石森章太郎原作「佐武と市捕物控」はスタジオ・ゼロがパイロットフィルムを作ってセールスした。東京でのセールスは難航したが、大阪電通が放送わくを決めてきた。本来であれば、スタジオ・ゼロ、で製作するはずが、当時から『おそ松くん』の制作をチルドレンズコーナーと、『パーマン』を東京ムービーと、というように、まるまる担当するには、制作能力が不足していたスタジオ・ゼロであった。「佐武と市捕物控」の企画が決まったときも、スタジオ・ゼロでは『怪物くん』を東京ムービーと製作していた。
それで、大阪電通から虫プロに話が来たのであった。虫プロでは林ちゃん(林重行)が総監督と言うことで、「わんぱく探偵団」の森柾さん林重行さんの、コンビが担当することになった。
この作品では森さんの願いで初めて演出も担当している。
スタジオは第3スタジオを使用した。このころまでには、下の住人もいなくなり、お茶屋さんが倉庫として使用していた、部屋にも背景さんが入ったり、彩色の新人さんのグループが使用したりしていた、美人が多かった。(←どうでもいいこと)
早速、林さんは森さんの絵コンテで村野さんとオープニングを制作した。このオープニングはスタジオゼロの回でも使用することとなった。キャラクターデザインのメインは虫プロ村野守美さんが描いている、スタジオ・ゼロも、メインキャラに関しては村野さんのデザインで統一することになった。しかし毎回ごとのゲストキャラクターは各社で作ることにきめた。 この「佐武と市捕物控」ではスタジオゼロとの打ち合わせて、止め絵を有効に使うこと。1枚の絵を太い線で描いて、動きはカメラを動かしてパーンさせたりアップをしたりして、動きをだす。(のちのあしたのジョーなども)と言う石森さんの希望があった。そこで作画をデルマで書いたり、手書きのトレスだけではなく、城西ディプロのトレッシング・マシンも多用した。
枚数が減ることにより、予算が抑えられるのであるが、虫プロのアニメーターたちは、ついつい動かしてしまい、森さんのリテークを受けていた。止め絵なのであるがただパーンやアップをするのではない撮影への指示に試写を見てさすが森さんと皆が称えた。また、必ず何処かに実写の部分を入れる、(池に投げ込まれる釣りのウキなど)と言うことで撮影班がカメラを担いで、ロケに行ったりもした。実験的な要素を取り入れた、「佐武と市捕物控」で楽しく作っていた。
27話「地獄の用心棒」では車数台で、まだ夜が明ける前に、撮影の人たちとりんちゃんたちが、湘南ほうめんの海岸へ行き、担当進行の網田靖夫さん(のちにマッドハウスの社長)が草鞋を履いて波打ち際瀬を走る足を撮影してきて、その映像を使ったりしている。
それで、大阪電通から虫プロに話が来たのであった。虫プロでは林ちゃん(林重行)が総監督と言うことで、「わんぱく探偵団」の森柾さん林重行さんの、コンビが担当することになった。
この作品では森さんの願いで初めて演出も担当している。
スタジオは第3スタジオを使用した。このころまでには、下の住人もいなくなり、お茶屋さんが倉庫として使用していた、部屋にも背景さんが入ったり、彩色の新人さんのグループが使用したりしていた、美人が多かった。(←どうでもいいこと)
早速、林さんは森さんの絵コンテで村野さんとオープニングを制作した。このオープニングはスタジオゼロの回でも使用することとなった。キャラクターデザインのメインは虫プロ村野守美さんが描いている、スタジオ・ゼロも、メインキャラに関しては村野さんのデザインで統一することになった。しかし毎回ごとのゲストキャラクターは各社で作ることにきめた。 この「佐武と市捕物控」ではスタジオゼロとの打ち合わせて、止め絵を有効に使うこと。1枚の絵を太い線で描いて、動きはカメラを動かしてパーンさせたりアップをしたりして、動きをだす。(のちのあしたのジョーなども)と言う石森さんの希望があった。そこで作画をデルマで書いたり、手書きのトレスだけではなく、城西ディプロのトレッシング・マシンも多用した。
枚数が減ることにより、予算が抑えられるのであるが、虫プロのアニメーターたちは、ついつい動かしてしまい、森さんのリテークを受けていた。止め絵なのであるがただパーンやアップをするのではない撮影への指示に試写を見てさすが森さんと皆が称えた。また、必ず何処かに実写の部分を入れる、(池に投げ込まれる釣りのウキなど)と言うことで撮影班がカメラを担いで、ロケに行ったりもした。実験的な要素を取り入れた、「佐武と市捕物控」で楽しく作っていた。
27話「地獄の用心棒」では車数台で、まだ夜が明ける前に、撮影の人たちとりんちゃんたちが、湘南ほうめんの海岸へ行き、担当進行の網田靖夫さん(のちにマッドハウスの社長)が草鞋を履いて波打ち際瀬を走る足を撮影してきて、その映像を使ったりしている。