演劇書き込み寺

「貧乏な地方劇団のための演劇講座」とか「高橋くんの照明覚書」など、過去に書いたものと雑記を載せてます。

本気

2012年09月29日 22時32分05秒 | 演出
本気を出すといつも入院患者が。
出し方が悪かったのかもしれないけど。
付き合ってくれた役者には感謝。

助平心を出すと
周りのお姉さま方が・・・。

まあ、もてないからしょうがない。

たまには出したかった。
本気。

出して失敗した作品もかなりあるから仕方がないけど。
「寒椿落花」とか「せれなーで」といった静かな作品系です。

女優は難しい。

訃報 滑川五郎さん

2012年09月29日 12時35分31秒 | その他
舞踏家の滑川五郎さんが亡くなられたと、聞いたのが27日のこと。
ネットを検索していたが、それらしい情報は得られなかった。
ただ、こんなブログが。

惜別 | A.C.O.A.
http://blog.acoa.jp/?eid=1405167

滑川五郎さんと初めて会ったのは1986年7月19日/20日に大谷で上演された「アボリジニィ」の舞台の手伝いに入ったときだった。

地下空間の利用:滑川 五郎「アボリジニィ」
http://www.oya909.co.jp/museum/chika_riyou/gorou.html

体調がすぐれず、痛みを耐えながらの不安な日々だったが
友人が手伝いに誘ってくれたのだ。

それから公演までの1週間は嵐のようだった。

その後「山海塾」の「卵熱」やテレビの撮影など1年ぐらい、いろいろな手伝いをしたものだ。

静岡に戻ってからは疎遠になったが、2005年「世界劇場」の「バラ犬」を観にいったら、久しぶりにお会いした。
http://www.poo.co.jp/baradog/photo.html

これは美術を志すという生徒に友人を紹介しようと思って、開演前から行ったのだ。
そうしたら美術で山村さんが入っていた。

http://www.yy.ale.co.jp/yamamura/
とまあ、関係ない話になってしまったが、プロの手伝いを始めてしたのが「アボリジニ」だった。

良くも悪くもそれから先の自分の人生を変えてくれた作品だった。

もうひとつ思い出した。

新宿の「アカシア」で偶然会ったことがあった。
たぶん、仕事もなく、次はどうしようかなって迷っていたときだと思う。

滑川五郎さんはいつも本を読んでいるイメージの方でした。

ご冥福をお祈りいたします。