世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

沖縄県立博物館・#5

2017-09-05 07:23:48 | 博物館・沖縄県

<続き>

またまた湧田古窯の噺で恐縮である。ネット検索していると、不覚にも県立博物館一画の小振りの建物に、窯址遺構が移設展示されているとのことである。確かに、その建物を見たが、表示も何もなかったのでスルーパスした。誠に残念であった。「灰釉碗からみた近世沖縄古窯の編年」なる論文がある。執筆者は知念勇・沖縄県立博物館、池田栄史・沖縄大学非常勤講師、江藤和幸・琉球大学市史学科の各氏である。それによると、昭和61年から県庁の新庁舎建設に伴って瓦窯の中心地とみられる地域の発掘調査が行われた。その結果、数基の半地下式の平窯が発見された。これらは南中国辺りに起源を持つとみられる。・・・とある。

先のHP氏記載の内容では、シャムとの間の南海交易によってもたらされた窯だと云う。何がどうなのか、やはり窯跡を見ないことには、判断できない。引き続き調査してみたい。

噺が逸れて失礼した。引き続き県立博物館の展示内容を紹介する。謎の線刻石板が存在することは従前より知っていたが、今回初めて実物を見た。

現代のことであるからには、ミクロネシアや南海島嶼部の先住民に関することどもとの比較研究はなされていると思うが、未だに解読できていないという。これをもって沖縄に古代王国が存在したと説く学者が存在するが、当該線刻石板をどのように考察しておられるのであろうか。

その詮索は置くとして、線刻にはヨットか帆船のようなものが刻まれている、やはり海の民の仕業と考えたい。

                         <続く>

 


沖縄県立博物館・#4

2017-09-04 06:52:31 | 博物館・沖縄県

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タイ産土器とある。メナム・ノイかシンブリーか?はたまた初期シーサッチャナーライか?・・・素人で判断できない。

出土地は首里城址や県内の遺跡である。交易によってもたらされた遺物をみて、暫し想いを馳せた。

何と湧田古窯址出土とキャップションに記載されている。湧田窯とは先般紹介したパネルでは、横焔式単室窯にみえる。

ネットで湧田窯を検索してみた。青蓮亭日記なるブログや神田淡平なるHPがヒットした。数寄者がいらっしゃるものである。それらによると、17世紀の初めに薩摩から朝鮮人陶工の一六、一官、三官の3名を招聘し、製陶の指導と作陶に従事させたのが始まりという。琉球で初めて陶器の茶壷や茶碗を焼いた。1682年には湧田、知花、宝口の三つの窯が王府の政策により、統合されて壺屋焼になったと云う。知花の前身である喜名焼が、琉球における最も古い窯で、シャムとの間の南海交易によってもたらされた窯だと云う・・・と記載されている。これは考古学的に証明できる話しなのか、伝承なのか、はっきりしないものの、何やら横焔式単室窯に繋がる話ではある。そのHPやブログは、碗の写真を掲載している。主として碗であるが、その写真が示すのは、背の高い高台とラッパ状に開く器形、それに薄胎である。釉薬は灰釉で褐色からオリーブグリーンまで幅広い。

いずれにしても湧田窯はよく分らない。対岸の浙江や福建の窯業技術と考えていたが、そうでもなさそうなのか?、窯跡が現存するのか・・・まだ調査していないが、現存するようであれば、一度見学してみたい。

 

                         <続く> 

 


沖縄県立博物館・#3

2017-09-02 06:47:39 | 博物館・沖縄県

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中国と東南アジア交易でもたらされた陶磁で、中国産品が最も多く且つ多彩である。今回はその中国陶磁の展示品を紹介する。

中国産焼締め、褐釉陶磁、青磁、白磁、青花、五彩、器物としては擂鉢、瓶、壺、碗、匙、香炉、皿などで多様である。所謂コンテナー用の壺である。中には穀物、香辛料、酒などの食料や火薬原料などを詰めていたと云われている。次回は東南アジアや朝鮮から将来された陶磁を紹介する。

 

                         <続く>

 


沖縄県立博物館・#2

2017-09-01 07:42:05 | 博物館・沖縄県

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タイから沖縄経由帰国後、山口・岩国、山口・須佐、東京と転々として沖縄県立博物館の見聞紹介を中断していた。本日より紹介を再開したい。入り口を入るとすぐに、港川人の復元像が出迎える。なんともインパクトがある。日本で出土した人骨で最古である。港川から出土したところから港川人と呼ばれており、2万年から2万2先年前に存在したと説明されている。当初は縄文人の祖先かと騒がれたが、オーストラリア先住民やニューギニアの集団に近いとの研究結果である。まさに国境はなかった。説明するほどの知識をもたないので、キャップションというか説明パネルを掲げておく。

以下、勝手ながら、当該ブロガーの目に留まったもののみ紹介したい。先ずは陶磁器に関する展示で、沖縄の製陶について紹介する。沖縄で陶磁と云えば、交易によってもたらされた海外からのものであったが、16世紀中頃瓦の焼成が始まり、17世紀に製陶を開始した歴史がある。製陶の歴史で最も古いのは那覇市の湧田窯で、のち壺屋に引き継がれたようである。

展示パネルを観て驚いた。驚いたのは湧田窯址の写真である、その拡大写真を下に掲載する。

ここ沖縄の製陶技術は中国からのもので、窯は登り窯(龍窯)とばかり・・・と思い込んでいたが、何と横焔式単室窯に見えるではないか。・・・とすれば、写真さえ見たことのない、福建に存在すると云われる横焔式単室窯の類似窯であろうか? 窯址へ行ったことも無い・知識もないので、これ以上言及できないが、取敢えず文献を渉猟してみたい。その湧田窯・他の焼物が展示されていた。それが上に掲げた写真である。

琉球は王国時代、東南アジア、中国、日本と交易により繁栄した。多くの陶磁が将来したのである。次回はそれらの出土陶磁の展示品を紹介する。

 

                         <続く>

 


沖縄県立博物館・#1

2017-08-26 06:59:28 | 博物館・沖縄県

従来の沖縄県立博物館は、龍譚池の畔に存在していた。これも沖縄振興予算・年3000億円の賜物であろうか、那覇市おもろまちを新都心と呼ぶそうだがそこに移転していた。なるほど高層ビルが並んでいる。その一角に新しい県立博物館は建っていた。

那覇空港で”ゆいレール”と呼ぶモノレールの1日乗車券をゲット。そのモノレールでおもろまち駅にて下車。

おもろまちの駅から県立博物館まで徒歩20分を要したであろうか、途中で写真の火焔樹の花を見た。これから行くタイで見る花樹である。タイへの想いを馳せる瞬間であった。博物館は美術館との併設ではあるが、建物はグスクを連想させる大きな建物である。

今回は立派な博物館を紹介した。ここも写真撮影okだったので、展示物は次回以降紹介する。

                         <続く>