遠山 啓先生が亡くなって、30年が経過した。その名前を知らぬ方も随分増えたことだろう。
若い方に、少しばかり数学教育の一端を伝えよう。昨年没後30年であり、その著作選集が日本評論社が出版された。同社から今も発刊されている月刊誌「数学セミナー」は同氏の創刊されたものだ。(共同創刊者として、矢野健太郎東工大教授)東大の数学科を中退し、東北大の数学科を終了。東工大教授の職に永らくあった。数学教育(1950年代)に疑問を感じ、(長女の算数を指導する中で気が付いた疑問から出発し)、数学教育全般の改革を自ら決意された。日本数学協議会の設立、機関紙として雑誌「数学教室」創刊。太郎次郎社発刊の雑誌「ひと」創刊と、遠山先生の活躍には目を見張るものがあった。
特別支援学級が出来て3年。色々な障害を抱えている生徒に対して行う教育。出来ないからといって、小学校の復習ばかりしていては、生徒がかわいそうである。該当学年の教材を十分噛み砕いた教材が提供できたら良いと思う。生徒のプライドを満たしつつ、概念の本質が伝えられる教材の開発が望まれる。
私自身にとって遠山先生は岩波新書の「無限と連続」の著者である。古本屋で手にしたそれは、旧かな使いで決して読みやすいものではなかったが、「数式を極力使わずに現代数学のエッセンスを伝える。」ことを目的に書かれており、今読み返しても魅力あふれるものである。
若い方に、少しばかり数学教育の一端を伝えよう。昨年没後30年であり、その著作選集が日本評論社が出版された。同社から今も発刊されている月刊誌「数学セミナー」は同氏の創刊されたものだ。(共同創刊者として、矢野健太郎東工大教授)東大の数学科を中退し、東北大の数学科を終了。東工大教授の職に永らくあった。数学教育(1950年代)に疑問を感じ、(長女の算数を指導する中で気が付いた疑問から出発し)、数学教育全般の改革を自ら決意された。日本数学協議会の設立、機関紙として雑誌「数学教室」創刊。太郎次郎社発刊の雑誌「ひと」創刊と、遠山先生の活躍には目を見張るものがあった。
特別支援学級が出来て3年。色々な障害を抱えている生徒に対して行う教育。出来ないからといって、小学校の復習ばかりしていては、生徒がかわいそうである。該当学年の教材を十分噛み砕いた教材が提供できたら良いと思う。生徒のプライドを満たしつつ、概念の本質が伝えられる教材の開発が望まれる。
私自身にとって遠山先生は岩波新書の「無限と連続」の著者である。古本屋で手にしたそれは、旧かな使いで決して読みやすいものではなかったが、「数式を極力使わずに現代数学のエッセンスを伝える。」ことを目的に書かれており、今読み返しても魅力あふれるものである。