世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

CHAO392号

2019-08-21 06:57:06 | 北タイ陶磁

昨年中頃から今年初めにかけて、チェンマイの日本語情報誌CHAOに、『ラーンナー古陶磁の窯址を巡る』とのテーマで5回に渡り不定期連載してきた。その後388号から3回に渡り続編を不定期連載することになった。今回は2回目の392号である。北タイ在住者で興味をお持ちの方は、一読されたい。尚、日本でも入手できるので数寄者の方々には是非目を通して頂き、ご意見を拝聴したいものである。

今回は『ワンヌア窯址編』である。

 ◎予備知識を習得するには?

 ◎ワンヌア焼の特徴

  〇焼成された焼物の形状

  〇確認できている印花文様の種類

 ◎さあ、窯址を訪ねてみよう!

  〇メープリック窯址

  〇ワンポン窯址

・・・で構成されている。 

日本で入手する方法

 振込先:楽天銀行サンバ支店

 普通口座:4081258

 口座名:高橋敏(タカハシビン)

 尚、一部350円

 口座振り込み後

 ①氏名(ふりがな)、住所、電話番号、バックナンバー記入

 ②振込の領収書コピー

 二つを合わせて郵送かFAXにて申し込み

 宛先:Bridge International Foundation

 FAX番号:0-5312-7175

 住所:296/136 Moo2 Laguna Home T.Nongjom A.Sansai Chiangmai 50210

 

<了>


北タイ陶磁に魅せられて:第6章

2019-08-15 07:39:46 | 北タイ陶磁

不定期連載として過去5回に渡りUP-DATEしてきた。過去に掲載した記事をご覧頂けたらと思い、それらのURLを掲載しておくので参考にされたい。

〇北タイ陶磁に魅せられて:第1章

https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/9e015d9fcaf6a02f33bbb92747452b95

〇北タイ陶磁に魅せられて:第2章

https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/064fddaeccaf6dd6886827e73c5ffb8f

〇北タイ陶磁に魅せられて:第3章

https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/1dcad4db5e1347f88d342c6dae2a4858

〇北タイ陶磁に魅せられて:第4章

https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/5990013b5a36044056e97932badb92da

〇北タイ陶磁に魅せられて:第5章

https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/fc359c79a6d232c857102aa77b92fc48

 

過去5回に渡り『ランナー古陶磁の窯址を巡る』と題して、旧ランナー王国の4つの古窯址群について紹介してきました。今回、番外編として過去に紹介できなかった古窯址群のなかから、幾つかの古窯址を紹介させていただきます。番外編の初回(第6章)はナーン・ボスアック古窯址群です。

チェンマイ在住者には、ナーンは馴染み薄かと思われます。ナーンはチェンマイの東方に位置し、アーケード・バスターミナルからの移動時間は5時間半ー6時間を要し、特別な事情がなければ縁遠い処です。

ナーン・ボスアック陶磁は長期に渡って焼成され、焼成方法の特徴から前期陶磁(13世紀後半ー15世紀後半)と後期陶磁(16世紀ー17世紀)に区分されています。前期陶磁は匣(サヤ)なし焼成でしたが、後期陶磁は匣と焼成道具を用いた焼成で、匣を用いるのは北タイでは稀なことです。

古窯址群が存在するのは、ナーン県ムアン郡のバン・スアックパッタナーとバン・ボスアック、バン・ノントンにまたがる場所ですが、日本では通称バン・ボスアック(บ้านบ่อสวก:Ban Bo Suak)と呼んでおり、ここではその通称に従うものとします。今回、番外編としてボスアック古窯址群の中から、幾つかの窯址を紹介します。尚、蛇足ながらタイの正式名称では、บ้านเตาไหแจ้เลียง(Ban Tao Hai Jae Liang)と呼んでいます。それはナーンのワット・ナーサオで発見された、古い貝葉に記されていたためです。

 

ボスアック焼きは、四方を山に囲まれた旧ナーン王国内で、その大半が消費されたためナーン以外ではみかけることが非常に稀な焼物です。タイ芸術局により1982年から予備調査が行われ、正式な発掘調査は1999年-2006年に行われましたが、刊行物もほとんど無い状態で概要が掴みにくい焼物です。ここでは予備知識が習得できる3箇所の展示施設を紹介します。

〇ワット・プーミン付属:プーン・パン博物館

 (プーン・パン博物館)

(プーン・パン博物館展示風景)

ワット・プーミンでは、プー・マン(男性)がヤー・マン(女性)の耳元で囁いている壁画が特に著名ですが、その境内にプーン・パン博物館が在ります。

ボスアック古窯址群へ行く前に寄ると、理解度が深まると思います。ここでは、完品の展示は少ないのですが、盤、皿、鉢、瓶、壺などの容器と動物肖形を見ることができます。

 

〇ナーン国立博物館

 (ナーン国立博物館)

(ナーン国立博物館展示光景)

ナーン市街にある国立博物館にも是非立寄りたいものです。ここでは、比較的程度の良いナーン焼を30数点まとめて見ることができます。展示されているのは大壺、小壺、水注、碗、鉢、瓶と二重口縁壺で、盤以外の焼物が網羅されています。

 

〇サーエン・チューエン私設博物館

 (サーエン・チューエン私設博物館)

(私設博物館展示品)

ボスアック村の住人である、スーナン・ティッカム氏の敷地に程度の良い窯址が並んでいますが、その一画に氏の私設博物館が存在します。そこには大壺、小壺、瓶、盤、鉢、皿、二重口縁壺が展示されています。

先にも記したように、旧ナーン王国内の流通が主体であったことが理由と思われますが、完品なかでも盤類の完品は、1点を除き未だ目にしておりません。それほど流通量は少なかったことと思われます。

以下優品であるバンコク北郊ランシットのバンコク大学付属東南アジア陶磁館の展示品を2点紹介して、予備知識習得の項を終わります。

(褐釉二重口縁壺・・・ハニージャーとも呼ぶ蜂蜜貯蔵壺で、二重口縁部に水を張り蟻の侵入を防止します。釉薬の発色の良い完品で優品です)

(灰釉大壺・・・釉薬の発色に乱れは無く風格のある逸品です)

 

 ●ボスアック焼きの特徴

〇釉薬による分類

 褐釉、黒褐釉、肌色に発色する灰釉、白色釉、青磁釉が存在

〇器形による分類

 碗、鉢、盤、皿、大小の壺類、大小の瓶類、二重口縁壺、動物肖形

〇装飾の種類

 印花文、鉄絵文、貼花文・・・印花文は魚文の他に象文や花文、更には幾何学文が存在します。鉄絵文は稀に見ることができますが、草花文や花卉文が主流で、且つ後期陶磁でしか見ることができません。貼花文は後期陶磁の装飾の主流で、鳥の顔面をデフォルメして文様としています。以下印花文、貼花文、鉄絵文の順に事例を紹介しておきます。

 青磁印花双魚文盤片*(後期陶磁:腹鰭2箇所、背鰭1箇所)

青磁貼花鳥文大壺片(後期陶磁)

青磁鉄絵五弁花卉文鍔縁盤片(後期陶磁)

〇焼成技法

前期陶磁で盤類の焼成は、サンカンペーン窯やパヤオ窯と同じように口縁と口縁を重ね、高台と高台を重ねた重ね焼きが主流でしたが、後期陶磁では匣(サヤ)と呼ぶ、保護容器に入れて焼成されました。しかし、この技法を実際の焼物で判断するのは容易ではありません。

〇前期陶磁と後期陶磁における印花魚文の違い

北タイで、判子をつかって器の表面に印をつける、いわゆる印花文の焼物を焼いていたのは、パヤオとサンカンペーン、ワンヌア及びナーン・ボスアックでした。そこで焼成された印花魚文(但しワンヌアには魚文は存在せず)は窯場毎に特徴をもっていました。その特徴を次の表に示しておきます。             

ナーン・ボスアックの特徴は、前期陶磁の魚文が示すように尾鰭と腹鰭がそれぞれ1箇所で、パヤオやサンカンペーンと異なる独自性を示しています。しかし後期陶磁になると、パヤオと同じように腹鰭2箇所、尾鰭1箇所の魚文も見ることができます。何やら3箇所で違いを強調しているように思われます。

ここで前期陶磁と後期陶磁の魚文の事例を紹介し、『ボスアック焼きの特徴』を終えたいと思います。

前期陶磁魚文事例 

(背鰭、腹鰭各1箇所)

後期陶磁魚文事例 

(背鰭、腹鰭各1箇所)

後期陶磁で青磁印花双魚文盤片*(背鰭1箇所、腹鰭2箇所)の事例は先に紹介済です。尚、焼物としては後期陶磁を中心に紹介しました。

 

 

ボスアック古窯址群は3つの集落にまたがっていることは、先に紹介しましたが、そこへの行き方を説明しておきます。国道101号をナーンの市街地から5km南に行くと、Ban Du taiの集落があり、写真の道路標識を見ることができます。

この道路標識はナーン市街に向かう車線の左側に設置してありますので、見落とさないでください。その標識に従い左折し、道なりに10km進むと窯群のあるバン・ボスアックの十字路に到達します。十字路の一画は、公園ですので分かりやすいでしょう。その十字路を右折して300mで、次に紹介する窯場に到着します。それを以下のグーグルアースに示しておきます。

これから紹介する窯址は、いずれも私有地内に存在します。見学は随時受け入れてもらえますが、必ず家人に声をかけて見学して下さい。尚、窯の概要については、バンコク考古学センターのサーヤン教授の報告書を参考に記述しています。

〇ジャーマナス窯

窯は半地下式の横焔式単室窯で、穴窯にほかなりません。サンカンペーン窯に較べれば一回り以上の大きさで、全長は6.5mになります。開窯時期は13世紀後半で、これはパヤオ窯とサンカンペーン窯の開窯時期と重なります。これら3つの窯群の開窯時期が重なるのは、元寇で追われた陶工が開窯に関与したとの説がありますが、定かではありません。そして14世紀前半まで操業したと云われています。
尚、窯址から出土した陶磁には、以下のものがあります。
 無釉陶・・・大型壺、二重口縁壺
 施釉陶・・・碗、鉢、盤、二重口縁壺、大型壺、印花魚文盤

〇スーナン窯

開窯時期と操業期間は、先のジャーマナス窯と同じく、13世紀後半から14世紀前半です。窯の全長もジャーマナス窯と同じ6.5mです。窯址から出土した陶磁を次に記しておきます。

 無釉陶・・・大型壺、二重口縁壺
 施釉陶・・・碗、鉢、盤、二重口縁壺、大型壺、印花魚文盤

〇チューエン窯

先に紹介した2つの窯と同じような穴窯で、全長は4.9mと先に紹介した窯より、やや小振りの大きさです。そして焼かれた焼物も、先の2つの窯とおなじものでした。ここで施釉陶と表現していますが、それには褐釉、黒褐釉、肌色に発色する灰釉、白色釉、青磁釉が存在しています。

尚、ナーン・ボスアック窯群は、初期:13世紀後半ー14世紀前半と後期:16世紀ー17世紀が存在していますが、ここでは初期の窯のみ概要を紹介しました。 

半月後に第7章をUp Dateする予定です。

<了>  

 

 


予告:Up Date5周年&1500回記念・北タイ陶磁特集の連載開始

2019-07-24 08:14:32 | 北タイ陶磁

2018年2月から4月にかけて、Up Date1000回記念として下記のテーマで記事を掲載してきた。

1.サンカンペーン窯と焼成陶磁:เครืองปั้นดินผาและเตาเผาส้นกำแพงhttps://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/895c6f193a6090b3461b5f41f8ccac8d

2.サンカンペーン古窯址https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/033d3247f8d5bb0ba3862b88e0b4166e

3.サンカンペーン鉄絵昆虫文盤の真贋についてhttps://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/182bfe9d7b4ccf135c8254ea46290403

4.E-Museum of the Sankampaeng Old Ceramics https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/1dcd6141bfb1a0e78d52a65501e3189d

5.双魚文考https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/c9101e72e274386576e3c1f25af54401

6.サンカンペーン印花双魚文の系譜https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/f0993b767badd5ce069f5efa9e659eb2

7.印花魚文の装飾技法https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/46caf0a5ff23cedf47fa0dd683f5ee10

8.法輪文考https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/b69d1866352a15959419994ef353cf57

9.チェンマイ県メーテン郡インターキン古窯址https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/0108a602969c866dd8c38a0736fa0261

10.オムコイ山中発掘現場https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/3200035c87a946255014b5494bd67af4

 

今回は以下の内容で記事を掲載したいと考えている。多くの北タイ陶磁愛好家に訪問頂ければと考えている。

(1)北タイ陶磁の魚文様

(2)ランナー(チェンマイ)王朝の王室陶磁

記事のテーマは少ないが、それなりの中味であると自負しているのでお楽しみに。

 

<了>

 

 


北タイ陶磁に魅せられて:第5章

2019-07-13 16:45:21 | 北タイ陶磁

不定期連載として過去4回に渡りUP-DATEしてきたが、あまりにも間隔が空いているため、過去に掲載した記事をご覧頂けたらと思い、それらのURLを掲載しておくので参考にされたい。

〇北タイ陶磁に魅せられて:第1章

https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/9e015d9fcaf6a02f33bbb92747452b95

〇北タイ陶磁に魅せられて:第2章

https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/064fddaeccaf6dd6886827e73c5ffb8f

〇北タイ陶磁に魅せられて:第3章

https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/1dcad4db5e1347f88d342c6dae2a4858

〇北タイ陶磁に魅せられて:第4章

https://blog.goo.ne.jp/mash1125/e/5990013b5a36044056e97932badb92da

 

それでは第5章としてパーン窯址編を紹介する。其の前に過日、ネット・オークションにパーン青磁刻花四弁花文盤が出品されていた。縁は巧みに輪花形状で削り込み、それに沿って櫛歯文を見る、近年まれに見る優品の出品である。最後まで見届けていないが、多分3万円程度であったか? バンコクの一流アンティークショップでは、5万ー10万バーツになるであろう。落札者は儲けものである。近年タイの経済成長で、タイ古陶磁の価格はタイが日本の価格を上回っている。日本に持ち込まれたタイ古陶磁がタイへ還流するのは時間の問題とも思われる。オークション出品のパーン青磁刻花四弁花文盤が下の写真である。

いきなり横道にそれたが、パーンの青磁が如何に優れたものか御理解頂けたと思われる。オリーブグリーンに発色した釉薬は、まさに耀州窯青磁を思わせる。それでは本題の第5章を紹介する。

 

パーン窯は他の北タイ諸窯に比べ、やや遅い14世紀後半から15世紀に開窯したと云われていますが、窯の形式は他と同じながら、もっとも進歩した地上式の穴窯(横焔式単室窯)でした。そのパーンの古窯址は、明らかになっているタイの窯址で一番北に位置し、北からポーンデーン地区とサイカーオ地区、そこから南東方向にやや離れたバン・チャンプーの3箇所に古窯址群が存在しています。窯址は3箇所に分散していますが、所在地はいずれもチェンライ県パーン郡内です。

パーン窯の最大の特徴は、胎土が緻密で磁器のように固く焼締まり、青磁の発色も素晴らしいものです。それは同じタイのシーサッチャナーライ焼き、いわゆる宋胡録(スンコロク)に勝るとも劣らない素晴らしさをもっています。

今回はチェンマイ国立博物館前庭に移設されているポーンデーン窯、同じポーンデーン地区ながら、その西の端に在る一つの窯址、更にバン・チャンプーの窯址群の中から一つの窯址を紹介します。原形を留める窯はチェンマイ国立博物館前庭移設の窯のみで、他は原形を留めていないのが残念です。

窯址巡りの前にパーン陶磁を見ることができる展示施設を紹介します。

先ず紹介するのはChao377号にも掲載したパヤオのワット・シーコムカム付属博物館(文化センター)です。ここでは、残念ながら綺麗な翠色の青磁盤を見ることができませんが、写真のようなやや肌色に発色した青磁の盤や壺などを見ることができます。

 ワット・シーコムカム付属博物館

肌色に発色した青磁盤

次はリニューアルされたチェンマイ国立博物館です。合わせても10点に満たないのですが、写真のようなパーン焼特有の刻花文様で装飾された碗を見ることができます。

 チェンマイ国立博物館

チェンマイ国立博物館 青磁刻花花卉文碗

パーン陶磁を見ることができる2つの展示施設を紹介しましたが、いずれも展示の品数は少なく、概要を理解するには物足りなさが残ります。

そこでもう1箇所紹介します。それはバンコク郊外ランシットのバンコク大学付属東南アジア陶磁館です。パーン陶磁の名品が皆様方をお待ちしています。ここではパーン陶磁の名盤をひとつ紹介しておきます。大振りの名盤です。

バンコク大学付属東南アジア陶磁館 青磁輪花縁刻花々卉文大盤

見込み中央には三弁の花卉文様が刻まれ、盤の端は外側に反れています。このような口縁を鍔縁(つばぶち)と呼んでいますが、その鍔縁が等間隔で削りこまれ、リズミカルな印象を与えています。このような形状の鍔縁を特に輪花縁(りんかぶち)と呼ぶこともあります。尚、中央の三弁の花卉文様ですが、大方の見方が花卉文と表現していますのでそれに従いますが、これは仏教で云うところの煩悩を打ち砕くチャクラ(投擲武器:とうてきぶき)を図案化したものと、個人的に考えています。

尚、蛇足ながらパーン陶磁の名品は日本の2箇所の展示施設で鑑賞可能です。一つ目は近年富山市立美術館に寄贈された敢木丁(カムラテン)コレクションと、福岡市美術館の本多コレクションです。まさに名品中の名品が所蔵されています。

●胎土(陶土)

素地に微細な黒と白の粒が散見されますが、夾雑物はほとんどなく緻密であり、陶器というより磁器にちかく固く焼きしまっているのが最大の特徴です。

●釉薬

他の北タイ陶磁諸窯は一つの産地で種々の釉薬や、装飾技法では鉄絵と判子を用いる印花文、掻取りで文様を示す刻花文など、複数の装飾技法を駆使していますが、不思議なことにパーン焼では青磁のみ存在します。その青磁は焼成時の還元度合いにより、まさに青磁の翠色に発色したものと、還元不足により肌色に発色したものと、2つに分類されます。特に翠色に発色した青磁は、細かい貫入(石垣のような釉薬のヒビ)が入っています。尚、青磁とは鉄分を含んだ釉薬で、それを還元雰囲気で焼くと、翠色つまり青磁色に発色します。還元度合いが低いと、肌色や鉄錆色に発色します。

●器形

翡色か肌色かは別にして、釉薬は青磁釉の一種類ですが、それが色々な器形と組み合わさって焼成されました。目にすることができる器形には以下のようなものがあります。

 盤、大皿、皿・・・それぞれ鍔縁付きと鍔縁無し(直口縁という)

 鉢、碗類

 大小の壺

 二重口縁壺(ハニージャーという)

 燭台の生活用具

この中で、最も多い盤や大皿にパーン焼の特徴があります。他の北タイ陶磁に比較し、盤や皿の高台は径が小さいのが最大の特徴で、焼成台に載せて焼成されたため、その焼成台の跡がクッキリ残っています。ここでは端正な姿の大きな壺を1点紹介しておきます。

●装飾技法

パーン焼には鉄絵による装飾文様が存在しません。またサンカンペーンやパヤオでみる判子を用いた印花文も存在しません。在るのは道具や櫛歯を用いた刻花文(猫描き手、櫛歯文)のみです。尚、無装飾の盤や鉢・皿も存在します。

パーン焼の刻花文の最大の特徴は、装飾の文様に独特なものがあります。それは二つの特徴をもっています。一つ目はシーサッチャナーライの文様と似た猫描き手(ねこがきて)の文様ですが、パーン焼のほうが大振りな感じを受けます。二つ目は見込み中央に三弁の花卉文様、その周囲には四匹の魚が右回りで回遊する見事な装飾の青磁盤です。この見込み中央文様は、ミャンマーの陶磁器に頻出するモチーフで、何らかの関連があると思われますが、詳しいことは分かっていません。

それでは二つ目の特徴である、三弁の花卉文様を中心に周囲を四匹の魚が回遊する刻花文の大盤と、十弁の花卉文様の盤を紹介しておきます。

 バンコク大学付属東南アジア陶磁館 青磁花卉四魚文大盤

バンコク大学付属東南アジア陶磁館 青磁花卉文盤

以上がパーン焼の特徴です。 

窯址を巡った順に紹介します。何度も記載して恐縮ですが窯址巡りでは、語学力に自信のない方は、タイ人日本語ガイドを同伴してください。

 バン・チャンプー古窯址

それでは窯址巡りです。先ずパーン市街を経由し、そこから10kmチェンライ方向に走ると国道1号の両側に家並が見え、行く手には横断歩道橋が見えてきます。そこを右折すると、バン・チャンプーまで3kmの道路標識が掲げられています。直進してその突き当りに在る、ワット・チャロエンムアンを左に曲がって、道なりに進むとバン・チャムプーの村落に到達します。当然ながらバン・バンチャンプー古窯址の位置など分かりません。そこでバイクで通りかかった人に尋ねると、その窯址の地主を知っているとのことで電話して頂きました。
バイクの人に尋ねた場所から200m北上し、その地主を尋ねると、既にバイクに乗って準備完了でした。地主のバイクを追走すると、小高い丘をのぼり寺院(ワット・パープッタ二ミット)に突き当たり、そこを左折して道なりに走ると、丘の下りになり田園の平地にでました。そこを尚400-500m北上すると、左手の田んぼのこんもりした立木が窯址でした。

 窯址と地主

レンガが一部残存する窯址

写真のこんもりとした処が窯址で、右の人が案内して頂いた地主です。畦道を伝って現地に立つと、殆ど崩壊しているが、煉瓦の基礎部分と散乱する陶片から、地上式の窯址と認識することができました。

 散在する窯址群の遠景

それにしても村人の案内がなければ、到達できないうえに地主に出会えたのはまことにラッキーでした。地主によれば、西の山塊の麓の田園の中にまだ窯址があるとのことでしたが、そこはパスすることにしました。上の写真の辺りとのことでした。

 ポンデーン窯群

 バン・チャンプー古窯址より国道1号に戻り、再び北上すること約5kmで家並が見えてきます。徐行してバン・ノーンパックジックの道路標識のところを左折し、ポンデーン古窯址でチェンマイ国立博物館へ移設前の窯が、在った処に向かことにしました。1kmも進んだでしょうか? 住居前に人をみたので、場所を尋ねると要領を得ません。更に近くにいた人にも尋ねましたが、知らないようでした。行ってみたいものの2人以外に尋ねる人もいません、チェンマイ国立博物館の前庭に移築復元されていることもあり、残念だがあきらめることにしました。
いよいよ最後はバン・ノーンパックジックの家並の手前で、ポンデーン古窯址群の西の端にある窯址群の探索です。国道1号左折地点より3kmも走ったでしょうか、丘を下って平地に出た地点に小川が流れており、そこを右折したまではよかったのですが、そのどこに窯址があるというのでしょうか?
運が良いのは重なるのでしょうか? たまたまバイクで通りかかった農夫に尋ねると、自分の所有地に在るので、ついて来いとのこと。追走すること1.5-2kmで小川が左へターンするところが目的地でした。何とラッキーなことでしょう。そこは、周囲が田んぼで、半径200m程のこんもりと木々が茂る林の中で、半分はラムヤイ(竜眼)の果樹が植わっています。

そこを入るといきなり左手に高さが1.5m、長さが5-6mのこんもりした封土がありました。そこが窯址のようで、陶片が散乱していましたが、窯の概要は分かりません。そこをパスして更に150-200m進んで行くと、林の西南端で田んぼとの境界付近に、比較的窯体が残る場所に案内されました。そこはタイ芸術局が過去に発掘調査したようで、立て看板が残っていました。窯の名称を案内して頂いた地主にたずねましたが、窯の名前はついていないとのことでした。そこはポンデーン古窯址群の西南の端に相当しています。残念ながら窯址は、タイ芸術局の調査とともに陶片も全て回収されていました。そこは煙突部らしき構築物と焼成室の基盤部分の煉瓦が残るが、焼成室幅が2mほどであったので、全長は5-6mと推測されます。

 残存する煙突

残存する窯址の煉瓦

窯址で見た陶片

ここも地元の案内人がいないかぎり、近くまでアプローチできても、古窯址にたどり着くのは困難と思われます。
帰途、ラムヤイ畑のなかには陶片の散乱物が無数に在り、青磁の陶片と共に焼成台などの焼成具も目に付きました。其の中でびっくりしたことがありました。パーンと云えば、盤や皿の縁の形状が輪花縁や鍔縁と呼ぶ形状で、刻花文や櫛歯文様の青磁盤(前掲写真参照)が著名ですが、ビックリしたことに当該盤は、口縁が釉剥ぎされ盤形も含めてサンカンペーンのようにも見えます。このような口縁の釉剥ぎの存在など思いもつきませんでしたが、驚き以外の何物でもなく新たな発見でした。

今回各古窯址ともに崩壊が激しく、まともな窯址を見ることができませんでした。そこでチェンマイ国立博物館の前庭に移設されている窯址を紹介して、パーンの一連の古窯址訪問記の終わりにしたいと思います。

 チェンマイ国立博物館移設のパーン・ポンデーン窯址

移設された窯址は、北タイ諸窯の中では異例の大きさで、長さは10mを越えます。これをみればサンカンペーン古窯などは三分の一の大きさでしかありません。この移設された窯址を観察すると窯壁が二重になっていることが、お分かりになると思われます。推測ですが天井も二重であったと思われます。これは青磁を焼成するための還元焼成による窯圧上昇で、天井や窯壁が崩壊するのを防止するための処置と、気密性向上の手段と思われます。優れた青磁が焼成できたことをご理解頂けたと思います。

 

<了>

 


北タイ陶磁に魅せられて:第4章

2019-06-20 08:16:03 | 北タイ陶磁

パヤオ古窯址とは、中世の13世紀末から操業を開始した、現パヤオ県ムアン郡に散在する古窯址群の総称で、その領域はムアン郡の南から北に及んでいます。今回は、その窯址巡りの前段として、予備知識の習得が可能な博物館とパヤオ焼の特徴を説明し、その後窯址について紹介します。

  

パヤオ焼の知識が習得できる2箇所の展示施設を紹介します。最初に紹介するのはパヤオ湖の東南岸に在る、ワット・シーコムカム付属博物館(文化センター)です。

(ワット・シーコムカム付属博物館)

ここでは多くの展示物を見ることができますが、パヤオ陶磁も目にすることができます。下の写真は、後程紹介するウィアン・パヤウ(Wiang Phayaw)古窯址から出土した灰釉柑子口(こうじぐち)瓶で、この器形は中国陶磁の影響を受けたものと考えられます。当該付属博物館では、ウィアン・パヤウ古窯址から出土した、10点ほどの陶磁を見ることができます。

 

(灰釉柑子口瓶 ワット・シーコムカム付属博物館 現地撮影)

 次に目指すのは、やはりパヤオ湖東南岸の国道1号から、北へ向かって右へ暫く入ったところにあるワット・リー付属博物館です。そこの展示品は、やや専門的になりますが、数寄者にとって驚きの連続でした。その一つはパヤオ褐釉印花象文盤です。

(褐釉印花象文盤 ワット・リー付属博物館 現地撮影)

カベットには鎬文を配し、見込みの周辺には小さな三角の印花文(後述)が放射状に押され、中央が大きな象の印花文で装飾されています。写真は薄墨色に写っていますが、実際は褐色じみていました。

 割れの補修を上手にして欲しいのですが、完器であればパヤオの名器中の名器でしょう。尚、具体的な焼成窯は不明です。

 (貼花鹿文陶片 ワット・リー付属博物館 現地撮影)

二つ目は写真の貼花文(後述)で、その出所は明確でフェイ・メータム(Huay Mae Tam)窯です。白土をスリップ掛けした後に鉄分の多い陶土を、見返りの鹿か麒麟を見立てて貼付けたもので、このように種類の違う陶土を貼付けて貼花文とするのは、北タイで唯一の技法で、パヤオ焼でしかみることができません。                                                

 (掻取象文陶片 ワット・リー付属博物館 現地撮影)

驚いた展示品の三つ目は、象の掻き落とし文をもつ陶片で、このような技法は他の北タイ諸窯ではみかけず、中国・磁州窯の影響も考えられますが、そのことについては明らかではありません。これはフェイ・メータム窯で焼成されたことが明らかになっています。以上2箇所で予備知識を習得すれば、凡その焼物の特徴が分かろうかと思います。以下にパヤオ焼の種類と特徴を紹介しておきます。

<釉薬による分類>・・・パヤオ陶磁を釉薬によって分類すると

1. 灰釉・・・濃淡と色調の違いがありますが、灰色から黄土色に発色

2. 褐釉・・・濃淡をもつ褐色

3. 青磁釉・・・いわゆるオリーブグリーンに発色

・・・以上の3種類に分類されますが、青磁釉は少なく、それは後程説明するウィアンブア窯群の一部の窯で焼成されました。

<装飾技法による分類>

装飾技法としてほぼ共通しているのは、器の表面を白土の泥漿により、化粧掛け(スリップ掛けとも云う)している点です。パヤオの陶土は鉄分が多く、そのまま焼成すると発色に変化があるものの、概ね灰黒色から黒褐色に発色し見栄えはよくありません。そこで白土の泥漿で器の表面を覆う手法を採用しています。この手法はサンカンペーン焼と同じものです。以下スリップ掛け以外の装飾技法を列挙しておきます。

1. 印花文(いんかもん)・・・器を成形後、判子を押して文様形成する方法で多くが凸版ですが、僅かながら凹版を用いて、文様が浮き上がる印花文も存在します

2. 刻花文(こっかもん)・・・化粧土をスリップ掛け後、それが乾かないうちに割り箸のような道具で、掻きとるように描いた文様と、釘のような道具で成形後の器胎に文様を刻む2種類の刻花文が存在します

3. 掻取文(かきとりもん)・・・スリップ掛け後そのスリップが半乾燥したときに、ナイフのような道具で下地がでるまで掻きとり文様とします。掻落し文とも呼びます

4. 貼花文(ちょうかもん)・・・器の表面に表現する対象物、例えば象の形に陶土を盛り上げて、あたかもその形を貼付けたように見える文様を云います。パヤオでは、それが色調の異なる陶土で表現され、寄木細工のように見えなくもありません

以上の4分類の中で、数量的に多いのは①印花文と②刻花文です。以下具体的事例を紹介しておきます。                               

 (青磁印花日輪文盤 ジャオ・マーフーアン窯資料館 現地撮影)

写真は印花文の事例で、文様は日輪(太陽)を表現しています。パヤオ焼としては珍しいオリーブグリーンに発色した青磁で、後程紹介するジャオ・マーフーアン(Gao Ma-Fuang)窯で焼成されました。

 (褐釉刻花唐草文盤 バンコク大学付属東南アジア陶磁館 現地撮影)

事例の二つ目は、褐釉刻花唐草文盤です。見込み外周に波状文を刻み、カベットには唐草文を描いています。この文様はパヤオ陶磁としては、最もポピュラーで代表的な文様です。モン・オーム窯で焼成されたことが明らかになっています。

<パヤオ焼の文様>

1. 印花文の文様には双魚文、象や馬、鹿などの動物文様、獅子やタイでホン(ハムサ、ハンサとも云う)と呼ぶ霊獣や霊鳥文、日輪文、仏教関連文様が存在します

2. 刻花文としては、唐草文や蔓唐草文がメジャーな文様で、波のような波状文もあります。また釘のような道具で刻んだ刻花文には魚文も在ります

3. 掻取文には象などの動物文様と、幾何学文様が存在します

4. 貼花文には先に紹介したような動物文と幾何学文があります        

<パヤオ焼の器形>

量的に多いのは盤・皿の類です。次に多いのが別名ハニー・ジャーとも呼ばれる二重口縁壺や、先に紹介した柑子口瓶等の壺・瓶類です。僅かながら燭台等の生活用品も焼かれました。

<パヤオ焼の特徴>

パヤオ焼の種類や分類でも触れましたが、パヤオ焼の最大の特徴は、鉄分の多い陶土を覆いかくすような、白土の泥漿を用いたスリップ掛けです。もう一つの大きな特徴は焼成技法からくる、口縁の釉剥ぎです。これはサンカンペーンの焼成技法と同じで口縁と口縁を重ね、高台と高台を重ねて焼成するため、不可欠なことでした。この2つがパヤオ焼の大きな特徴です。特徴と云えば、カロン焼きやサンカンペーン焼に見る、鉄絵文様の陶磁を見ないのがパヤオの不思議の一つです。

最も多く焼かれたのが盤や皿類で、文様としてポピュラーなものは、先に紹介した褐釉刻花唐草文盤ですが、それと共に印花双魚文盤もポピュラーでした。以下それを紹介します。

 

(褐釉印花双魚文盤 ジャオ・マーフーアン窯資料館 現地撮影)

この印花双魚文盤は完品ではありませんが、サンカンペーンの印花双魚文盤とよく似ており、どれがパヤオでどれがサンカンペーンか見分けが付きかねるほど似ています。 そこで判別の仕方が重要ですが、それを述べるには専門的になりすぎ割愛いたします。

パヤオ焼の特徴として、中国とサンカンペーンの関係を説明し最後と致します。次の写真は元末期の龍泉窯・青磁貼花双魚文盤です。

 (中国・龍泉窯 滋賀・K氏コレクション)

次に掲げるパヤオのウィアン・ブア(ブア村)から出土した陶片は、上の龍泉窯の双魚と、まさに瓜二つの魚文です。ブア村出土の陶片は貼花ではなく、凹版のスタンプを用いた印花文ですが、凹版ゆえに文様は器面より浮き上がり、貼花の趣を示しています。またカべットには、ウィアン・ブア窯群の特徴ある印花文様で、幾重にも重なる三角形状の鋸歯文を使って装飾されています。

 

(印花双魚文盤片 出典:เครื่องถ้วย พะเยา『タイ語書籍・陶磁器パヤオ』)

予てより、パヤオやサンカンペーンの双魚文は、バラモンやヒンズーの占いに等に登場する黄道十二宮の双魚宮からきたものと考えていましたが、種々追及すると上述のように、中国からの影響がより大きいと考えるに至りました。

次にサンカンペーンとの関係ですが、双方極似した印花双魚文盤を有すること、その盤は双方共に口縁が釉剥ぎされていること、更にはパヤオ・モンオーム古窯址からサンカンペーン褐釉印花双魚文盤が出土したことから、双方が兄弟関係にあったことが伺われます。つまり双方の陶工は、何がしらの繋がりが存在したと思われます。C-14炭素年代測定法に依れば、双方共に13世紀末の年代を示していることも、兄弟関係を暗示しているように思えます。以上のことから識者の見解は、中国南部の陶工が元朝の南下政策、いわゆる元寇に追われて北タイに逃れ、それらの人々が開窯に関与したと述べています。この見解の可能性はあろうかと考えますが、それを裏付ける文献として中国側の元史や明史に記載はなく、当然ながらタイ側の年代記類にも記載はありません。尚、パヤオとサンカンペーンの兄弟関係については、パヤオの方が器形の多様性や装飾の多様性、魚文の中国文様との類似性、更には地下式の穴窯で北タイでは、最も古様を示すことより、パヤオが兄でサンカンペーンが弟分と考えられています。

                               

パヤオ古窯址群の中から3箇所の窯址を紹介することにします。北タイはパヤオに限らず、保存の手が行き届かずに破壊されてしまった窯址が殆どです。今回紹介するウィアン・パヤウ窯は破壊されてしまった窯址です。原形を留める窯址としてジャオ・マーフーアン窯とポーウィ・ターエン窯を紹介します。

 

〇ウィアン・パヤウ(Wiang Phayaw)古窯址

 

上のウィアン・パヤウ窯址群を示すグーグルアースに『◎確認した窯址』と示している窯址を紹介しましょう。ここは地主に案内して頂きましたが、地主でなければ探し出すのは不可能だったと思います・・・と云うのは、窯址は破壊され単なる平地だったことによります。

 

 (ウィアン・パヤウ窯址地 現地撮影)

地主によると陶片が落ちているとのことでしたが、目を凝らして見ないと分からず、落ちている陶片は僅かしかありませんでした(写真・丸印)。写真の右側が田圃で、それに向かって20度程度の下り傾斜がついており、幾つかの煉瓦を見ましたが、窯体は見当たりませんでした。

このウィアン・パヤウ窯では、壺・瓶類が多く生産されたようで、ワット・シーコムカム付属博物館に展示されている、ウィアン・パヤウ窯の焼物は全て壺・瓶類でしたし、確認した窯址の落下陶片も壺・瓶類のものでした。

 

〇ジャオ・マーフーアン古窯址

 

ジャオ・マーフーアン窯はウィアン・ブア窯群のみならず、パヤオ古窯址群を代表する窯址です。ここはバンコク保険会社の資金援助にて、窯址の覆屋と貴重な陶片類を展示する資料館が建てられています。窯址の前面には小川が流れ、水の供給には苦労がなかったでしょう。また窯はウィアン・ブアの環濠が、築かれた丘に向かう斜面に設けられています。

 

(ジャオ・マーフーアン窯の覆屋と資料館 現地撮影)

 (覆屋内部の窯址 現地撮影)

写真ではやや分かりづらいのですが現地に立つと、これらの窯は地下タイプの穴窯(横焔式単室窯)であったことが分かります。ランナー領域において先駆けの役割を果たした、古様を示しています。窯の全長は5.2m、幅は1.9mで、サンカンペーンの窯より一回り大きくなっています。この窯と共に、焼成時に破損した品物や不良品を捨てた捨て場(これを物原と云う)も保存されています。

 (ジャオ・マーフーアン窯物原 現地撮影)

この物原を隅から隅まで観察すると、写真のカベットに鎬文をもつ褐釉盤の陶片をところどころで目にすることができます。まさにサンカンペーンと瓜二つの陶片です。これもサンカンペーンと兄弟関係を伺わせる資料です。

                              

〇ポーウィ・ターエン古窯址

ジャオ・マーフーアン古窯址から300m東南に位置し、そこはウィアン・ブアの環濠の麓にあたります。そこへ行くには民家の庭先を通る必要があり、家人に窯址を訪問する旨を伝えて下さい。この窯址も穴窯で伝統的な横焔式単室窯です。全長は5.5m、全幅1.7mで、先のジャオ・マーフーアン窯よりスリムな形をしています。

 (ポーウィ・ターエン古窯址 現地撮影)

ジャオ・マーフーアン窯は複数の窯で構成された窯群でしたが、このポーウィ・ターエン窯は写真の1基しか確認することはできず、窯群であったかどうかについては、情報をもちあわせていません。ここでは写真に陶片が写っているように盤・皿類を中心に焼成されました。

 

<了>