笑う
泥棒の笑いです。
わざとらしく大きく笑ってもらうことにしました。
こうすることで、胡散臭さがでます。
つまり、わざとらしいということは
毒にも薬にもなるということです。
昔、私が「泣き虫なまいき、いしかわ啄木」に書生の役で出演したときの練習のエピソードです。トランクを抱えるシーンがあって、最初は重そうに、ある瞬間重さがまるでない様に演技しました。とたんに、演出から「そういう演技はしないで欲しい」といわれました。演出の意図は、自然な演技だったのでしょう。でも、それでは、このシーンの意味はなくなってしまうのです。
「私には価値があっても」「あなたには価値がない」
私が、ある瞬間トランクを空気のように持った意味が分かってもらえたでしょうか。
泥棒は、なぜとってつけたように笑うのでしょう。
これは、大人になったときの子供たちへの宿題のつもりの演技指導でした。
タンカーに火をつけたのは
僕の友だちだった
市の議事堂に火をつけたのも
僕の友だちだった
僕は何もせず
ただ汽車の通り過ぎるのを
見ているだけだった
僕の友だちだった
市の議事堂に火をつけたのも
僕の友だちだった
僕は何もせず
ただ汽車の通り過ぎるのを
見ているだけだった