とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「世界をつくり替えるために」2

2022-05-27 14:42:23 | 国語
 東京書籍の『精選現代文B』の冒頭に小林康夫氏の「世界をつくり替えるために」という教材がある。この教材を「クリティカル」に読む。2回目


 この教材の一番のポイントは「第二段落」の形式段落④の部分だ。

 引用する。

 鳥は、本当に自由なのだろうか。私はそうではないと思う。鳥はいわば空の中に閉じ込められている。魚も同様で、水の中に閉じ込められている。鳥は空を「空」とは呼ばず、魚も水を「水」と名付けることはない。人間がするようには自分の住む世界を対象として捉えることがないからだ。人間は言葉を用い、空を「空」と呼び、海を「海」と名付けた。いわば世界と自分をはっきりと分けて認識している。その意味で人間は、世界に閉じ込められてはいない。言い換えれば人間は、鳥や魚と同じような意味では「自然(=世界)」の中に生きていない。恐らくこのことが、人間、とりわけ若い皆さんが世界と自分との間にズレを感じる理由だ。

 人間は若い時に、孤独感や違和感、あるいは世界との「宿命的なズレ」を感じる。筆者はその原因は「人間が自分の住む世界を対象としてとらえるから」だと言う。この「世界を対象としてとらえる」とはどういうことか。

 鳥にとっては「自分が空を飛んでいる」という認識はない。何の認識がないまま生きているだけである。それを人間が「鳥が空を飛んでいる」と認識しているだけである。人間は「鳥」や「空」を対象化し、認識しているのだ。

 人間は自分自身の住む世界も対象化し、そして自分自身をも対象化する。自分を対象化した人間にとって、「自分」は特別な存在である。人間は「自分」を大切にして、自分にとってよりよい世界を望むようになる。必然的に現在の世界が理想とは程遠いものとなる。そのために「孤独感」、「違和感」、「宿命的なズレ」を感じるようになるのである。

 さて、人間が物事を対象化するために必要なものは何か。それは言葉である。言葉を物事に与えたことによって、それが対象化されるのだ。つまり人間は言葉の発明によって、物事を対象化することになり、それによって「孤独感」、「違和感」、「宿命的なズレ」を感じるようになるのである。つまり、言葉を使う人間が世界とのズレによって苦しむのは必然なのだ。

つづく
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「世界をつくり替えるために」

2022-05-25 07:44:00 | 国語
 東京書籍の『精選現代文B』の冒頭に小林康夫氏の「世界をつくり替えるために」という教材がある。来年から新課程になるため教科書が変わり、東京書籍の『精選論理国語』からは外れているようであるが、やさしめの『新編論理国語』には残っている。小林康夫氏は東京大学の先生をしていた哲学者で、東大の教養学部の教科書『知の技法』を作った人である。この「世界を作り替えるために」という教材も、高校生になぜ学ぶのかを考えさせる教材となっている。この教材を「クリティカル」に読んでみたい。(といいながら、まだ私は「クリティカル」の意味が本当はどういう意味なのかがよくわかっていない。)

 この教材のあらすじは次の通りだ。

(第一段落)
・みなさんは自分と世界の間に宿命的なズレを感じることがあるはずだ。

(第二段落)
・人間は他の動物とは違い、ものごとを対象化し、他の動物にとっては「当たり前」であることにも、違和感を覚え宿命的なズレを感じる。
・だから人間は世界を学び、世界を自分に合うように作り替えなければならない。
・学ぶことには二段階ある。自然を学ぶことが第一段階であり、自然を学んだ人間がつくりだしたものを学ぶことが第二段階だ。この第二段階のために学校がある。

(第三段落)
・学ぶことの第一歩は、好き嫌いの感覚を停止して、考えること。もう一つのポイントは、全体を見ること、それと同時にその中の特異点ををつかみ、全体をもう一度作り直すこと。

(第四段落)
・世界と自分の間に感じられるズレの中に未来の「種」がつまっている。考え抜き、心の中に「種」を宿しておくことが今は大切だ。

 (つづく)

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「こそそめスープ」

2022-04-16 07:33:57 | 国語
 東京書籍の『新編現代文B』の一番最初に村田沙耶香さんエッセイ「こそそめスープ」が掲載されている。このエッセイはおもしろい作品である。

 筆者は大人になるまで「コンソメスープ」を「コソソメスープ」だと思い込んできた。「コソソメスープ」が本物のスープの名称なのだが、たいていはレトルトなどのインスタントスープであり、そういうまがい物の「コソソメスープ」を、ちょっと馬鹿にして「コンソメ」という名称を与えたと思い込んでいたのだ。現実には「コソソメスープ」と誰も言わないのは、本物の「コソソメスープ」は高級レストランでしか食べることができず、一般庶民が食べるのはまがいものの「コソソメスープ」しかないからだと筆者は解釈していた。筆者はこの勝手な思い込みを真実だと疑わず大人になった。

 ある時それが間違いであったと気が付く。しかし筆者はその間違いを認めつつ、自分の心の中では「コソソメスープ」はあるものだといいう考えを捨てずに、それを自分の真実として生きていくことにした。

 考えてみれば、私たちはみんな自分自身の思い込みの中で生きている。思い込みこそが個性なのだ。だから他人を傷つけないならば自分の思い込みを大切にしたいいはずだ。ほんものの「コソソメスープ」に対する思い入れがある世界のほうが自分らしい生き方ならば、それを大切にすることが、自分を大切にすることになる。社会に自分を合わせる必要はない。

 筆者はたくさんの「思い込み」の世界を行き来してみたいと思う。それこそが真の交流である。

 若干本当だろうかと思えるようなエッセイだ。大学卒業後まで「コソソメスープ」があると思い込んでいたなんて簡単には信じられない。しかし人間にはさまざまな思い込みがあるというのはまぎれもない真実である。その真実がすんなり伝わるのだから問題はない。それ以上に「個性」を生かす生き方を肯定していくことの重要性を感じることができるいい文章である。

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古典の参考書第10回「瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」

2022-04-12 06:51:33 | 国語
 作者は崇徳院。『詞花集』と『小倉百人一首』に収められています。

【品詞分解】
瀬  名詞、「瀬」は川の流れが浅いところ
を  間投助詞
はや 形容詞の語幹
み  接続語尾
岩  名詞
に  格助詞
せか カ行四段活用の未然形
るる 受け身の助動詞の連体形
滝川 名詞
の  格助詞
われ ラ行下二段活用
て  接続助詞
も  係助詞
末  名詞
に  格助詞
あは ハ行四段活用の未然形
む  意思の助動詞の終止形
と  格助詞
ぞ  係助詞
思ふ ハ行四段活用の連体形、「ぞ」の結び

【現代語訳】
 川瀬の流れがはやいので、岩にせき止められる急流のように、今は分かれても、いつかはきっと逢おうと思う

【~を ~み】
 「名詞 + を + 形容詞の語幹 + み」で「○○が~なので」の意味を表します。

【序詞】
 「瀬を早み岩にせかるる滝川の」が「われ」の序詞です。流れの速い川の水は岩にあたると分かれていくということが、「われ」るという言葉を導き出しているのです。
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古典の参考書第9回「玉の緒よ絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする」

2022-04-11 10:07:04 | 国語
 この歌は、後白河法皇の娘であった式子内親王が詠んだものです。新古今和歌集と小倉百人一首に収められているとても有名な和歌です。

【品詞分解】
玉の緒   名詞
よ          間接助詞
絶え       ヤ行下二段活用「たゆ」の連用形
な          強意の助動詞「ぬ」の未然形
ば          接続助詞
絶え       ヤ行下二段活用「たゆ」の連用形
ね          強意の助動詞「ぬ」の命令形
ながらへ              ハ行下二段活用「ながらふ」の未然形
ば          接続助詞
忍ぶる   バ行上二段活用「しのぶ」の連体形
こと       名詞
の          格助詞
弱り       ラ行四段活用「よはる」の連用形
も          係助詞
ぞ          係助詞
する       サ行変格活用「す」の連体形

【現代語訳】
(私の)命よ、絶えるのならば絶えてしまえ。このまま長く生きていれば、耐え忍ぶ力が弱って(心に秘めた恋がばれて)しまいそうだから。

【助動詞「つ」「ぬ」の強意の用法】
 完了の助動詞「つ」と「ぬ」は、もう一つ「強意」の意味になるときがあります。どういう時に「強意」になるのでしょうか。
 結論を言うと、下に推量の助動詞(む、べし、など…)がついていれば「強意」になります。まだ事実として動作が完了していないときは「完了」にはならないので「強意」なのです。ですから、
  てむ
  なむ
  つべし
  ぬべし
 のパターンで出てきたときの「て、な、つ、ぬ」は強意になります。ここで出てきた「なば」は順接仮定条件です。仮定であるとうことはまだ事実として完了はしていません。ですから「強意」です。
  てば
  なば
 も「強意」になるのです。

【もぞ、もこそ】
 「もぞ」「もこそ」は「~すると困る、大変だ」という意味です。
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