ボアソナードについて。ウィキペディアによると、
明治初期に来日したお雇い外国人の一人。幕末に締結された不平等条約による治外法権に代表される不平等条項の撤廃のため、日本の国内法の整備に大きな貢献を果たし、「日本近代法の父」と呼ばれている。司法省明法寮、司法省法学校のほか、東京法学校(現法政大学)、明治法律学校(現明治大学)、旧制東京大学でも教壇に立ち、東京法学校では教頭も務めた。これらの学校は日本法学の草分けとなる人材を多く輩出した。行政・外交分野でも日本政府の顧問として幅広く活躍し、旭日重光章(外国人として最初の叙勲)、勲一等瑞宝章、勲一等旭日大綬章と日本の勲章を三度受章した。
特に民法の起草の中心人物であった。
その、ボアソナードはフランス人である。縁もゆかりもない国の法律の整備に遥かヨーロッパから極東の国、日本に来日した。
取り調べの場で日常的に繰り広げられる拷問を見分し、泣いて拷問をすぐさまやめるように懇願した。
日本にとっての恩人ボアソナード。
カルロス・ゴーン氏の「日産の乱」を前に、ボアソナードは泣くだろう。