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弥生時代中期(2200年前)の下之郷遺跡は三重の環濠に取り囲まれていた。
(下之郷遺跡パンフレットより)
魏志倭人伝の冒頭に、“倭人在帯方東南大海之中、依山島為國邑。旧百餘國、漢時有朝見者、今使譯所通三十國。・・・略・・・其南有狗奴国、男子為王、其官有狗古智卑狗、不属女王。”・・・と記されている。
邪馬台国時代に倭人の三十の国々が魏に使訳を通じていたという。その三十の国々とは、対馬国から始まって、最後の狗奴国まですべての国名が記されている。
下之郷遺跡と魏志倭人伝との時代観は必ずしも一致しないが、下之郷遺跡は“旧百餘國”の一国であったと考えられる。そして倭人伝の時代には、狗奴国を構成する一国ではなかったのか?
(下之郷遺跡パンフレットより)
卑弥呼の時代、下之郷遺跡は狗奴国の重要な一員として、邪馬台国と対抗していたであろうとの妄想を抱かせる。三重の環濠は、それほどの有力な国邑であったと考えられる。その証拠として多くの武器や武具類が出土しており、守山市教育委員会発刊のパンフレットには吉野ヶ里のような城柵を掲載している。
<了>