今月頭の記事で「20世紀最高の歌曲の一つ」とまで持ち上げた "Dancing Queen" ですが、こちらに書かれている5ヶ国語のバージョンを全部聴いてみたくなったので昨日Youtubeで閲覧しました。(公式チャンネルの英語版とスペイン語版以外については著作権に疑問が残るものの、フランス語版、ドイツ語版およびスウェーデン語版へのリンクも貼っておきます。)
どうやら器楽伴奏(編曲)には英西版と仏独瑞版の2種類が存在するようです。前者はダンスクラブ、後者はライブハウスでの演奏をイメージしているような感じ。そして後者については、いずれも女性歌手の歌唱がオリジナルのそれと大きく異なっていることに驚かされました。知らずに聞かされたら別団体のカバーと勘違いしてしまうかも。以下、それらの印象を手短に綴ってみます。
まず仏語版は言語の響きによるものなのでしょうが、最初はフニャフニャ、ナヨナヨした感じに聞こえてひ弱さが否めず。ところがコーラスが加わってくると印象は一変! ハーモニーの美しさではこれが随一かもしれません。前半が抑え気味だった分、終盤が余計盛り上がるようにも思いました。
独語版は、これまた響きの特性を生かしてわざと乱暴に歌ってみようとの意図だったのかもしれませんが、それが空回りしてしまったような印象。優等生が悪ぶっても様にならないのと似ているかもしれません。(オリジナルの歌唱は上品そのものですからね。)ドタバタ喜劇を観ているような違和感が最後まで拭えませんでした。
彼ら/彼女らの母国語ということで瑞語版はまさに「水を得た魚」で最も魅力的に聞こえても不思議ではないはずですが・・・・・・私がこの言語に明るくないせいもあるでしょうが、歌詞のメロディへの乗りがイマイチで終始ゴチャゴチャしていると聞こえたのが残念。やはりこの曲は英語版が最初で瑞語歌詞は後付けなのでしょうね。ぎこちなさは独語版ほどではないですが。
ついでに聴いた回数が圧倒的に多い西語版についても。そもそもこのバージョンのみ "La Reina Del Baile" という独自のタイトルが付けられていますし、他では "Dancing Queen" と歌われるところにも違うフレーズが当てられています。(それどころか歌詞中にそれら2単語は全く出てきません。)このように唯我独尊なのですが、同時も最も熱いのがこれです。冒頭の "A bailar, a girar"(ああ踊る、ああ回る)から既に絶叫しているような感じ。私としてはこれをトップの座に置きたいところですが・・・・・歌詞を無理やり詰め込んでいるように(字余りと)聞こえる箇所がいくつかある分だけオリジナルに一歩を譲るのは仕方ないでしょうね。
ということでオリジナル(英語版)を10とすれば、西語版が9、仏語版が7、瑞語版が6で独語版は4というのが私の評価になります。
おまけ
西語版についてもう少し。サビの "A bailar~" が2度目、3度目に再現するところは、その直前の "toda juventud, aaaa~" からノンブレス(息継ぎなし)で、しかもヒートアップしてなだれ込むのが凄い。ここの素晴らしさは他を圧倒していると思います。
おまけ2
以下の英文を和訳しなさい。(既に十分知られたクイズだとは思いますが。)
Full I care cowards to become miss note.
で、答えは松尾芭蕉の最も有名な句の一つ、「古池や 蛙飛び込む 水の音」なのですが、それとは別に真面目な英訳の試みも数多くなされています。うちこちらで見つけたものを転載させてもらいます。
By an ancient pond
a bullfrog sits on a rock
waiting for Basho?
これを私が読もうとすると、どうしてもゴチャゴチャしているように感じてしまいます。(外国語だから無理もないですが。)それは措くとしても、英語で五七五の定型詩を詠む場合には日本語より多くの情報量を詰め込めそうなのがズルいと思ったりもします。上の場合はただの蛙でなくウシガエルだし、「岩の上に座っている」「芭蕉を待っている」なども。(逆に言うと「省略の美学」をトコトンまで突き詰めることが可能な本家「俳句」よりも夏井いつき先生からメッタ切りにされるリスクが "Haiku" には大きいといえるかもしれません。ついでながら、ここなどに載っているドナルド・キーンや小泉八雲 (ラフカディオ・ハーン) によるものはオリジナルに忠実であることを心がけた名訳といえますが、結果として17音節未満 (字足らず) になっています。)
実は英語とスペイン語にもこのような差異が少なからずあるように思っていました。例えばアンドリュー・ロイド・ウェバー作曲のミュージカル「エビータ」の有名ナンバー "Don't cry for me Argentina" ですが、オリジナル(英語)では "It won't be easy, you'll think it strange."(それは簡単ではなく、あなたは奇妙に感じることだろう。)と歌われる冒頭の旋律に西語版の "No llores por mi Argentina" では "Será dificil de comprender."(理解するのが難しいだろう。)という歌詞しか割り当てられていないのを知って驚いたことがあります。(よろしければ公式チャンネルのこことここで確認してみて下さい。ちなみに歌っているのはいずれも作曲者の元妻であるサラ・ブライトマンです。)
まだ "Dancing Queen" と "La Reina Del Baile" の歌詞をじっくり見比べたことはありませんが(とりあえず冒頭の "Friday night" と "Viernes noche" がきちんと対応しているのは確認済ながら)、西語版で端折られているところが結構あるのではないかと思っています。
どうやら器楽伴奏(編曲)には英西版と仏独瑞版の2種類が存在するようです。前者はダンスクラブ、後者はライブハウスでの演奏をイメージしているような感じ。そして後者については、いずれも女性歌手の歌唱がオリジナルのそれと大きく異なっていることに驚かされました。知らずに聞かされたら別団体のカバーと勘違いしてしまうかも。以下、それらの印象を手短に綴ってみます。
まず仏語版は言語の響きによるものなのでしょうが、最初はフニャフニャ、ナヨナヨした感じに聞こえてひ弱さが否めず。ところがコーラスが加わってくると印象は一変! ハーモニーの美しさではこれが随一かもしれません。前半が抑え気味だった分、終盤が余計盛り上がるようにも思いました。
独語版は、これまた響きの特性を生かしてわざと乱暴に歌ってみようとの意図だったのかもしれませんが、それが空回りしてしまったような印象。優等生が悪ぶっても様にならないのと似ているかもしれません。(オリジナルの歌唱は上品そのものですからね。)ドタバタ喜劇を観ているような違和感が最後まで拭えませんでした。
彼ら/彼女らの母国語ということで瑞語版はまさに「水を得た魚」で最も魅力的に聞こえても不思議ではないはずですが・・・・・・私がこの言語に明るくないせいもあるでしょうが、歌詞のメロディへの乗りがイマイチで終始ゴチャゴチャしていると聞こえたのが残念。やはりこの曲は英語版が最初で瑞語歌詞は後付けなのでしょうね。ぎこちなさは独語版ほどではないですが。
ついでに聴いた回数が圧倒的に多い西語版についても。そもそもこのバージョンのみ "La Reina Del Baile" という独自のタイトルが付けられていますし、他では "Dancing Queen" と歌われるところにも違うフレーズが当てられています。(それどころか歌詞中にそれら2単語は全く出てきません。)このように唯我独尊なのですが、同時も最も熱いのがこれです。冒頭の "A bailar, a girar"(ああ踊る、ああ回る)から既に絶叫しているような感じ。私としてはこれをトップの座に置きたいところですが・・・・・歌詞を無理やり詰め込んでいるように(字余りと)聞こえる箇所がいくつかある分だけオリジナルに一歩を譲るのは仕方ないでしょうね。
ということでオリジナル(英語版)を10とすれば、西語版が9、仏語版が7、瑞語版が6で独語版は4というのが私の評価になります。
おまけ
西語版についてもう少し。サビの "A bailar~" が2度目、3度目に再現するところは、その直前の "toda juventud, aaaa~" からノンブレス(息継ぎなし)で、しかもヒートアップしてなだれ込むのが凄い。ここの素晴らしさは他を圧倒していると思います。
おまけ2
以下の英文を和訳しなさい。(既に十分知られたクイズだとは思いますが。)
Full I care cowards to become miss note.
で、答えは松尾芭蕉の最も有名な句の一つ、「古池や 蛙飛び込む 水の音」なのですが、それとは別に真面目な英訳の試みも数多くなされています。うちこちらで見つけたものを転載させてもらいます。
By an ancient pond
a bullfrog sits on a rock
waiting for Basho?
これを私が読もうとすると、どうしてもゴチャゴチャしているように感じてしまいます。(外国語だから無理もないですが。)それは措くとしても、英語で五七五の定型詩を詠む場合には日本語より多くの情報量を詰め込めそうなのがズルいと思ったりもします。上の場合はただの蛙でなくウシガエルだし、「岩の上に座っている」「芭蕉を待っている」なども。(逆に言うと「省略の美学」をトコトンまで突き詰めることが可能な本家「俳句」よりも夏井いつき先生からメッタ切りにされるリスクが "Haiku" には大きいといえるかもしれません。ついでながら、ここなどに載っているドナルド・キーンや小泉八雲 (ラフカディオ・ハーン) によるものはオリジナルに忠実であることを心がけた名訳といえますが、結果として17音節未満 (字足らず) になっています。)
実は英語とスペイン語にもこのような差異が少なからずあるように思っていました。例えばアンドリュー・ロイド・ウェバー作曲のミュージカル「エビータ」の有名ナンバー "Don't cry for me Argentina" ですが、オリジナル(英語)では "It won't be easy, you'll think it strange."(それは簡単ではなく、あなたは奇妙に感じることだろう。)と歌われる冒頭の旋律に西語版の "No llores por mi Argentina" では "Será dificil de comprender."(理解するのが難しいだろう。)という歌詞しか割り当てられていないのを知って驚いたことがあります。(よろしければ公式チャンネルのこことここで確認してみて下さい。ちなみに歌っているのはいずれも作曲者の元妻であるサラ・ブライトマンです。)
まだ "Dancing Queen" と "La Reina Del Baile" の歌詞をじっくり見比べたことはありませんが(とりあえず冒頭の "Friday night" と "Viernes noche" がきちんと対応しているのは確認済ながら)、西語版で端折られているところが結構あるのではないかと思っています。