「嫌われ者のすすめ」はキャラメルボックスの制作をやっている加藤さんの著作だが、キャラメルが有名になる前に加藤さんとかかわることのあった大学生から私と似ているといわれたことがある。
残念ながらご本人にはお会いしたことはない。
で、何を言いたいかというと、嫌われてもいいから、書きたいことを書くのが自分にあっている気がするということだ。
支離滅裂な、言い訳から入ったのは、先日観た劇団「おらんじぇ」の舞台を思い返していて、何が引っかかったのかなと、考え始めたからだ。
正直言って「人狼たちのうた」のストーリーは面白かったのだ。
最後のあいまいな部分を除いては。
では、「これはもうちょっと、芝居になってないよな」と感じたのはどういう点なのかを書こうかと思っている。
普通によくやってくれることだからだ。
大前提としては、芝居は何でもありだ。
だから、どんな変なことをやっても、間違いではない。
ただ、観ている側からしてみれば、貴重な時間を費やして行く訳だから
何がなんだか分からないシーンや、転換に時間を費やされるのはつらい。
というわけで、主に照明に焦点を絞って考えると、こんな点が問題でした。
1.暗転が長い、かつ回数が多い。
2.明転してから、人物が登場する。
3.物語の進め方を、暗転で区切っている。
4.照明が時間を表現していない。
5.完全暗転なのに照明室の電気がついている。
照明の世界では暗転3秒、とよく言われます。
暗転は、時間が短いほうがいいです。
明転してから人物が登場する、というのは演出の処理の問題です。
この話では、語り手がいるのですが、なんで明転してからわざわざ袖から登場するのでしょう。
明転した時には、舞台の上にいてもいいような気がしますけど。
物語の区切りを暗転処理しないほうがスマートです。
商業主義の強いアメリカの戯曲では暗転はあまり出てこないはずです。
照明が時間を表現していなくて、感情を表現しようとするので
時間感覚がなくなって、恐怖感や荘厳さが生まれません。
夜の照明が重要なのです。
せっかく非常口の電気を消したのに、完全暗転にならないのはなぜだ?
と後ろを見たら照明室の電気がついてました。
照明にかこつけて説明しましたが、脚本のどこが問題だったのか
演出のどこが問題だったのかは、なんとなく分かってもらえると思います。