20日の早朝に年下の友人が亡くなった。前日まで、犬の散歩とか自転車に乗ったりしていたので、本当に急なことだった。
22日に通夜があり、読経の間、一緒に走った時のことや、あまり呑めないのに律義に忘年会や夏のビアガーデンに出席してくれたことを思い出し、涙が止まらなかった。
映画がよかったのと、古本屋で安く出ていたので「三月のライオン」を買い始めたのが、3月17日だった。7冊で216円(+別の本3冊付)それから、不足しているところを買い足して最後に残った13巻を購入し、全巻そろったのが3月24日だった。
その13巻に「雨の匂い 河の匂い」という章がある。棋士の滑川の実家が葬儀屋で、人手が足りなくて手伝いに行った時のエピソードが描かれている。
そこで棋士の滑川が「どして人というのは、こんなにも忘れっぽいんでしょう。こんな風にたくさんの人生の最後を見送ってきているのに、どうしてもっともっと、もっと切迫感をもって生きられないんでしょう」と自分の棋士としての生き方を語りだし、最後に「…これで私、死ぬときにちゃんと、「ああ生き切った」……と思えるのでしょうか‥」と言うと
実家を継いだ弟がぽつりと答えた「「生きる」って事についてなら、僕 思うんです。「自分も いつかは死ぬんだ」って事を、忘れて呑気に日々を送れてしまう事…それって、人間の持っているちっぽけな権利の一つなんじゃないかなって」
まあ、そうなんだが、ちょっと「生き切っていない」自分が情けなく、まずはブログの更新から、とこのブログを書いている。
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