真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

母と福祉と病院と

2006年03月20日 11時57分05秒 | Weblog
母親を病院に連れて行く、昔の手術の後をいまだに引きずっている。福祉切捨てでずいぶんと苦しくなっていると言う。目に見えて、弱者がいじめられている現状をひしひしと、身近に感じる最近である。福祉問題に首を突っ込むきっかけとなったのは国連総会決議34/158・1980(昭和55)年1月30日採択の国際障害者年からで、市が主催する手話講習会に参加したのがきっかけであった。当時の障害者の福祉は、とてもひどい状態で、聾唖協会との交流から聾唖運動へと自然に参加し、運動の成果を喜びに障害者と市民の手をつなぐ会など必要が無くなり解散するまでともに歩んできた。今は老人問題で昭和20年生まれの私たちは、この年の出生率が最低であったので、進学にまた就職にと、ずいぶんと優遇されてきた、然し今、すぐ後ろの、段階の世代と言われている敗戦後すぐの第1次ベビーブームの人たちが迫ってきていて、福祉を、切り捨てようとしている、動きが、増してきている。病院のすぐ近くの父の墓をお参りしてきたが、父も入院しているときに、何ヶ月かすると、病院を出なくてはならず、帰宅するたびに、何度も救急車を呼び、家族の看病の疲れも、ピークと言うには、はるかに通り越し、その現状は、当事者にならなければ、分からない。
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