小島教育研究所

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【2021年の教育現場予測】「教員の質」問題に備えよ

2021-01-10 | 教育制度について

■少人数学教の目的は教育環境の最適化と教員の負担軽減

 2021年の教育現場において、大きなテーマになりそうなのが「教員の質」である。
 新型コロナウイルス感染症(新型コロナ)騒ぎのなかで、一気に盛り上がったのが「少人数学級」に関する議論だった。そして、その多くは「3密(密閉、密集、密接)」を避けるには教室の生徒数を減らすべきだ、という趣旨であった。 しかし、少人数学級は新型コロナ対策のためだけに求められているものではない。子どもたちに対する細やかな教育を実現し、それぞれの子どもたちが健やかに成長していくためには、教員の目が行き届く環境が必要不可欠である。
 個々に向き合えば、子どもたちは多くの問題を抱えている。そこに教員が寄り添っていくには、現状の1人の教員が担当する子どもの数が多すぎる。学級あたりの子どもの数が少ないほど「成長を支援するための教育」が実現できる。しかし、新型コロナをきっかけに、2021年度から小学校での35人学級の導入が決まったものの、まだ不十分だと言えるだろう。
 少人数学級の実現は教員の負担を軽くすることにもつながっている。それも目的のひとつのはずなのだが、今回の少人数学級導入の議論のなかでは無視されている気がしてならない。 教員に楽をさせる、といって否定的な意見があるかもしれない。しかし、教員が本来の教育を行うためには負担を軽くし、子どもたちに寄り添う時間を確保することが必要である。また、近年では子どもたち個々が抱える問題も複雑になってきており、教員の負担は健康を損ないかねないところまできている。少人数学級は1日も早く実現していかなければならない。
 そんな中で35人学級とはいえ、少人数学級の導入が決まったわけだが、今度は「教員の質」を問題にする動きがジワジワと始まってきている。これについては、少人数教育導入のための予算をめぐる文科省と財務省の攻防でも取り上げられている。
 財務省は昨年10月26日に開かれた財務相の諮問機関である財政制度等審議会の歳出改革部会に資料を提出し、そこで少人数学級の導入に反対する見解を明らかにしている。そこには、「教員定数の増は採用倍率の更なる低下を招き、教員の質の低下が懸念される」という一文がある。
 少人数学級を導入すれば教員の数を増やす必要があり、そうなると採用倍率は低くなるので教員の質は低下する、というわけだ。 そして、早稲田大学の田中博之教授の見解として、次の引用をしている。

「学校現場では、教員採用試験の競争率が3倍を切ると優秀な教員の割合が一気に低くなり、2倍を切ると教員全体の質に問題が出てくると言われている」
 教授による具体的な例が示されているわけではない。財務省は文科省に対して「少人数学級導入によって効果が上がる証拠をだせ」と言い続けてきたが、その財務省が説得力のある証拠を示すわけでもなく「見解」だけを理由にしている。


■問題は教員を取り巻く環境の改革がすすまないこと

 証拠なるものが皆無というわけではなく、埼玉県志木教育委員会の例を挙げている。志木教委では「採用予定者数を確保することが困難(倍率1倍台)なくらい応募者が激減」しており、その結果、以下のような「教員の質の低下」があるという。
「指導力に関する問題が顕在化(実際、クラス担任を続けることが難しく1学期で辞職した教員の事例等あり)」
 1学期で辞職したから「質」に問題あり、という乱暴な論旨である。多忙からの体調悪化かもしれず、パワハラで退職に迫られた可能性も否定できない。教員の質に関係なく、そういう環境を改めていかないかぎり教員の途中退職は避けられない。実際、途中退職する教員は多い。
 そういう状況を無視して、「辞めるのは教員の質に問題があるからだ」とする財務省の捉え方は、教員個人だけに問題を押し付けており、問題があるだろう。
 さらには、2019年度の採用倍率(小学校)が全国平均で2.8倍であり、8道県では2.0倍未満となっているとして、その同県名を挙げている。新潟県1.2倍、福岡県1.3倍、佐賀県1.6倍、北海道1.7倍、広島県1.8倍、長崎県1.8倍、宮崎県1.8倍、愛媛県1.9倍、といった具合だ。
 つまり、この8道県では教員の「質」が低下している、と言っているのと同じなのだ。それを8道県に含まれる自治体の教員に話したところ、苦笑していた。苦笑するしかないほど、乱暴な決めつけでしかない。

 財務省と同じような見方で教員の「質」が問題にされてくるとすれば、すべてが「教員が悪い」になってしまう可能性がある。
 残業が多いのは教員の質が悪いからだ、体調を崩して休職するのは教員の質に問題があるからだ、学級崩壊は教員の質が低いからだ、イジメがなくならないのは教員の質のせいだ、といったように、何でもかんでも教員の「質」の問題にされてしまう。
 挙げ句、「教員はダメだから外部から人を入れろ」ということにもなるだろう。実際、経団連は昨年11月に「Society5.0に向けて求められる初等中等教育改革」という提言で、学校で外部人材を積極的に採用するよう求めている。 企業にしてみれば、社員を派遣するビジネスにもつながるだろうし、財務省としては、企業から安価で人が派遣される制度になれば、支出を抑えられて万々歳かもしれない。

 教員の「質」をめぐる議論が活発になっていくことで、「質」は単純化されてますます教員の責任が問われることになり、攻撃対象にされかねない。そこに用心しなくてはならないし、教員の「質」は教員個人の資質の問題ではなく、際限なく仕事を増やしている問題、管理の問題、短絡的な効果だけを求めてくる問題、つまり教育全体の問題だということを再認識する姿勢こそが必要なのではないだろうか。

以上BT!より



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