16巻あたりから、話がややこしくなり、おまけに顔の書き分けができていないので、人物が混乱してくる。登場人物が増えていることも混乱の原因だろう。
ストーリーには直接かかわらないからいいのだが(いいのかい)、そういえばストーリーはなかなか進展が見られない。最終巻ですべてが見えてくるのだろうか。
志のぶの高校生活もあとわずかだ。大学生になっちゃうのか。
面白いかなと思って借りてきたのだが、同じような記述が延々と続いて136ページで挫折した。
テーマは
メキシコとアメリカの国境で接する2つのノガレス、韓国と北朝鮮、ボツワナとジンバブエ――これほど近いのに発展の度合いに極端な差があるのはなぜなのか?
本書では地理でも、気候でも、文化でも、あるいは為政者の無知でもない。問題なのは政治・経済上の「制度」なのだ、と説明しているのだが、話がしつこくなおかつなかなか話が前に進まない。
きっと、この先にもっと重要なことが書かれているのだろうが、残念ながら読み続ける根気が合出ない。
あと、本の中の考察に違和感があるのも、読むのを妨げているのだろう。特に、韓国は民主的だから経済が発展したのだというような記述がしばしばみられるのだが、はたしてこの見解はどうなのだろうか。
もっとも、韓国の購買力GDPは日本を追い越しているそうなので、あながち間違いではないのかもしれないけれど、何か納得がいかないのだ。
11日に岡部で友人の石村君の朗演(朗読と演劇の中間のようなもの)があったので、観に行ってきた。岡部の図書館が月に一回開催している「木曜朗読会(大人のための『お話会』)」の催しに招かれての催しだ。
客入りはよく30人の定員は9割がた埋まっていた。ただ、今回はたまたま山の日で祭日だったが、普段は平日の第2木曜日にやっているようなので、どうなのだろう。客層が年寄り主体だったので、あまり関係ないのかもしれない。
石村君が演じたのは芥川龍之介の「蜘蛛の糸」と太宰治の「裸川」。本を持たずに、少しだけ身振りを入れて演じるスタイルだが、安定して聞けてなかなか良かった。
石村君は太宰の作品は句読点がなくて、非常に読みづらく覚えにくかったということだったが、違和感は何もなかった。
太宰の「裸川」は高校生の時に、新潮文庫の「御伽草子・新釈諸国話」で読んだはずなのだが、あまりよく覚えていない。高校3年生の時に「御伽草子」に収録されている「カチカチ山」を上演してのもいい思い出だ。あの時は句読点のことは気が付かなかった。
さて、次回の木曜朗読会は9月8日だそうで、又木克昌さんの「歌・朗読・映像で楽しむロバートバーンズ」だそうだ。
又木さんとはまた懐かしい名前だが、実は本人と直接対面して話したことはない。電話でお話したことがあるだけだ。忘れなかったら行ってみよう。
図書館の本日帰ってきた本のコーナーに置いてあったので、借りてきたものだが、実用本位の本で大変参考になった。
自分はもういい年なので、この本に書いてあるような努力はできそうにないのだが、最近交流が復活した従弟が、かなりの数の小説や戯曲をあちこちに投稿して予選を通っていることから、対抗心もあり少し色気が出ていることも事実だ。
ただ、では何を書こうかとなると、過去の作品の焼き直し的なアイデアしか浮かばないのが残念だ。
自分という読者を喜ばせる作品をかけるといいのだが、こういう発想がそもそもアマチュアの発想だろう。