世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

シリーズ①:パノムルン遺跡・その3

2016-10-09 08:49:44 | イサーン

<続き>

インフォメーションセンター

本来最初に紹介すべきであろうが、後回しになり失礼いたしました。参道を上がり始めて左側にそれは建っている。当日写真撮影を忘れていたので、グーグルアースから借用して紹介する。

当然ながらパノムルン遺跡について、展示物と共に紹介されている。ジオラマ展示をみていると、山の頂にクメール様式の建物群が築かれている様子がわかる(黄色矢印)。

リンテル(まぐさ石)も展示してあったが、どこのものか?ここでは建物関係展示物の紹介は省略し、ブリラム近郊から出土したクメール陶が展示されていたので、それらを紹介するが、数量的にはすくなく堪能するほどではない。

クメール陶と呼べば黒釉陶で、装飾もクメールそのものである。クメール陶と云えば、現在富山市佐藤記念美術館で開催中の敢木丁コレクシュン展で、展示中のクメール陶が著名である。

 

 

黒釉陶だけではなく、所謂青磁釉陶も存在することがわかる。残念ながら完器の展示はなかったが、どのような釉調の陶磁が存在するか・・・は、理解できる展示であった。次回はムアン・タム遺跡について紹介する。




                               <続く>


シリーズ①:パノムルン遺跡・その2

2016-10-08 10:11:01 | イサーン

<続き>

靄っているうえに写真映りもイマイチで恐縮である。写真は主祠堂入口の踊るシバ神(破風)と、横たわるビシュヌ神(リンテル・まぐさ石)である。

破風の踊るシバ神にスポットを当てたのが、下の写真である。この踊るシバ神像は現代のヒンズー寺院で多く見ることができる。

下はリンテル(まぐさ石)に描かれた横たわるビシュヌ神である。以下もそうであるが、当該パノムルン遺跡はヒンズーの神々で溢れており、北タイと大きく様相が異なる。

確か主祠堂内だったと思うが、リンガがヨ二を台座に鎮座している。ヒンズーはもとよりバラモンである。

デバターも見ることができる。クメール人の容貌そのものである。国鉄コラート駅に到着したとき、似た女性に遭遇した。感激したことは云うまでもない。

 

聖なる牛・ナンディン。ナンディンは破壊の神・シバ神の乗り物で、クメールの建物装飾に必須のアイテムである。

猿たちに運ばれるシーター(破風)であろうか?シーターはラーマーヤナに登場するラーマ王子の妃である。下はラーマーヤナの戦いのシーンであると思われる。

いずれにしても大粒の雨で、十分かつ良い写真を撮ることができなかった。建物全体像も撮影できず、多少残念との気持ちが残っている。

次回は、シリーズ①・その3として参道の左脇に在る、インフォーメーションセンターを紹介したい。




                               <続き>


シリーズ①:パノムルン遺跡・その1

2016-10-07 07:46:41 | イサーン

当該シリーズでは、ブリラム県の以下の訪問先(地図の①~③)を紹介する。先ず初回は、パノムルン遺跡である。場所は地図のようにカンボジア国境まで30-40kmほどで、クメールと一衣帯水であることがわかる。

クメール様式の建造物を紹介するほどの知識をもたないが、ガイドブックや当日入手したパンフレットの援用を受けて、若干の説明を行いたい。
パノムルン遺跡で現在残る建物は、12世紀終わりに建造されたが、プラーン・ノーイ(下:レイアウト番号13.)だけは10世紀に建造されたといわれている。つまり10世紀から祈りの場であったことになる。
標高382mの山の頂に、回廊に囲まれた主祠堂と小祠堂を建てたものと感心する。晴天であれば、イサーンの大地はもとより、カンボジア国境の山並みを見ることができるとのことであったが、あいにく豪雨で残念であった。まずパンフレット記載の遺跡レイアウトに沿って進める。

 

写真は上のレイアウトで、3.The Processional Walkwayなる場所である。御覧のように、当該地点に到達したときには、雨脚が多少弱まったが、それまでは豪雨であり、視界は効かない。参道左右の立柱は蓮の蕾を表現しており、合わせて70柱あるとのことである。

写真はレイアウト番号4.で、第一ナーガ橋とある。装飾のナーガは5頭をもっている。

この参道の左脇には、御覧のように無数の陶片が散乱している。しかし無釉陶片で陶片と呼べないほどの破片ばかりである。程度のよさそうな破片を2片収集した。

 

レイアウト番号7.に相当する第二ナーガ橋である。いよいよ日本で云う山門から主祠堂等の堂塔伽藍である。

山門正面の全体像である。破風にはシバ神がリンテル(まぐさ石)にはカーラに乗る神像が描かれている。下の写真がシバ神。

次がリンテルに彫刻されたカーラに乗る神像である。

佳境に近づいているが以降は、次回に紹介したい。




                                 <続く>



コラート点描#3・タイ版ジャンヌダルク

2016-09-25 14:31:26 | イサーン

コラート旧市街の西門をチュムポーン門と呼ぶらしい。他の3箇所の方角にも門があるが、後世の物らしい。そのチュムポーン門はアユタヤ王朝時代の17世紀の築造とのことである。

チュムポーン門を背にした広場に、ターオ・スラナリー像がたつ。1826年ラーマ3世治政下、ラオス軍の侵攻を防いだコラート副知事の妻ターオ・スラナリーを顕彰して建立されたと云われている。

 

その銅像の前は多くの人々が祈りを捧げている。何祈っているのか、聞いたわけでもないので、知る由もないが熱心なものである。

 

敬虔な仏教国タイでも、最近の若者は信仰心が薄くなっているが、捨てたものではない。訪れた時もじじ・ばばではなく、若者が祈っている。
タイは歴史上の著名人や仏陀、ヒンズーの神々、精霊など多くの土着信仰を祈る。このターオ・スラナリー信仰は、タイ版道教と考えている。



コラート点描#2・コラート駅で見た亀有の両さん

2016-09-24 11:52:12 | イサーン

去る9月20日、ドンムアン駅からの急行で、10時頃コラート駅に到着しホームを出口に向かい歩いていると、北タイとは異なる人種であることに気が付いた。北タイでコンムアンと呼ぶタイ人とほとんど同じなのだが、両さんと同じような左右の眉毛が、まるでつながっているような人を2人見た。
写真に撮りたかったが、平然と写す度胸もなくあきらめた。見たとたんに嬉しさが込み上げてきた。モン(Mon)族の手になる仏像や塑像は、下の写真のように左右の眉毛がつながっているが、それと瓜二つでかつ眉毛が太い。

写真はハリプンチャイ国博展示のモン族のテラコッタ像である。まさにこの顔を見た。
また、下の石像のようなクメール族を思わせる女性も、駅でみることができ、う~んイサーンへ来たとの印象である。

写真はパノム・ルン遺跡で見たデバターであろうか?この顔そっくりの女性である。一瞬ほんまかいな。考えるとブリラムとカンボジアは隣接しており、指呼の間である。クメール人がコラートにいたとしても不思議ではない。あるいはクメール族一派のクイ族女性であったろうか?
石像やテラコッタ像を見る限り、モンとクメール族の骨格は何となく似ているように思えてきた。
更に突っ込めばモン族はクメール族から陶磁生産技術を受け継いだのでは?との勘繰りが大きく外れていないように思えてきた。
亀有の両さんの連載は終了したようだが、コラートの駅であうことができたのは、ラッキーと云わざるを得ない。