最近、Yahooオークションに出品されていたミャンマーの錫鉛釉緑彩陶の玉壺春瓶を記事にする。それは下掲の品である。
ミャンマーの錫鉛釉緑彩陶については、本歌を見る機会が極めて少ない。バンコクと北タイの博物館及び本多コレクションを有する福岡市美術館、富山・佐藤記念美術館、町田市立博物館程度である。しかも品数は豊富ではない。過去に見たのは、盤類も含めても50点程度である。
上掲の玉壺春瓶は初見である。過去に似たような瓶をみた記憶が蘇り、図録を探し出すと1994年に富山・佐藤記念美術館でみた下掲の玉壺春形の瓶が唯一である。
口縁は、ややラッパ形になり、裾は高坏の器台のようになっている違いがあるが、オークション出品の品に近く過去に見たのは、この一点のみである。
ミャンマーの錫鉛釉緑彩陶は、我が国で馴染みが薄い。ごく限られた愛好家が存在するのみであろう。近年、Yahooオークションでも錫鉛釉緑彩盤がちょくちょく出品させているが十中八九所謂コピーである。
そこで、やや上から目線で恐縮であるが、その陶磁の製作年代は、モン(MON)族王朝であるペグ―朝第13代王であるビン二ャチャンドー女王(在位・1453-1459)と、その娘婿の第14代・ダムッマセティー王(在位・1459-1492)の時代に開窯されたとするのが定説のようである。
錫鉛釉緑彩陶の特徴を以下に掲げておく。尚、断りのないかぎり盤の特徴を主体に記述する。
〇錫鉛釉は焼成すると乳白色になる。白色ではない。焼成温度が上がると光沢を放つが、厚く掛かっった釉が煮えたような気泡痕を残す。
〇釉薬は生掛けか、素焼き後かハッキリしないが、1150℃前後で素焼きされていた可能性がある。
〇底は静止糸切で水平に手前に引いた痕跡を残し、高台廻りは轆轤を回して削り込まれている。
〇底は焼台の痕跡を残し、その径は12cm前後である。
〇高台は付け高台で、釉流れ防止のため、高台脇に二ないし三段の段状の削り込みがある。それは、あたかも筍の皮を剥いだ段状に似ている。
〇胎土は粗く、明るいオレンジ色、赤茶色、深い紅色に見えるが一定していない。
〇釉薬は、高台の畳付きまで覆っている。さらに高台内にも釉が刷毛で塗られているモノもある。
〇絵付けは、絵の具の吸収が早く、筆書きであれば特殊な筆と考えられるが、袋状のスポイドのようなものを用いた筒描きの可能性が高いと思われる。従って幅広の描線は存在しないであろう。
〇錫鉛釉は絵の具の吸収が強いので、敏速に画を描くことになり、描線に迷いはない。
〇盤・皿類の窯印と思われる刻みの出現確率は、1割程度と極少ない。
〇瓶・壺類は高台付で、その高台は段状の圏線が巡るが、高台ではなく、回転糸切痕らしき糸切痕をみるベタ底もある。その場合は裾の段状の削り込みはない。
・・・と、云うことで、これらの約束事と出品の玉壺春瓶を比較してみる。
今までに見た件数が少ないため、玉壺春瓶が存在するのかしないのか知らない。口縁が発掘の際掛けたのか、もっともらしい傷である。釉薬が薄く掛かっているが、小壺類の本歌には薄いものもある。絵付けの描線が幅広で、筆書きのように思われる。なにより底が静止糸切痕で、過去にみた経験がない。
瓶・壺類は過去に実見した件数が少ないので、断言はできないが、限りなく?である。BKK在住のK氏はどのような見立てであろうか。
<了>