<続き>
前回は縄文時代草創期から早期の展示物を紹介したが、今回は中期以降晩期迄の展示遺物を紹介する。
御所市の観音寺本馬遺跡から出土した土壙墓の縄文人人骨が、復元展示されていた。
土壙墓の他に土器棺墓も存在したようである。縄文時代に葬送の儀礼が存在したか、しなかったのか。後世の葬送にまつわる遺物は出土していないようだ。
<続く>
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前回は縄文時代草創期から早期の展示物を紹介したが、今回は中期以降晩期迄の展示遺物を紹介する。
御所市の観音寺本馬遺跡から出土した土壙墓の縄文人人骨が、復元展示されていた。
土壙墓の他に土器棺墓も存在したようである。縄文時代に葬送の儀礼が存在したか、しなかったのか。後世の葬送にまつわる遺物は出土していないようだ。
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いきなりシリーズを中断していたが再開する。再開(2)回目は、旧石器時代・後期に続く縄文時代草創期の展示遺物の紹介である。
縄文時代草創期の特徴は、なんと云っても土器の出現である。土器には余剰になった食料やの保管や、貯蔵が可能となった。
<続く>
今年1月、橿原考古学研究所付属博物館(以降、橿考研付属博物館と記載)を訪れた。過去、奈良県の主要博物館は訪れたが、橿考研付属博物館はリニューアル中で行くことができなかった。
今回から展示物について、シリーズで紹介する。まずは橿考研付属博物館の位置から。
年代順に展示遺物を紹介するとして、3万年前の旧石器時代の遺物から紹介を始める。
旧石器時代の出土遺物は、2000年に発覚した旧石器捏造事件が思い出される。東北地方の旧石器時代の前・中期の遺跡や遺物に少なからぬ影響を与えた。
ところで、我が出雲から約12万年前の旧石器時代中期の石器が出土している。列島最古のものと思われる。これについては、別途紹介したいと考えている。
<続く>
<続き>
今回も古墳時代の展示品を紹介する。いままで見てきたように、現代にも通じる生活用品が既に用いられていたことに、多少なりとも驚きを感じる。竹箒などは、それにあたる。
武具をみていると、騎馬民族は遣って来たとしか思えない。但し、江上波夫氏の論述にあるように騎馬民族征服王朝説は考古学的には証明できないようだ。
<続く>
<続き>
今回も古墳時代の展示品紹介の続編である。
角杯は新羅経由で渡来したものであろう。兵庫県の須恵器窯からも出土している。今回見たのは2度目となる。
(86)が動物台角杯であるが、全貌は留めていないものの、似たような角杯が新羅から出土している。
<続く>