1960年代の後半から70年代にかけては、アンダーグラウンド通称アングラと呼ばれる演劇の流行があって、訳の分からないセリフを連呼したり、とにかくおどろおどろしければそれでいいという、舞台がたくさん作られた。
もともとは、オフブロードウェイとかオフオフブロードウェイとかに影響された始まった流れなのだが、日本に入ってきて、土着の踊りとかいろんなものが混じって変貌を遂げたみたいだ。
しかし、この時期の一般劇団(新劇など)は、そうそう変な方向に走るわけにもいかないので、古典の新解釈による上演を多くやっていた記憶がある。
藤田弓子の「12夜」(シェイクスピア)は、キックボードに乗って登場してきたし、山本圭の「ハムレット」は鉄パイプの舞台装置だった。
まあ、これらはごく表面的な話だが、考えようによっては、演出の仕事の一部を、どう解釈すればいいか、表面的に理解できるわけだ。
馬がなければ、スケートボードでもいいではないか。悲劇なんだけど、コメディでも上演できる、とか。
基本は、どういう舞台を自分が見たいか、見たい舞台を作ればいいわけだが、それが分かっていたら、それができたら、誰も苦労しない。
無意識のうちにやっているので、うまく説明できているかわからないのだが。自分がやっている作業は多分こんな感じだ
読み合せ。
1.役者にはト書きを無視して読んでみてもらおう。特に感情表現については、かえって邪魔になることがある。
2.・・・とか、えっ、とか、あっ、という表現を一度無視してみよう。書いてあるから、書いてある通りに「間」を開けるのは、不自然だろう。
3.感情の流れを作ってみよう。いきなり笑ったり怒ったりしない。笑うには笑う理由が、怒るには起こる理由がある。これを頭の中で整理し、不自然なところについては、なぜ不自然か考えてみる。動きで代弁できるかどうかを、考えてみる。あるいは、動きで代弁できるのなら、セリフをカットすることを検討する。これについては、立ちげいこで検証する。
4.読み合わせの段階で細かい指示を出すのをやめて、役者が声に出すことで、物語が自分の中で再構築されていく過程を確認しよう。やさしい言葉で言うと、ラジオドラマを聞く感じで、頭の中で、だれがどこでどうするのかを妄想(視覚化)するのだ。
こうした、台本の問題を一番見据えていた作家の一人がつかこうへいかもしれない。つかこうへいの脚本とつかこうへいの演出する舞台とは、ものすごくギャップがあって、こういう風に自由に変化していいのかと、感心したものだ。