時代は進んで、オオクニヌシノミコトの時代へ。
因幡の白ウサギのお話で有名なオオクニヌシノミコト。
勿論、出雲には行ってませんが、
東京府中の大國魂神社へ、去年の酉の市の日に参拝しています。
オオクニヌシノミコトは、国造りの為に、色々な勉強をしたので、
今では沢山の御利益がある神様になっています。
そして、勉強した結果、立派な国の出来上がり
ですが、アマテラスが「その国は、代々我らが納めていた土地なので、
譲ってほしい。」と言ってきました。
アマテラスは刺客を次々に放ちますが、
オオクニヌシノミコトは、一人目、二人目の刺客を丸め込むことに成功します。
業を煮やしたアマテラスは、三人目の刺客として武闘派のタケミカヅチを派遣します。
タケミカヅチは、オオクニヌシノミコトの息子タケミナカタと力比べ。
タケミナカタは、タケミカヅチに敵わないと逃げますが、
長野の諏訪で追いつかれてしまいます。
そこで、タケミナカタは諏訪から出ない事を誓い、そのまま諏訪の神様に成りました。
それが諏訪大社
この日は、本宮、前宮、春宮、秋宮の四社全てに参拝して、記念品を貰いました。
そうそう、本宮ではPTA野球の人と親睦旅行をした際に、
雪の中、祈祷をしてもらった事もあります
寒かったなぁ。
一方、勝ったタケミカヅチはコチラへ
鹿島神宮に祀られています。
流石、武闘派、武道の神様です。
ココには何回が参拝していて、
ウチの子供たちも剣道の合宿の時に参拝しています。
御朱印を頂いた日は、他に香取神社、息栖神社にも参拝。
その日の記事はコチラ
この三神社は、江戸時代には、遠くて伊勢に行けない代わりに、「禊ぎの「下三宮巡り」として人気があったそうです。
江戸時代、伊勢参りや富士登山は、大変な人気だったんですねぇ。
神社に行くと、このような代わりのモノが出てきます。
タケミナカタの敗戦を受けて、オオクニヌシノミコトは国譲りを決断。
ただし、「その代わりに、私の神殿を皇孫が天つ日継ぎを受け、
統治する立派な宮殿と同じくらい立派なものにしてください」の条件を提示。
出来たのが、出雲大社
巨大な神殿は、それこそ神話の世界だと言われていましたが、
発掘調査で、実際に会った可能性が
御朱印を頂く様になって、様々な神社やお寺に伺っていますが、
何百年も昔の人達は、どうやってこの巨大な建築物を建てたのか?
中には、崖にへばり付いている建物もありますから、その苦労は大変なものだと思うし、
どうして、そこに建てようと思ったのか?
神や仏のお告げ?私には、全く理解できない。
ただ、建物に、絵に、彫刻に圧倒されるだけ。
このブログを書くために御朱印帳をめくっていたら、
こんな御朱印が
常陸国 出雲大社
ネットでみたら、立派な神社みたいだけど、
全然、参拝した記憶がないし、写真もない
おかしいなぁと思ったら、
家内が友達と栗ひろいに行った時に立ち寄ったそうで。
出雲はなかなか行けないけど、茨城なら
現代でも、代替えなのね
因幡の白ウサギのお話で有名なオオクニヌシノミコト。
勿論、出雲には行ってませんが、
東京府中の大國魂神社へ、去年の酉の市の日に参拝しています。
オオクニヌシノミコトは、国造りの為に、色々な勉強をしたので、
今では沢山の御利益がある神様になっています。
そして、勉強した結果、立派な国の出来上がり
ですが、アマテラスが「その国は、代々我らが納めていた土地なので、
譲ってほしい。」と言ってきました。
アマテラスは刺客を次々に放ちますが、
オオクニヌシノミコトは、一人目、二人目の刺客を丸め込むことに成功します。
業を煮やしたアマテラスは、三人目の刺客として武闘派のタケミカヅチを派遣します。
タケミカヅチは、オオクニヌシノミコトの息子タケミナカタと力比べ。
タケミナカタは、タケミカヅチに敵わないと逃げますが、
長野の諏訪で追いつかれてしまいます。
そこで、タケミナカタは諏訪から出ない事を誓い、そのまま諏訪の神様に成りました。
それが諏訪大社
この日は、本宮、前宮、春宮、秋宮の四社全てに参拝して、記念品を貰いました。
そうそう、本宮ではPTA野球の人と親睦旅行をした際に、
雪の中、祈祷をしてもらった事もあります
寒かったなぁ。
一方、勝ったタケミカヅチはコチラへ
鹿島神宮に祀られています。
流石、武闘派、武道の神様です。
ココには何回が参拝していて、
ウチの子供たちも剣道の合宿の時に参拝しています。
御朱印を頂いた日は、他に香取神社、息栖神社にも参拝。
その日の記事はコチラ
この三神社は、江戸時代には、遠くて伊勢に行けない代わりに、「禊ぎの「下三宮巡り」として人気があったそうです。
江戸時代、伊勢参りや富士登山は、大変な人気だったんですねぇ。
神社に行くと、このような代わりのモノが出てきます。
タケミナカタの敗戦を受けて、オオクニヌシノミコトは国譲りを決断。
ただし、「その代わりに、私の神殿を皇孫が天つ日継ぎを受け、
統治する立派な宮殿と同じくらい立派なものにしてください」の条件を提示。
出来たのが、出雲大社
巨大な神殿は、それこそ神話の世界だと言われていましたが、
発掘調査で、実際に会った可能性が
御朱印を頂く様になって、様々な神社やお寺に伺っていますが、
何百年も昔の人達は、どうやってこの巨大な建築物を建てたのか?
中には、崖にへばり付いている建物もありますから、その苦労は大変なものだと思うし、
どうして、そこに建てようと思ったのか?
神や仏のお告げ?私には、全く理解できない。
ただ、建物に、絵に、彫刻に圧倒されるだけ。
このブログを書くために御朱印帳をめくっていたら、
こんな御朱印が
常陸国 出雲大社
ネットでみたら、立派な神社みたいだけど、
全然、参拝した記憶がないし、写真もない
おかしいなぁと思ったら、
家内が友達と栗ひろいに行った時に立ち寄ったそうで。
出雲はなかなか行けないけど、茨城なら
現代でも、代替えなのね