真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

「0戦はやと」と「少年忍者風のフジ丸」

2006年03月11日 17時13分25秒 | アニメーション
「0戦はやと」と「少年忍者風のフジ丸」を調べた
「0戦はやと」はフジテレビで 1964年 1月21日から10月17日夕方6時15分から45分に放送された うしお そうじ(牛尾 走児とも、男性、1921年12月4日 - 2004年3月28日)は、漫画家、特撮プロデューサー、演出家。本名は鷺巣 富雄(さぎす とみお)。戦前には円谷英二らと共に東宝の特殊技術課に在籍。その後漫画家となり「どんぐり天狗」「おせんち小町」「ぽっくり物語」「スットコトンちゃん」などを発表。1960年、映像製作会社ピー・プロダクション(通称ピープロ)を設立し、アニメ「ハリスの旋風」「ちびっ子怪獣ヤダモン」、特撮テレビドラマ「マグマ大使」「スペクトルマン」「快傑ライオン丸」「電人ザボーガー」「鉄人タイガーセブン」などの名作を次々と制作。「風雲ライオン丸」では、ピープロ作品としては初めて自ら原作漫画を執筆(若林不二吾名義)。2004年3月28日、急性心不全で死去。享年82。長男はアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」のBGMなどを作曲した作曲家・鷺巣詩郎。弟はアニメ制作会社エイケンでプロデューサーを務めた鷺巣政安。政安はうしおの元アシスタントでもあった。などと調べた。そしてサブタイトル38話を調べる。
「少年忍者風のフジ丸」はNETテレビ(日本教育テレビの略、現在のテレビ朝日)で1964年6月7日から1965年8月31日まで全65話放送された  このアニメは白土 三平さん作品の「忍者旋風」(風魔忍風伝)。アニメ 第一作になるが、東映動画がキャラクター権の問題で第29話以降白土 三平さんを原作から外した、この東映動画側の原作無視行動に対して白土 三平さんが怒って、これ以後の白土 三平さんは漫画映画化に対して反応を厳しくしたという噂がささやかれた作品。放映回数65回のうち前半は「忍者旋風」だが、人気が出た後、話を勝手に作り、放映継続され、原作者無視のアニメ作品だったとも言われた。キャラクターデザインは楠部大吉郎氏で、白土氏のものではない。人気がでて、放映中二回劇場アニメ映画化された、久松 文雄さんの漫画も連載された。

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