことになってしまいます。具体的には差別などです。
これは教育ばかりの責任ではありません。社会全体での思いこみも間違ったスキーマを作り上げることになります。世界の対立はそういう所から生まれているわけなのでこれも注意しなければいけません。
また、間違ったスキーマは逆に教育効果を大幅に下げてしまう危険性があります。だから教育者は有益なスキーマを作る必要があります。
スキーマについての、別次元の大きな問題として、スキーマを身に付ける方法は簡単ではないと言うことです。小さい子供ならば遊びの中で身に付けて行きます。しかしある程度の年齢になると遊びだけではうまくいきません。そもそも遊んでいる時間もそんなにとれないのです。訓練が必要になります。とは言え、それが強制的なもので、本人がやる気がないのにやらされている場合はうまくいきません。宿題をたくさん与えてもなかなか見に付くものではないのです。かと言って、自主性にまかせてばかりいてはまったく無意味です。かつて「ゆとりの時間」の失敗はそこにあるのです。
教育は試行錯誤の最中です。一番危険なのは試行錯誤のくせにこれをやれば効果が上がると偉そうに言う研究者です。東大の教育系研究者なんて、はじめっからできた人間だから、スキーマを作る苦労なんかわかりっこないのです。
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