演劇書き込み寺

「貧乏な地方劇団のための演劇講座」とか「高橋くんの照明覚書」など、過去に書いたものと雑記を載せてます。

最低限の演出-2 というか演技

2009年11月24日 23時15分58秒 | 演出
愛コンタクト、失礼アイコンタクトです。
かめおかゆみこさんが「演劇やろうよ!」の中で書いているあれですね。
そういえば、かめおかさん近々ご結○だそうでおめでとうございます。
いやあ、めでたいめでたい。
は、さておき、なぜアイコンタクトなのかはかめおかさんの本の中で見てください。

では、なぜ自分が今まで取り上げなかったのかということと、なぜ今さら取り上げたかについて書きます。

きちんと演出していれば、役者がアイコンタクトとれているかいないかは、一目瞭然なので演出が指摘することとして、当たり前だと思っていたのですね。

ではなぜ今さら取り上げたかと言うと、ラジオの人生相談で「相手の目を見ることが出来ない」というのを聞いたからです。
かめおかさんは、アイコンタクトすら出来ない場合の対処は書いていません。

鏡で自分の顔を見てください。
残念ながら私も鏡を見るたびにがっかりします。
でも、目を動かす練習からはじめましょう。
右を見て、上を見て、左を見ます。
次に、下を見て、元の位置に。

自分の目がどこを向いたか意識できましたか。
そんな感じで、人の目を見てください。

高校時代は念力をかけると
好きな女の子が振り向いてくれるんじゃないかと
一生懸命見たものですが
「好きだよ」「いやよ」
「可愛いね」「見られたくないわ」
という感じで、完敗してました。

でも、目の力は下手な台詞よりも重要かもしれません。

最低限の演出

2009年11月19日 21時09分39秒 | 演出
舞台をうまく見せるコツです。
本来は演出の仕事ではなくて舞台監督の領域ですけど。

1.退場するとき、劇場の観切れを過ぎても演技をやめない。

袖幕手前で演技をやめてしまう生徒が多いのですが
演技は舞台袖の奥の壁に達するまで
やめてはいけません。

緊張が途絶えて見えます。


2.演技に自信がないときは顔が隠れないような髪型にする

顔が見えるだけで、まあ、何を言いたいかは分かります。


3.動きが分からないときは思い切って動かない

でも、動かないのも意外と難しいんですよね




なんでそんなことを

2009年11月17日 12時35分16秒 | 演劇
私が高校生にお芝居の指導をしていたときには、なるべくたくさんお客を集めるように言い聞かせていました。
少ない観客の前でやるのと、たくさんの観客の前でやるのとでは、同じ舞台でもぜんぜん出来が違ってくるからです。

しかし実際には、観客を増やすのは簡単なことではありません。指導していた生徒たちの場合は、面白い舞台が何作か続くと観客がどんどん増えていき、面白い舞台を作れる生徒が去ると、がんがん観客が減っていく、という状況でした。
入場料を取れない高校生の場合は、面白い舞台を作り続ける、というのが最高の手段といえるわけです。でも、これって、鶏が先か卵が先かみたいなところがあって、実質2年間しかクラブ活動ができない彼らに期待するのは難しいものがあります。

今から10年ほど前に、ライオンズクラブがお金を出してくれて冬に演劇公演ができることになりました。
3年目か4年目には会場もアイセル21という公民館に毛が生えたところから、清水の文化会館の中ホールが使えるようにまでなりました。

しかしその年の、公演で事件が起きたのです。
ライオンズクラブのその人は、毎年来る理事ではなくて代理の人のようでした。
まず、挨拶の順番に文句がありました。
観客が帰ったあとで、スポンサーの挨拶をさせるとはどういうことだ、というのです。
まあ、これは考えてみれば、当然のことです。
次になぜ観客が少ないのだ、といいはじめたのです。
自分たちは、なるべくたくさんの人に見てもらい、ライオンズクラブの活動をしってもらうために、お金を出して君たちを援助しているのだから、もっと観客を集める努力をすべきだ、と言って、先輩たちとかに呼びかけるなどの方法はないのかと問いただしたのです。
明らかに、顧問の先生たちに向かって言っているのですが、顧問たちはここで大勘違いをしました。

そのあとの講評会で生徒たちを、攻撃し始めたのです。
「私ならこうやって、観客を集める」とか言い始め、生徒にビラをもたせて学校の近所を回らせたとかいうのです。
つくづく情けなくなりました。

事前に、ちゃんと制作というものを教えないから、制作がなんなのかがわかっていないからこういう事態を招いたというのに。

私は学校にも非公認の外部指導者でしたから、口を挟む立場ではなかったので何も言いませんでしたが、この展開には唖然としたものです。

その翌年には、この行事はなくなりました。
かわりに、SPACが引き継いでいますが制作能力のないSPACが制作を教えられるはずもなく、相変わらず、低調な客入りが続いているようです。

一番必要なポジション

2009年11月11日 21時19分13秒 | 演劇
プロの劇団がどんな人が欲しい問いと聞かれたら
「優れた製作」と答えるだろう。

確かに有名になった劇団は
優れた作者や演出もいたが、特に初期の段階では
いい制作がいたのだ。

キッドブラザース
キャラメルボックス
山海塾

すぐに製作者が思い浮かべられる集団ばかりだ。

なぜ、高校演劇では演じることばかりで
制作を問題にしないのだろう。

病巣は、根深いものがあることを
感じたことがある。
それについてはいずれまた。

台詞はどう語るか

2009年11月10日 20時31分29秒 | 演技
台詞は、会話と語り、そして説明があります。
これを間違えると、意味のない笑いが随所に入る説明になったりして
とても聞き苦しいものとなります。

あなたは演じ分けているでしょうか。
感情の入れ方が違うのですが、これを説明してもなかなか理解してもらえません。

台詞の区分が出来ていないからです。

でも、一番いい出来の年の生徒は、他の学校の芝居を観たあとで、この区分がどこで出来ていないかを明確に言い当てていましたから、高校生のレベルでも出来ることです。

区分できますか。
で、どう演じ分けますか。

役割

2009年11月09日 21時35分02秒 | 演出
演出はみんなよく知っていますが
演技指導と舞台監督の違いは意識していないようです。

演出とはデッサンをする人です。
デッサンの狂った舞台は見ていられません。
あるいは、浮世絵の原画を書く人という表現があっているでしょうか。

舞台監督は浮世絵を彫る人とかする人に該当します。
具体化するのです。
だから、演出は当日いなくても、まあいいのですが
舞台監督は当日いないと困ります。

演技指導は着付けとか服を選ぶ人と同じです。


高校生の演出を見ていると
おうおうにして延々と演技指導をしています。


困るのは、デッサンがないのに
演技の重箱のすみだけをつついていることが多いのです。

たとえだ、私の書く台本はセンテンスをあまりきらないで読んだときにきれいに聞こえるように書いていますが、あまりそういう意識がない人が多いのは困り者です。

演出をどうやるとカッコよくなるのかについては
いずれおいおいと、書くことにします。



窓ガラスの花-2

2009年11月08日 19時26分48秒 | 観劇の感想

台本は1982年版。
1987年版は出演者が多く、話も複雑なのでなかなか上演できない。

今回の会場はデパートが撤退したあとの空き地。
困ったことに、杭も打てない。

それでも、何とかテントは建った。
6時40分、10分押しで芝居が始まる。狭い会場は50人ほどの観客で満席だ。
ぶらっと通りかかっただけの客もいて、帰ってしまわないか気にかかる。

演出はのっけから、あまりよくない。暗闇の中で音楽だけが流れる。なんてこった。これでは先日の国民文化祭の舞台ではないか。おまけに、次に登場してきた主人公は、台詞を忘れて、ただ立っている。おいおい、これも、先日観たぞ。おまけに照明はなんだか、ふらふらしているし。

しかし、昔のメンバーが出てきたら、芝居がぐっとしまってきた。本当に、最初の三分間は目をつぶっていたくらいだったが、だんだんテンポが出てくる。

台本は自分で書いたはずなのにすっかり忘れているので、結構新鮮な気分で楽しめた。

無料公演だったし、はらはらしながらも、帰る客がいなくてよかった。
そのあとの飲み会が盛り上がったのは言うまでもない。

で、次の朝テントの中で目が覚めて、帰るときに寝袋を忘れてきた。8時間のスクーター移動は結構こたえたのだ。
 


窓ガラスの花-1

2009年11月08日 18時14分56秒 | 観劇の感想

初演は1982年11月水戸市南消防署前空き地特設テント出演は飯島悟(後に劇団第七病棟)、久保庭尚子(後に劇団SPAC)など、茨城大学に在学中の学生が主体だった。もちろん社会人も混じっていたが。公演は台風の直撃を受け、2日目が中止。50人程度が観劇した幻の舞台となった。
再演は1987年11月?これは改訂版。水戸市の駅南にある公園特設テント雨が降るとプールのようになる公園で公演の前の日の夜にテントに泊まったら水面が目の高さよりも高かった。敷いていたブルーシートが防水してくれてブルーシートだけが水面の高さまで浮いていたのだ。主演は市毛恵美子だったはず。
次の再演は1991年8月水戸ACM劇場。柴沼均演出。岩橋伸子が姉を好演。役者がそろっていた時期だ。
そして、今回。