世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

『東南アジアを旅する』展(2)・福岡市美術館

2023-05-09 08:09:34 | 東南アジア陶磁

<続き>

前回記すのを忘れたが、掲載順は出典目録に従っている。今回はスパンブリ窯の焼締陶からだが、展示品は1点のみであった。

お決まりの象文様が連続で繋がっている。以下、スコータイ窯とシーサッチャナーライ窯のいわゆる宋胡録である。

この魚文様の盤は、釉薬の発色も良く、運筆に優れていることから名品である。

シーサッチャナーライ窯の陶磁は、上掲の盤のように器面全体に繁褥なまでの絵付けと、魚文様のような簡潔な文様とが混在している。今回はここまでとする。

<続く>


『東南アジアを旅する』展(1)・福岡市美術館

2023-05-04 09:24:57 | 東南アジア陶磁

今年3月初旬、福岡は大濠公園の福岡美術館へ行ってきた。湖畔には目を引くモニュメント。

名高い本多コレクションを所蔵しているが、展示されるのは限られた時期で、愛好者にとっては誠にもったいない。『東南アジアを旅する』と銘打った展示会である。

展示品は全81点で、81点中53点が土器・陶器の展示であった。先ず、タイの土器から紹介する。

先ずは、名高いバン・チェン土器から。紀元前1000年依然と云えば、当時の古代中国と云えども明確な政治体制は、確立されていなかったと捉えるのが妥当であろう。まさに行き来は自由であった。バン・チェン土器と縄文土器文様の類似性は、頻繁な往来を物語る。

 

彩陶渦文土器をご覧願いたい。この渦巻文は、縄文土偶のそれと同じである。この渦巻文は永遠の命とか、永遠の魂を表すと云う。バン・タマサート人もそのように考え壺類の文様に採用したかと思われる

次回からは中世のタイ陶磁を紹介する。

<続く>


最近見たオークション出品の東南アジア古陶磁・#46

2023-04-29 14:00:07 | 東南アジア陶磁

最近、Yahooオークションに出品されていたミャンマーの錫鉛釉緑彩陶の玉壺春瓶を記事にする。それは下掲の品である。

ミャンマーの錫鉛釉緑彩陶については、本歌を見る機会が極めて少ない。バンコクと北タイの博物館及び本多コレクションを有する福岡市美術館、富山・佐藤記念美術館、町田市立博物館程度である。しかも品数は豊富ではない。過去に見たのは、盤類も含めても50点程度である。

上掲の玉壺春瓶は初見である。過去に似たような瓶をみた記憶が蘇り、図録を探し出すと1994年に富山・佐藤記念美術館でみた下掲の玉壺春形の瓶が唯一である。

口縁は、ややラッパ形になり、裾は高坏の器台のようになっている違いがあるが、オークション出品の品に近く過去に見たのは、この一点のみである。

ミャンマーの錫鉛釉緑彩陶は、我が国で馴染みが薄い。ごく限られた愛好家が存在するのみであろう。近年、Yahooオークションでも錫鉛釉緑彩盤がちょくちょく出品させているが十中八九所謂コピーである。

そこで、やや上から目線で恐縮であるが、その陶磁の製作年代は、モン(MON)族王朝であるペグ―朝第13代王であるビン二ャチャンドー女王(在位・1453-1459)と、その娘婿の第14代・ダムッマセティー王(在位・1459-1492)の時代に開窯されたとするのが定説のようである。

錫鉛釉緑彩陶の特徴を以下に掲げておく。尚、断りのないかぎり盤の特徴を主体に記述する。

〇錫鉛釉は焼成すると乳白色になる。白色ではない。焼成温度が上がると光沢を放つが、厚く掛かっった釉が煮えたような気泡痕を残す。

〇釉薬は生掛けか、素焼き後かハッキリしないが、1150℃前後で素焼きされていた可能性がある。

〇底は静止糸切で水平に手前に引いた痕跡を残し、高台廻りは轆轤を回して削り込まれている。

〇底は焼台の痕跡を残し、その径は12cm前後である。

〇高台は付け高台で、釉流れ防止のため、高台脇に二ないし三段の段状の削り込みがある。それは、あたかも筍の皮を剥いだ段状に似ている。

〇胎土は粗く、明るいオレンジ色、赤茶色、深い紅色に見えるが一定していない。

〇釉薬は、高台の畳付きまで覆っている。さらに高台内にも釉が刷毛で塗られているモノもある。

〇絵付けは、絵の具の吸収が早く、筆書きであれば特殊な筆と考えられるが、袋状のスポイドのようなものを用いた筒描きの可能性が高いと思われる。従って幅広の描線は存在しないであろう。

〇錫鉛釉は絵の具の吸収が強いので、敏速に画を描くことになり、描線に迷いはない。

〇盤・皿類の窯印と思われる刻みの出現確率は、1割程度と極少ない。

〇瓶・壺類は高台付で、その高台は段状の圏線が巡るが、高台ではなく、回転糸切痕らしき糸切痕をみるベタ底もある。その場合は裾の段状の削り込みはない。

・・・と、云うことで、これらの約束事と出品の玉壺春瓶を比較してみる。

今までに見た件数が少ないため、玉壺春瓶が存在するのかしないのか知らない。口縁が発掘の際掛けたのか、もっともらしい傷である。釉薬が薄く掛かっているが、小壺類の本歌には薄いものもある。絵付けの描線が幅広で、筆書きのように思われる。なにより底が静止糸切痕で、過去にみた経験がない。

瓶・壺類は過去に実見した件数が少ないので、断言はできないが、限りなく?である。BKK在住のK氏はどのような見立てであろうか。

<了>


本多コレクションの名品

2023-03-13 08:02:25 | 東南アジア陶磁

今回のブログ・テーマは、東南アジア古陶磁愛好家の方々向けである。日本において幾つかの東南アジア古陶磁コレクションが存在する。今回は福岡市美術館に一括寄贈された本多コレクションの名品を紹介する。

過日、『東南アジア美術を旅するタイ、カンボジア、ミャンマー』との企画展が開催され、出かけてみた。展示品は陶磁器43点、土器5点、粘土焼成塼仏17点、その他16点の合計81点である。本多コレクションのごく一部であるが、展示された陶磁器には優品が多かった。今回は名品中の名品と云おうか、品々を前にしてジット見つめた品である。

鉄絵魚文盤 スコータイ窯 タイ 14-15世紀 口径28.5cm

本多コレクション図録は日頃眺めている。その時は感じなかったが、実物を前に注視すると、白化粧にムラはなく、ガラス質は透明でカセとか傷はなく光沢が良い。鉄絵の運筆は迷いがなく勢いを感ずる。口径も28.5cmと大きく優品である。

白褐釉刻花龍鳳凰文水注 シーサッチャナーライ窯

タイ 15世紀 高さ27.4cm

注ぎ口先端と把手(とって)の盤口下の部分に龍鳳凰の造形をみる。胴体の主文様は刻花の唐草文である。高さは30cm近く、堂々とした姿で、造形や文様に緩みがない。

本多コレクションでは白褐釉〇〇と呼んでいるようだが、これは安南陶磁の白釉褐彩の影響を受けている。いわゆる宋胡録(スコータイ、シーサッチャナーライ)は、中国陶磁のみならず安南陶磁の影響を受けているが、それをモン(Mon)人陶工やタイ人陶工は咀嚼し、彼らの造形感覚に変更したものである。安南陶磁の白釉褐彩陶磁を下に掲げておく。

白釉褐彩花鳥文広口壺 13-14世紀 於・ハノイ国立博物館

3点目の優品である。それはサンカンペーン窯の鉄絵双魚文盤である。

鉄絵双魚文盤 サンカンペーン窯 タイ 14-15世紀 口径25.8cm

この盤は鉄絵描線が活き活きしており、文様も的確で緩みがないのが最大の特徴である。陶工ないしは絵付工の腕の確かさが伝わってくる。サンカンペーンの鉄絵双魚文盤を紹介した次いでである。

当該ブロガーが自称している、サンカンペーン3大名盤である。一番目は上掲の本多コレクション盤。2番目は、現在富山市佐藤記念美術館蔵品の敢木丁(カムラテン)コレクションである鉄絵四魚文盤である。

見込み中は草花文であるが、写真で云う見込み下側に魚の頭部が描かれており四魚文となる。描線に勢いはないがぎこちなさも感じない。このような魚文はサンカンペーンで唯一のものである。

3番目は不詳当該ブロガーの鉄絵草花文盤である。口径は約30cmとサンカンペーンにしては大径の盤で器面全体が鉄絵で覆いつくされている。

残念なのは、写真では分かり辛いが、長さ約8mmほどの虫食い状のホツレが1箇所存在する。発掘時の鍬等の金具傷である。このような鉄絵草花文盤はBKKの東南アジア陶磁館が所蔵している。

上掲写真の見込みやや右側付近に、青色マジックで丸印があるが、その場所を蛍光X線分析した場所で、鉄絵顔料の組成分析をしたものである。その結果は、他の鉄絵文様盤の鉄絵顔料組成と同じもので、低火度の科学顔料は一切検出されていない。

本多コレクションの紹介から、蛇足にいたったが、魅力ある数々の本多コレクションは、別途紹介したいと考えている。

<了>


最近見たオークション出品の東南アジア古陶磁・#45

2023-01-26 12:40:50 | 東南アジア陶磁

下写真のミャンマー錫鉛釉緑彩塼をネット・オークションで見たのは1か月以上前だったか。落札価格は4万円を超えていたように記憶しているが、どうだったか。

この手の塼は過去に何度か記事にした。このように云う筆者も数多く本歌を見た訳ではないが、塼の裏側が奇麗すぎる点が難点である。このような塼は、寺院の基壇や腰壁、あるいは仏塔(パゴダ)の基壇など建築物を装飾するために用いられた。したがって塼を外す際に下地との間の接着剤の痕跡を残すのが普通である。

過去、福岡市美術館で数点の塼をみた。当時は撮影禁止であったので、自撮り写真はないが、購入した図録から紹介する。

オークション出品作と比較し如何であろうか。上掲出品作と似た感じの塼が過去にも出品されていた。それが下の品である。

下段の緑釉に覆われている枠内には、通常は中世モン(Mon)文字と思われる文字が入るが、上掲写真には明確にみることができない。福岡美術館でみた塼には、明確に文字が刻まれている。この模倣品と思われる塼の背後が以下の写真である。

これもまた、わざとらしく裏面に錫鉛釉の滴りを数カ所にみるが、それは1カ月前にみた冒頭の塼の裏側と同じである。同一人物の手によるものであろうか。

過去、この手の塼でネット・オークション出品作で本歌と思われる品は、1点しかなかった。後はすべて?である。本歌を日本で見る機会はほとんどなく、目を養うのは難しいのでネット・オークション出品の塼は、先ず真贋を疑って欲しいものである。

<了>