世界の街角

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続・サンカンペーン陶磁の蛍光X線分析・その4

2019-02-11 08:28:34 | サンカンペーン陶磁

先ず、今回測定した生Dataを再掲する。測定値はMass(質量)%である。

2年前に第1回の蛍光X線分析を行なっている。それは鉄絵麒麟文陶片1点と完品4点で行った。この時の測定値はAt%であった。今回のDataと比較するには換算が必要である。換算するには周期表からMol質量を明らかにしてWt%を求める必要がある。

資料1の事例を上の表に掲げておく。そこで重量(Wt)%と質量(Mass)%の関係であるが、地球上であればWt%=Mass%の関係になる。そのようにして求めた資料1から資料5のDataが下表である。尚、資料2は焦点ボケで正確なDataを得られなかったので削除している。

さて換算した第1回測定値と今回のData比較である。先ず鉄絵顔料Dataを比較検討する。

鉄絵顔料については、表採陶片間でも組成の特徴バラツキが大きく、それらに第1回分の資料や今回の2点の完品資料を追加すると、そのバラツキは更に拡大する。確かなことは、いずれの資料も低温焼成顔料であるSnとPbが検出されていないことである。バラツキの話に戻すが、このようなバラツキは年代間隔が広いためと考えられる。表採陶片は掘り下げたわけではないので、せいぜい10-20年程度の年代差であろう。してみれば、顔料調達先の変化などが考えられるが、これ以上の分析は不可能であると同時に、鉄絵顔料分析のみで具体的な焼成窯の特定は無理がある。

資料3とSam-2は同一画工の手によるものと思われる。少なくとも外見上の筆致が似ている。しかし組成分析の結果は、必ずしも類似性はなさそうだ。焼成年代のズレか鉄絵顔料の調達先が変化したのか、調合時のズレか・・・これらを語る資料を持たない。

次回は胎土について、第1回測定Dataを換算したので、それについて紹介するが、それなりのDataが得られたと考えている。

<続く>

 


続・サンカンペーン陶磁の蛍光X線分析・その3

2019-02-08 08:57:37 | サンカンペーン陶磁

再度生Dataを掲載する。ワット・チェンセーン窯で表採した陶片は本物の欠けらである。以下、当然の事柄である。

低温焼成後絵顔料成分であるSn(錫)、Pb(鉛)は一切検出されていない。

従って資料番号Sam-2とSam-3は後絵の可能性は限りなく低い。

鉄絵顔料の近似性を示すには、顔料成分であるFeと微小成分のTi及びMnの比率を散布図に示してみることである。それを遣ってみた。

先ず云えることは、資料連番⑰(Sam-2・鉄絵麒麟文盤)と⑱(Sam-3・鉄絵双魚文盤)は完品である。これらと陶片の間には相似性は認められない。この盤の焼成窯の可能性は・・・

1)ワット・チェンセーン窯以外の窯群での焼成が考えられる

2)ワット・チェンセーン窯で焼成されたが、陶片の焼成時期と異なる年代に焼成された

以上の2点が考えられる。個人的には1)であろうと思われる。

次に云えることは、Sam-3写真下の表に緑色で網掛けした陶片(散布図の緑枠内)は、類似性が強いと考えられ、ある時期のワット・チェンセーン窯の鉄絵顔料の特徴を示している。完品の鉄絵成分で、このような値を示す盤があれば、ワット・チェンセーン窯で焼成されたものとなる。

しかし、近似性を示さない資料①(Wch-11)、③(Wch-15)、⑧(Wch-28)がある。これらは焼成された年代差によるものと思われる。

資料⑯はワット・チェンセーン窯の陶片と近似性を示している、フェイ・パヨーム窯の陶片である。サンカンペーン陶磁の鉄絵顔料はドイ・サケットから産出したと云われており、同一箇所で採集した顔料を各窯群で用いていたことが想定される。

最後に云えることは、最下段のグラフを見て頂いて分かるように、バラツキが大きいことが分かる。長い年代差を含むのか?それともドイ・サケットから採取した鉄絵顔料の時代差?それとも顔料産地を変更したのか?

・・・ということで、鉄絵顔料の組成分析だけでは、焼成窯を確定させることには無理がありそうである。

今となっては、各窯址の鉄絵陶片を数多く集めることは困難であり、科学的分析による焼成窯の特定はできそうにもない。前回の2017年に測定したDataはat%で、今回のMass%と異なっており(失敗)単純比較が出来ないが、今後検討してみたい。

<続く>

 


続・サンカンペーン陶磁の蛍光X線分析・その2

2019-02-07 13:02:30 | サンカンペーン陶磁

2月5日、テクノアークしまね内の島根県産業技術センターにてサンカンペーン・ワット・チェンセーン窯の表採陶片と完品の蛍光X線分析を行なってもらった。生Dataは即日持ち帰ったものの、分析に手間取っている。以下、脈絡は無いがまとまったものから紹介したい。

採取陶片の大前提は表採で、道具により地表を掘り下げて採取したものではない。従って時代感覚的には10~20年程度と思われるが、科学的年代鑑定をしていないので、資料の絶対年代と時代幅は不明である。そしてワット・チェンセーン窯は鉄絵双魚文盤と鉄絵草花文盤が焼成されていたことは、タイ芸術局や先達の研究により明らかである。

以下分析できたものから紹介するが、先ず生Dataを掲示しておく。下の表には測定単位を示していないが、すべてMass Percent(%)である。

 元素記号と数字の羅列で恐縮である。ここから欲しい情報を分析して取得する必要がある。ここで資料番号Sam-3のみにCr、Ni、Cuの検出がみられる。ワット・チエンセーン窯の時代差が大きいことが考えられるとともに、ワット・チェンセーン窯群以外の窯で焼成されたことが考えられるが、それ以上の情報は得られない。

 このSam-3は鉄絵双魚文盤でわっと・チェンセーン窯で焼成されていたことが分かっているが、わっと・チェンセーン窯以外の窯でも焼成されており、その可能性がつよいか?

次に表採した陶片を個々に観察すると、鉄絵(顔料)の直上の釉薬のガラス質が厚い、薄い、無いの3分類される、厚い資料(検体)は主成分のSiと溶融剤のCaが多く検出され、鉄絵成分のFeが少なく検出されるはずである。それを分類した表を下に示す。

 これを分析したのが、下の表である。

◎がガラス質厚い、〇は薄い、×はガラス質認められず、である。これは予想通りの結果となった。分析機器はウソをつかなかった。

<続く>

 


続・サンカンペーン陶磁の蛍光X線分析・その1

2019-02-04 09:37:58 | サンカンペーン陶磁

2017年2月21日から、今回のブログと同じテーマで5回に渡り連載した。分析資料は下の写真である。

ことの発端は、資料5の真贋問題である。バンコク大学東南アジア陶磁館の学芸員氏の見解では、悪意をもった倣作(贋作)との見解である。そこで過去記事にしたことがあるが、熱ルミネッセンス年代測定法により分析しようとした。分析業者に尋ねると1検体あたり、1cm角を削取る破壊検査で、1件当たり消費税込みで約30万円とのこと。破壊検査をされ、骨董価値を限りなく損ね30万円も出せる筈がない。そこで蛍光X線分析を行なうことにした。資料は上掲写真の1~5である。ここで比較基準は資料1である。

 資料1は麒麟文の見込み陶片である。サンカンペーン陶磁の一つの特徴は、数量的には10%程度ではあるが、写真の瘤をもつ陶磁が存在する。そして陶片である。これを贋作と見るのか、どうみても本歌であるので、これを基準とした。

鉄絵顔料と胎土を蛍光X線分析で組成の定量分析をおこなった。5点共に鉄絵顔料分析では、PbやSnの低温顔料組成は検出されなかった。顔料分析の結果、資料1と相関を示したのは、驚くなかれ資料5であった。当初資料1と資料3の鉄絵顔料組成が近似するものと考えていたが、予想は大きく外れた。いずれにしても蛍光X線分析による顔料や胎土分析の結果、贋作を示す組成は何ら検出されなかった。

しかし、狡猾な贋作者、つまり低温焼成顔料ではなく、本歌の顔料組成分析を行ない、それを再現して1200度程度の高温焼成を行なっているかとも考えられる。しかし当該ブロガーの少ない経験では、そのような贋作は未だかって目にしていない。

そこで今回、資料数を大幅に増加して分析してみることにした。陶片はワット・チェンセーン古窯で表採したものである。従ってどれほどの時代間隔の資料が採取できたのか不明である。10年20年間隔程度しかないとも思われる。先ず分析にかける陶片は以下の通りである。

 ワット・チェンセーン窯は過去の文献や表採資料から明らかなように、鉄絵双魚文や鉄絵草花文の盤類を焼成していた。今般これらのデータを積み上げたい。合わせて下写真の完品鉄絵盤との相関を確認したいと考えている。

更にシーサッチャナーライの所謂宋胡録の陶片に用いられた顔料組成とも比較しする。

どのような結果になるか楽しみである。

<了>

 


謎の陶片は、やはりサンカンペーンのようだ(2)

2018-08-12 07:29:12 | サンカンペーン陶磁

<続き>

前回記載の事を受けて、具体的にサンカンペーンの何処で出土したものか、4度目のチェンマイ大学人文学部陶磁資料室である。前触れもなく訪問したので、担当教授は不在であったが、人文学部のKuriansaku教授に対応して頂いた。先ずは謎の陶片と再会である。

先ず白化粧の可否確認であるが、胎土は白味を帯びた灰色であるが、断面を確認すると薄く白化粧されているようにも見えるが、顕微鏡がない限り確かなことは云えない。

次に肝心のサンカンペーンのどこから出土したのか?・・・教授に確認すると、下写真のリストを持ち出し、サンカンペーンと説明して頂いた。

リストの最上段に記載されているのは、C2/2559/3Qで陶片裏面の資料No,と同じである。そして白抜きで記載しているが、小さくて読みにくく申し訳ない。最初の白抜きは陶片の特徴が記載されている。その下に発見場所(出土地)がサンカンペーン・グループ オンタイ地区サンカンペーン郡チェンマイ県と記載されている。残念ながら具体的出土地が記載されていない。更に下の白抜き文字は保管場所と記載されている。

Kriansak教授に、サンカンペーンの具体的出土地を訪ねるも、自分には分からないとのこと。4度目の訪問であったがまたしても、具体的な場所は分らずしまいであった。しかし写真のように立派な陶片リストが存在している。北タイのどこかの窯から持ち込まれたとの疑念が無いわけではないが、北タイ陶磁の泰斗で英国人のショウ氏もその著作で、同様な陶片をサンカンぺーン?と記述されている。

このような陶片がサンカンペーンないしはサンカンペーン?として複数存在することは、サンカンペーンの蓋然性が高いとも思われる。

そうであれば、サンカンペーンの最大特徴である、重ね焼きのための口縁の釉剥ぎでは無い焼成技法が存在したことになり、サンカンペーン陶工の背景は幅広いものとなる。この系譜を遡れば、単に北タイでは収まり切れず、ランナー以外に繋がる可能性がある。話は飛ぶが、ラオスから出戻りの可能性が高い謎の大壺の一群がある。それは、サンカンペーンの当該陶片と似かよった装飾技法であり、謎は深まるばかりである。これらのことは、過去にも触れたが、いずれ再掲してみたい。それにしても北ベトナム、雲南の詳報が欲しいが、手繰り寄せられていない。

<了>