とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」(『こころ』シリーズ⑫)

2018-12-02 10:04:53 | 『こころ』
 授業で夏目漱石の『こころ』をやっている。その中で気が付いたことを書き残しています。

 下の四十七章で「奥さん」がKに「先生」が「お嬢さん」の結婚を申し込んだことを伝えます。それに対してKは「おめでとうございます」といったまま席を立ちます。そして障子を開ける前に、「奥さん」を振り返って、「結婚はいつですか」と聞き、それから「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」と言います。このKのセリフがひっかかります。Kはどういうつもりでこう言ったのでしょうか。

 いくつかの解答が予想されます。まずは、特に何の意図もなく事実として言ったと考えることもできます。次に、ショックのためにお祝いを上げるべきだが上げる気はないと言わなくともいいことを言ってしまったとも考えられます。また、この結婚を祝福するつもりはないということをほのめかしているともとれます。さらには金を持っている「先生」に対する皮肉ともとれます。この考え方は「奥さん」に対しての皮肉とも取れます。以上のようにさまざまな考え方ができるはずです。

 「先生」は事実を伝えるだけにとどめて、Kの気持ちを想像して記述しようとしていません。この時読者は混乱します。Kの言葉にひっかかり、その意味をいろいろ考え始めるはずです。これは「先生」も同じだったはずです。もしかしたら大した深い意味がないのかもしれません。しかし、「先生」は疑心暗鬼に陥るしかなかったのです。「先生」の独り相撲が始まります。これこそが人間の「こころ」です

 小さいことですが、夏目漱石の仕掛けのように感じられるセリフです。

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書評『逆転した日本史』(河合敦著)

2018-12-01 08:47:24 | どう思いますか
 軽い内容の本であるが、歴史について考えさせられる本である。教科書に載っていたような内容でも、近年の研究で変化していくということを気づかせてくれる。そもそも歴史というのは何なのかわからなくなるのだ。

 歴史は近代化へのストーリーという視点で書かれているものがほとんどである。だから中央中心の記述がなされ、地方は無視される。しかし本当にそうなのだろうか。たくさんの出来事があった中で、「近代化」というイデオロギーに都合のいいものばかりを集めて並べた結果、そう見えるようにしているだけなのではなかろうか。さまざまな出来事が「歴史」という枠に都合が悪いのではずされていく。そして本来大切なものが忘れられる。「近代化」という共同幻想に洗脳されて、「グローバル化」という夢しか見させてもらえなくなっている。それが今、私たちが学んでいる「歴史」なのだ。本来みんな人間はもっと多様であったはずだ。庶民の視点から歴史をとらえなおしてみたいと感じさせられた。

 私の生まれ故郷は山形県の庄内である。その庄内地方のこともたくさん取り上げている。現在忘却の対象となっている「庄内」が実はたくさん意味のあることをしているという視点を得たことは、とてもうれしい。

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