元刑務所建物と跡地を博物館にしたとガイド嬢が説明してくれた。
ベトナム(安南)からもたらされた陶磁器で、東南アジア諸国と盛んに交易がなされていた。中国からの交易陶磁は宋、元、明の各時代に、多くの経路によりセブにもたらされた。
タイからの陶磁も数点展示されていた。タイから主としてシーサッチャナーライ陶磁が輸入されていた。セブの骨董商を回れば見ることができると考えるが、詳細が分からず行っていない。
<続く>
元刑務所建物と跡地を博物館にしたとガイド嬢が説明してくれた。
ベトナム(安南)からもたらされた陶磁器で、東南アジア諸国と盛んに交易がなされていた。中国からの交易陶磁は宋、元、明の各時代に、多くの経路によりセブにもたらされた。
タイからの陶磁も数点展示されていた。タイから主としてシーサッチャナーライ陶磁が輸入されていた。セブの骨董商を回れば見ることができると考えるが、詳細が分からず行っていない。
<続く>
清朝陶磁から紹介する。写真の花瓶は対であるが左側配置のみ紹介する。
日本の陶磁も展示されている。薩摩と伊万里である。
これも伊万里の輸出専用と思うが、間違っていれば御免なさい。
これは清朝陶磁であろう。下の花瓶は乾隆ガラス?
この花瓶が何ものか、数寄者には一発でわかるのであろうが、門外漢で分からない。西方のものであろう。下の盤(皿)の産地も門外漢故分からないが、マレーシアの博物館でも何度か目にした。してみればオランダないしはスペインか?
少し時代がある盤で、明時代の漳州窯の染付である。他に相当数のガラス容器が陳列されていたが省略する。
<了>
今回はキッチンとベランダの様子や展示品を紹介する。
清潔な印象を与えるキッチンである。1850年代の建物とのことなので170年前に相当する。当時からこのようであったのか・・・と考えるが、上流階級の暮らしぶりが想像できる。
ベランダには写真のような甕が並ぶ。学芸員であろうが、ついてくれたスタッフの説明によると、このような甕を窓際に並べて水を満たす、その気化潜熱で涼をとったとの説明。蚊が繁殖するのではとの勘繰りは無用であろう。下僕が毎日水を入れ替えていたに違いない。以上で陶磁器類以外の紹介を終えた、次回は陶磁器類を紹介する。
<続く>
メイン・ベッドルームである。ふと思った疑問だが、蚊除けはどうしていたであろうか?
浴室とトイレである。初代の時は水洗トイレではなかったろうが、何代目であろうかリニューアルされている。
ライブラリーとのこと、書棚には蔵書が並ぶ。当然ながら机と椅子があるが、それは写していない。
<続く>
調度品の中でも陶磁器類に素晴らしいものがあった。中国・清朝や伊万里焼、更には乾隆ガラスであろうか?・・・これらは下の写真を除いて、後日まとめて紹介する。
先ずびっくりし流石との印象を持ったのは、1階から2階へ上がる階段脇の明り取りである。これと同じものが2階の各部屋の窓に採用されている。その内の一枚の写真を下に掲げておく。
障子の格子を小さくした方形の格子に嵌め込まれているのは貝殻である。2枚貝多分想像ではあるがシャコガイであろう。それにしても薄く剥いだものだ。
天井も装飾されている。コーナーにはパルメットが描かれている。
邸宅の初代住人・ゴロルド氏の肖像画が掲げられている部屋は、氏の執務室であろうか、ベッドも設置されていた。
ビックリした2つ目は、一室がチャペルになっていたことであった。
天井にしても円形テーブルにしても、富豪でなければ無理な相談である。カーサゴロルド氏は相当な富豪であったと思われる。
<続く>