東名高速道路で2017年6月、「あおり運転」を受けた車の夫婦が死亡した事故で、自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)などの罪に問われた石橋和歩被告に対し、横浜地裁は懲役18年(求刑懲役23年)を言い渡した。「危険運転」が認定されるかが大きな争点として、注目されていたが、妥当な判決であったと思う。
この判決、以前であれば法律の杓子定規な解釈しかできず、「危険運転」は認められなかったのではないかと考えられる。しかし、庶民感覚からしてそれはおかしい。その感覚が裁判員裁判になり、徐々に法律の解釈が変更されているような気がする。もちろん、日本は法治国家であり、あまりに法律の解釈が無理に変更されてはいけない。しかし、被告の行為は冷静に判断してもあきらかに許しがたい行為であり、法律の条文から考えても無理な拡大解釈ではあるまい。
ただし、このような混乱がおきないように、はやく法律を改正すべきであることは言うまでもない。また、あきらかな無理な法律の拡大解釈はあってはならないということも言うまでもない。
常識が通用する社会でなければ生きていたくない。
この判決、以前であれば法律の杓子定規な解釈しかできず、「危険運転」は認められなかったのではないかと考えられる。しかし、庶民感覚からしてそれはおかしい。その感覚が裁判員裁判になり、徐々に法律の解釈が変更されているような気がする。もちろん、日本は法治国家であり、あまりに法律の解釈が無理に変更されてはいけない。しかし、被告の行為は冷静に判断してもあきらかに許しがたい行為であり、法律の条文から考えても無理な拡大解釈ではあるまい。
ただし、このような混乱がおきないように、はやく法律を改正すべきであることは言うまでもない。また、あきらかな無理な法律の拡大解釈はあってはならないということも言うまでもない。
常識が通用する社会でなければ生きていたくない。